第35話 謝罪
「あのねぇ…」
「ーーすまなかった」
予期せず、真面目な声が返ってきたために
アヤメは瞳を丸くした。
見つめ返すと、そこにはもう笑う素振りはなく、真剣な表情があった。
「…そんなに怒ってない」
「違う」
すぐさま否定され、アヤメはますますきょとんとした顔で見返した。
「お前を囮にした」
囮…アヤメが呟く。
「…空木に探っていることがバレた俺たちはそれを逆手に取って空木にあえて『核心的な証拠を掴んでいる 』と情報を流した」
そして月は一瞬躊躇うように間を置き、次の言葉を続けた。
「そして『藤馬は妹を溺愛している』とも。
案の定、空木は焦ってお前に何か仕掛ける算段をした」
「つまり、僕をダシに兄上を揺さぶろうとしたわけか」
単刀直入に返すアヤメに月は素直に頷いた。
「そうだ。空木はお前の直属の上司だからな。大方お前に濡れ衣を着せて、藤馬への交渉材料にでもしようと思ったんだろ」
「…月たちは、それを予想してたんだな」
「ああ」
月は誤魔化したり偽ったりすることなく簡明直截に全てを話した。
曰く、空木が何かまた事件を起こせば、それを理由に査問にかけることができ、そうすれば、三角殺しの糸口も見つかると。
どんなに疑わしい人物だろうと、何も犯していなければ証拠もなく捕まえることはできない。
だから、空木が居てもたってもいられなくなるようにわざと情報を流し、仕組んだのだ。
「お前が危ない目に遭うことはわかっていた」
深紅の瞳がアヤメの肩付近を見遣った。
ゆるく開け放たれた夜着から少しよれた包帯が覗く。その白さが痛々しい。
「俺は…お前の信頼に、値しない」
空木が何を仕掛けるのかはわからなかった。もしかすると、アヤメの怪我はこの程度では済まなかったかもしれない。それどころか、権力を盾に、体だけでなく自尊心さえも傷つけられたかもしれない。
目の前に崖があるのに教えないようなものだ。
「すまない」
月は姿勢を正し、スッと頭を下げた。
その姿にアヤメは無意識に息を詰めた。
ーーなんて
…なんて真っ直ぐな人だろう
目の前で迷いなく下げられた頭をそっと見つめる。
別に、わざわざアヤメに打ち明けることなどしなくても良かったはずだ。
何も言わなければ、月はそのまま一月という任期を終え王立軍に戻り、アヤメはまたいつもと変わらない日常を過ごすだけだったに違いない。
それなのに、あえてアヤメに全てを告白した。
「…怒ってない」
「いや、だから俺は」
「本当に怒ってない」
アヤメは下げたままの月の頬にそろりと指先を這わせると、静かにその顔を上げさせた。
再び二人の視線が絡まる。
「月がさ、白杏に来る必要なんて本当はなかったんじゃない?」
空木の様子をただ偵察するだけなら、月が来なくとも誰か他の部下にやらせれば良かったはずだ。
それなのに、月自身が白杏に赴き、アヤメの傍に常に身を置いていた。
「ーー守ってくれてたんだよね」
アヤメの身が危うくないように。
何かあっても空木から庇えるように。
この件は空木を捕らえるために仕方がないことだった。
しかし月は決して『仕方がない』では済ませなかった。
この人はきっと後悔していない。
この選択をするまでに散々悩んだのだ。そして選択した時、全てにおいて責任を取ると決めたのだろう。
「月を信じるよ。
…守ってくれてありがとう」
内側から清廉さが溢れるような、ちょっと見惚れるくらい美しい笑み。
金色の瞳が琥珀みたいに煌めいて揺らめく灯火以上に部屋を照らすような錯覚を受けた。
我知らず月はまじまじと見入ってしまう。
「月…?」
何も返さない月に少し困ったような笑みを溢す。
ーーこれは、思ってたよりも
…危ない、と月はギリギリのところで自分を制し、視線を外した。
このままでは押し倒しかねないと本気で思った。
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