第42話 精霊たちのざわめき

「ほら」


甲高い鈴が鳴っているかのような騒音が始終耳元で響き参ってしまった紫苑が項垂れていると、ぽんっと膝の上に何か放り投げられた。布で包まれた中身を覗くと、丸いものから楕円形のものまで色とりどりの木の実が入っていて、紫苑は微かに瞳を光を灯らせた。


「気が利くな」


顔を上げなくても誰が近くに来たかわかっている。不機嫌なオーラを全面に出していても面倒くさがらずに自分に構ってくる奴なんて一人だけだ。過保護。そう思ったが口には出さない。この干渉が自分でも少し気に入っていた。

気分が浮上して、早速木の実を一つ摘まむ。赤い小さな木の実が口の中で弾けて甘酸っぱい味が広がる。まだ熟れきっていないため、多少固く渋味もあったが疲れている今は然程気にならなず二つ目もすぐに口に放り込んだ。


「うまい」


「そりゃ良かった」


肩を竦めて笑ってみせ、立浪も紫苑の横に腰を下ろす。そのまま暫く二人して、川の水が流れていく様子をぼんやりと見詰めていたが、ふと気が付いたように立浪が声をかけた。


「なんか、いつもと様子が違う…か?」


黒瑪瑙の目を細め、何もない虚空を注視し出した立浪に紫苑が口に運んでいた手を止め驚いた。


「よくわかったな…」


「遠目からじゃわからなかったが、これ、おかしいだろ」


腰を浮かせ、紫苑のまわりを取り囲む光を目をこらしてよく見てみる。いつもは曖昧にしか見えない精霊が今日はどうしてか比較的形を捉えることができた。雪の結晶のように、全体が固まってできているように見えて実は個体ごとに分かれており形も微妙に異なったものになっている。


その数は……異常だ。


「うるっせぇんだよお前ら」


それなにー、あっ木の実だー、まだ熟しきってないねー、この子が拾ってくれたんだよー、そういえばさー…


立浪が反応したことが嬉しいのか、一層きゃいきゃいとはしゃぎ出した精霊に上向きかけていた気分が一気に降下紫苑はあまりのかしましさに声の主たちを睨み付けた。

その音は立浪には聞こえなかったが、紫苑の態度から更に精霊たちが騒ぎ出したことを察し、気の毒にと心の中で呟く。


「あ?」


柄の悪い声に一瞬、立浪は無意識に心の声が出てしまっていたのかと思い紫苑を見た。しかしそうではないらしい。紫苑は木陰をじっと見つめ何か聞き取っているようだった。


「…死んでる…」


突然の物騒な発言に立浪は驚き即座に聞き返した。


「死んでる?」


「ああもう、ちょっとお前ら、もっとわかりやすく喋れや!って無理か…」


やり場のない苛立ちを発散させるように荒く自分の後ろ髪を掻く。赤い紐で留めていた髪が乱れ、絹糸のように艶やかな黒髪が紐が弛んだことではらりと散った。ちょうど肩辺りまで伸びる髪を下ろすと、正真正銘男だとわかっている立浪でも見紛うくらい可憐な少女に変わる。ただし、その唇から次々とお綺麗な俗語が飛び出していなければ、の話であるが。


「紫苑、どうした」


話がまとまったのか独り言が落ち着いた頃、立浪は口を挟んだ。


「あー…なんか、人が死んでるって」


「森の中でか?」


「ああ。多分、飛竜に襲われた奴だろ。男、一人、ちょっと前からそこにいる、あとは…えー、それくらいだな」


「近くに飛竜は」


「いない。飛竜は別のところにいる」


紫苑が何事かをぶつぶつと呟く。その顔は険しい。一通り精霊から話を聞いた後、紫苑は視線をアヤメの方向に向けた。

アヤメの近くには棗しかいない。

ちょうどいい、と腰を上げ立浪に一声かけると紫苑はアヤメの元へ駆け寄った。


「アヤメ、いいか」


「どうした」


「精霊が死体を見つけた。恐らく件の狩人だ」


精霊の言葉をそのまま伝える。

紫苑のただならぬ様子にアヤメも何かを感じたらしく表情を引き締めた。


「どうする?」


同じく駆け寄ってきた立浪が短く問う。

アヤメはすぐには答えないまま、ちらりと目線だけを横に動かした。

ーーー下野たちである。


「あいつらに報告するか」


立浪たちも同じようにアヤメに倣えば、その目線の意味を即座に理解した。


「見張られてるな」


目線を元に戻したアヤメが小さく頷く。

一見、下野たちは思い思いに休みを取っているかのように見えるが、意識だけはアヤメたちに向けているようだった。


「…さすがに警戒されすぎじゃないか?」


露骨な牽制を不審に思った立浪が眉を寄せて小声で呟く。


「僕らに警戒ねぇ…」


余計なことをされることを恐れているのだろうか。そう思ったが、その肝心の『余計なこと』の具体的なものに思い当たることが多すぎて特定できず、首を捻る。


「なんか変なんだよね」


「何が」


「警戒されすぎだと思わない?」


ただの道案内として隊に参加しているアヤメたちにこうも神経質に見張りをたてるだろうか。


「よっぼど都合の悪いことでもあるのかもな。

…アヤメ、連中をつついてみようぜ」


「つつくって?」


「耳貸せ」


紫苑の言うとおり耳を傾けると紫苑は唇を寄せて小さな声で二言三言囁いた。

短いやり取りのあと、紫苑はニヤリと瞳だけでアヤメに笑いかけると徐に地面にしゃがみこみ始めた。そして肺いっぱいに空気を吸い込むと息と共に大声を吐き出した。



「イテーーッ!!!」



あまりの大きな声に遠巻きに窺っていた下野たちがぎょっとして紫苑を見た。大勢に注目された紫苑は腹を抱え、ますます大きく声を張り上げる。


「紫苑、大丈夫か」


「木の実があたったみたいだーこれは無理だー村に帰らせてくれー」


「わかった、紫苑だけ先に帰っててくれ」


下手くそな猿芝居に立浪が呆れながら棗を確認すると、案の定目を白黒させている。棗はうずくまる紫苑に手を貸すべきか迷っているようで視線をくれたが立浪は首を振って制止した。


一方、予想を遥かに超えた大根っぷりに苦笑を浮かべそうになったアヤメは意識して顔を引き締め心配そうな表情を作った。


「一人で大丈夫か?」


「ダイジョーブ、ダイジョーブ」


そう言って立ち上がった時、紫苑はちらりと棗に目配せした。猫のように丸く大きな目が悪戯めいた色でキラリと光る。その目線に何の意味がわからず疑問の意味を込めて瞬きを返すと紫苑はさっさとアヤメたちと離れて森の奥に向かってしまった。

その後ろ姿をぼうと見つめている棗にすかさずアヤメが耳打ちする。


「恐らく紫苑を下野たちの部下が追います。棗さんはその部下たちの後をこっそり追ってください」


何かあればこれを吹いて、と先ほどの獣笛を棗に渡す。


「もし紫苑一人だけでは分が悪そうならこの紙鳥で俺たちに知らせてください」


紙鳥とは、その名の通り鳥に似せた紙細工のことだが、使われている紙には術が刻み込まれているため特定の人間に伝達用のものとして飛ばすことができるものだ。


紫苑の先程の大袈裟な振る舞いにようやく納得した棗は、アヤメから紙鳥を受け取り表情を硬くして頷いた。


棗は戦闘に不向きだ。それを己で自覚しているからこそ基礎の鍛練は欠かしていなかったがいざ実践となると話は違うだろう。

そんな棗の緊張を解すようにアヤメは眉を下げて柔らかく笑いかけた。


「大丈夫。紫苑と一緒にいる限り、棗さんは洸国の中で最も安全です」


――ある意味最も危険だけど


そう喉元まで出た言葉を飲み込み、アヤメは駄目押しとばかりに笑みを深くして棗の背を押した。

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