第27話 思惑

こんなはずではなかった。


森を駆けながら空木は焦っていた。うまくいくはずだった計画が狂ったのは一昨日のことだ。男を嵌めるための術。馬鹿でかいにも関わらず何にも利用せず、ただ動物を野放しにしているだけのこの森に、男を追い込む術を仕掛けるはずだった。


懐に入れた紙を素早く触って確認する。


隙を見つけて魔術師から盗んだものである。

魔術師は失敗を告げたと同時に姿を消した。気休め程度に雇ったゴロツキ共は魔術師によって始末されたらしい。

失敗の原因を何も伝えず行方をくらませた魔術師を、部下を使って探させているがいまだに見つかっていない。

だが、空木は術の発動のさせ方をすでに把握していた。


もう誰も信用ならない。


視察の予定は明日までだ。

とにかく空木には時間がなかった。己を追い詰める材料をあの男は着々と用意している。涼しい顔をして己の横に立ち、平然と息の根を止める準備をしている。

男を殺そうとも思ったが、男の近くには頑丈な盾がいつもいる。


それに、二度の殺しは目立ち、周囲から不審に思われる。そうなると、男の弱みを掴み、先に失脚させるしか方法はなかった。


白杏の長はまだ幼く、経験も浅い。喋ったことはあるが、いかにも頼りなく純朴そうな少女だった。


付け込むならここだ。


多少卑劣でも、後々のことを考えれば今ここを叩くしかない。

大丈夫だ、この計画は成功する。


空木は自分に言い聞かせるように『大丈夫』の言葉を繰り返した。

森の中心地へと、肥えた足を急がせる。


空木の心の奥底には拭えない不安と恐怖があった。


国同士の諍いも減り、言葉を使っただけの戦争となったこの時代、軍は年々縮小されていた。

いつ使うかもわからない軍設備、備品よりも目の前の食糧が大事だ。戦場が水面下となった今、民にとって軍は不必要なものだった。


民の危機管理能力の低さに愕然とする。

いつ西の野蛮人共が押し寄せてくるとも限らないのに、何故軍の縮小化に平然としていられるかがわからなかった。

洸陣もいったい何をしているのか。


ここ数年で西が侵略してくるという情報も以前にも増して入ってきている。


10年前の事件。


異界にいるとされていた魔獣が突如現れ、大勢の民を襲った。


あの事件があった当初は、軍の体制が見直され、強化された。しかし、それも10年経てば当時の恐怖が薄れる。民の意識も軍の体制も元通りになりつつあった。


空木は悟った。


定期的に痛みを与えなければ学習しない。


どれだけの事件だろうが、目の前の問題に追いやられて、大きな傷も薄れてしまうのだ。


生意気な小童と甘い世間、双方を知らしめるに都合の良いうってつけの人物が白杏の若い族長だった。


唐突に視界が開けた場所に出る。


ここまで生い茂っていた草木が嘘のように、ぽっかりと穴の空いた場所だった。頭上を見上げると、大きな月が顔を覗かせ、燦然と降り注ぐ。厳かとも言えるその場所は、空木の全身の汗を一気に冷やした。

目の前には、堆く雑然と積まれた大きな岩岩があるだけ。

異様な光景にごくりと喉を鳴らした。

本能的に、言い様のない恐怖を感じて身構える。


しかし、あたりには何の気配もなかった。


不安を振り払い、懐から急いで紙を取り出す。

魔術師でない空木が術を発動させられるかどうか、可能性は五分だった。

雑念を振り払い、精神を集中させる。


「ーーー人間」


低い、唸るような音が空木の耳に響いた。

背後を振り返る。

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