第41話 白杏の森へ
辺り一面緑に覆われた森の中を隊列が進んでいく。その数は大群と呼べるほどではないが、一様に武装をしているその様は物々しく、緊張感を放っていた。
先頭を行くアヤメは顔の前に伸びる枝葉を手で払いながら、ちらりと背後の様子を確認した。
滅多に人が通ることのないこの辺りは、当然のことながら道らしき道はない。
地面から逞しく生える草は背が高く、頭上を覆う木の葉は皆大きく手を広げて太陽の光を浴びている。そのため足元は、昼時だというのにどこか薄暗く、加えて自生した植物により先の道まで見通せない。ひたすら視界が悪い場所だった。
アヤメはまだ良い。白杏の森で幼少期を兄と共に過ごしていたため、勝手知ったる土地だ。立浪や紫苑も慣れたもので、スイスイと淀むことなく足を動かしている。下野も王立軍の一個分隊を任せられるだけあって、平気な顔をして歩いている。
だが、棗や、八手、下野の部下、狩人の面子は何時間も足場も視界も悪い土地を歩き続けさすがに疲弊してきたのか、隊列が乱してしまう者や、そこら中に蔓延っている木の根に足をもつれさせる者も出てきた。
ーーそろそろ休むか
すぐ後からついてくる立浪に向かって目配せすると、同じことを思っていたのか、指で輪を作ったものでピュイと音を鳴らした。
少し経ってから、アヤメが歩いている位置よりもかなり前方から呼応するように指笛が返り、続けてリズムの乗った音が聴こえる。
それを最後まで聞き届け、アヤメは振り返ってうっすらと額に汗を浮かべる下野に声をかけた。
「もうすぐ川が見えてきます。そこで休憩しましょう」
「そうですね」
下野は頷いて傍に控える八手に短く告げる。
八手が伝達して間もなく、一行は幅の狭い小さな川に辿り着いた。
一時解散する下野らを見届け、アヤメも集団と別れた。
やれやれと息をつく。土地勘があるとはいえ長時間、森の中で一人もはぐれることのないように神経を割くのは疲れた。
川のせせらぎが心地よい。相変わらず上を見ても空は繁った葉で隠されていたが、ところどころにある切れ目から陽光が降り水面を輝かせていて川は透明さを増していた。
大きく伸びをしながら周囲を軽く見回すと、アヤメたちから少し離れたところに青年の姿があった。後ろ姿は少年にも見える。畔にしゃがみこんで水を飲んでいる。
アヤメたちの足音に気が付いているだろうに、偵察のため先回りしていた紫苑は水を飲み終えると声をかけるでもなく木の根に腰を下ろして寝始めた。
ーー紫苑の機嫌が悪い。
その不機嫌の原因をアヤメはよくわかっている。声をかけることすら躊躇われて、下手に刺激しないようそっとしておくことにした。
そんなアヤメとは反対に、立浪はというと道中密かに拾っていた紫苑の好物である木の実を渡しに向かっていた。
過保護だと思わなくもないが、情に厚いのがあの青年の良いところである。
「紫苑くん、体調が良くないみたいですね」
頭一つ分高いところから心配そうな声が降ってきた。
「…棗さん、大丈夫ですか?」
隣に立った棗はこちらがちょっと驚いてしまうくらい汗をかいていた。
汗を拭いながら笑って応えるが、その息はやはり荒い。
普段学院で教鞭を執っている棗は紫苑のように武術を教える教師ではなく国史などの学術を教える教師である。日頃の鍛練の違いから体が堪えてしてしまうのも無理はなく、棗の息が整うのを待ってアヤメは先程の返答をした。
「精霊が騒いでうるさいみたいで…。僕はなんとなく感じるだけで声とかは聞こえないんですけど、あいつは諸に感じますからね」
「…さっきの獣笛といい、感覚が鋭すぎるのも苦労するんだね…」
「そうですね。もっとも、精霊に嫌われれでもすればもっと楽になれるでしょうに」
いくら感覚が鋭敏でも、精霊から嫌われれば声も届きにくくなる。
しかし紫苑の場合、持って生まれた鋭敏な機能と精霊に愛されすぎる性質の両方を兼ね備えていた。
「多分、普段人が立ち入らないところに大勢やってきたものだから、みんな珍しがってるだけでしょう。そのうち収まるとは思うんですが…あー、やっぱりどうかな…わかりません」
ちらりと目の端に映った紫苑の周りは一際明るくなっている。
ーー精霊である
沢山の精霊に囲まれた紫苑は依然として顔をしかめながら木の実をもそもそと食べていた。
「今日は本当に大盛況みたいですね。うわあ…、また明るくなった…」
若干引きながらのアヤメの実況に棗は眼鏡の奥の目を細めて一層気遣わし気な視線を送った。
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