第5話 通知

「手を休めている暇はないはずですが?」


「…はいはーい…」


「返事は一度で結構です」


「はい‥」


 反発してもやり返されるだけだ。

 そもそも月の言うこともまったくの正論なのでアヤメは観念して、嫌々ながらに目の前の書類に目を戻す。


 重要度、日付を加味して順に揃えられた書類は、今日も山のように積み上げられている。

 果たして、無事にこの部屋から出られるだろうか。




 ――ん?




 真面目に取り組みだしてから数分後、ある書類の人物名に目を留めたアヤメは反射的に手を止めた。直属の上司である『空木』の名が記されたそれをじっと注視する。


 なんてことはない、書類はただの連絡事項で、要は、白杏の属する桜陣の軍事局長である空木による各地の視察である。


 しかしその内容にはどこか引っかかるものを感じ取り、薄い下唇に親指を当てたアヤメはその違和感の在り処を探った。


 就任の挨拶代わりも兼ねているのだろう。前軍事局長が不慮の事故で亡くなったのは有名な話だった。


 空木とは、アヤメが長就任時に初めて会った。

 でっぷりと肉のついた腹回りに、何かを探るような細い目。


『あやつの妹か』


 不愉快だと言わんばかりに吐き捨てたあと、年若い長を上から下までしっかりと値踏みし、鼻先で嘲笑った。


『狼に人間の道理がわかるのかね…?』


 いやらしく嗤いながら問われた言葉に、アヤメ自身なんと返したかよく覚えていない。

 『はあ』とか『まあ』とかそんな感じだった気がする。

 結果としてその返答は空木の気を良くするものだった。


『何かあったら頼りなさい』


 突然態度を一変させ気前良く言った後は、特に何事もなく去っていってしまった。

 藤馬から空木に関して禄なことは聞いていなかったために正直肩透かしを食らった気分だったが、面倒ごとは避けたかったのでアヤメとしても都合が良かった。


 しかし、面倒な事に彼はアヤメにとって直属の上司である。とうとう関わる機会が訪れてしまった。


 局長来訪となれば、受け入れ側は準備することがいくつもある。そのため、通常ならば最低でも一月は前に通知しておかなければならない。

 今回は異例の早さだ。


 書類を透かし見ながら、宿泊施設提供の要請の少なさに首を傾げる。

 現地で世話人の手配をするつもりか

 一応他の属も調べておくか。

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