第36話 勧誘

ーーそういう状況じゃないだろう…


まったくもって自分に呆れる。

一方で、アヤメの観察力に驚いていた。


ぼんやりしているようで、なかなかどうして…鋭い。


前々から勘が働くとは思っていたが、正直ここまでだとは思っていなかった。


空木を捕らえる作戦は、藤馬と一部の人物たちを除き徹底して秘密裏に行っていた。

それなのに、アヤメはごく僅かな情報の中から危険を察知し、空木の凶行を食い止めた。


よっぽど普段から周りを注意していなければできないことだ。


ーー一介の長に留まっておいて良い器ではない


そこまで結論付けると月は半ば身を乗り出すようにアヤメ喋りかけていた。



「アヤメ、王立軍に来い」



は…、とアヤメが驚きに息を漏らす。



「お前の存在が欲しい」



月の炎のような瞳とアヤメの瞳がかち合ったーー

…その瞬間



コンコン



間の抜けた軽い音が室内に響いた。


「…誰だ」


話を中断されたことに軽く眉を潜めながら月が問いかけた。


「…咲良です。失礼します」


入ってきた人物は藤馬の部下で補佐でもある咲良だった。

薄桃色の短い髪にすらりとした長身である。

いつも着ている藍色の隊服とは違い、今は簡易なズボンに薄手のシャツを羽織っていた。


「お話し中すみません。…月様、藤馬様がお呼びになっています」


「藤馬?」


声が不機嫌のために低くなっている。


「アイツがこっちに来いよ」


「はあ、そう言われましても…」


しばらく腕を組んで唇を曲げていたが、肩を竦める咲良に文句を言っても仕方がないと思ったのか、気が乗らない足取りで扉へと向かった。


「…さっきの話、考えておいてくれ」


去り際、振り返ると真剣な顔つきでアヤメに告げた。アヤメも引き締めた表情で頷く。


「…ちゃんと休めよ」


ふっと、返答を受けた月が柔らかく笑った。

その眼差しの優しさにアヤメの心臓がざわついたが、仄かな灯りのお陰でその僅かな表情の変化に気づく者はいなかった。


入れ替わるように残された咲良は月が出ていったことを見届けると、アヤメに向き直った。


「…また無茶をして」


「咲良さん…、お久しぶりです」


アヤメと咲良は親しい。藤馬が陣長になってから知り合ったためにまだ付き合いは浅いが、咲良の気さくな雰囲気とアヤメの性格は良く波長が合っていた。

咲良はアヤメに近付くと、椅子ではなく寝台に腰掛けた。間近でアヤメの様子を確認する。


「怪我、大丈夫?」


「大丈夫です…と言いたいところですが、さすがにまだ痛みますね」


「…兄妹揃って無鉄砲すぎる」


そこでアヤメは首を傾げた。

威勢の良い咲良にしては珍しく、諌める声にいつものような覇気がない。


「咲良さん…なんか元気ない?」


アヤメの心配気な声に、鴇色の目が震える。


「…」


呟きかけた言葉は中途半端に止まり、後を続けることがないまま、すぐさま表情を戻すとアヤメを安心させるように笑顔を作った。


「…肩出して。包帯替えてあげるから」


その笑顔がこれ以上の追及を許さなかった。

アヤメもそれ以上何も言わず、夜着の紐をゆるめ素直に肩を出すと咲良に身を任せた。


恐らく、兄のことだろうとわかったからだ。


咲良は兄のことが好きだった。



熱っぽかった肌にひやりとした咲良の手が触れ、気持ち良い。


『アヤメ、王立軍に来い』


目を瞑ると先程の月の言葉が反芻された。


『お前の存在が欲しい』


白杏の長になってから2年。

なんとなく白杏でこのまま生きて死んでいくのだろうと思っていた。


ーー王立軍か


アヤメの眼裏に鮮やかな紅玉が強く残っていた。



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