初めてのおつかい

 ある日のことです。

 この日は学校がおやすみで、ハルはお母さんの手伝いをしていました。


「本当に一人で行けるの、ハル」


 買い物袋を持つハルを心配そうにお母さんが見つめます。

 そう、今日ハルは初めて一人でおつかいに行くのです。


「うん、大丈夫だよ」


 こくりとうなずいて、持っているメモをつたなく読み上げました。


「ヤギのミルク二瓶、トットコ菜二つ、ゴロゴロ芋三つ。ちゃんとメモもあるもん」


 自信ありげに言うハルでしたが、お母さんは心配でたまりません。


「吊り橋はゆっくり渡るのよ、危ないハーピーに近づいちゃ駄目だからね、怖くなったらすぐに戻ってくるのよ」


 お母さんは心配のあまりたくさんの約束をしてしまいます。

 ハルはこくりとうなづいて、お母さんが開けてくれた玄関の扉を通ります。


「うん、気を付けていってきます」


 そして手翼を振って、見送るお母さんと別れを告げました。

 ハルにしたら初めての大冒険です。

 内心不安もありましたが、優しいお母さんのためにハルは頑張ります。


「ヤギのミルク二瓶、トットコ菜二つ、ゴロゴロ芋三つ」


 買うものを忘れないよう声に出しながら、ハルは吊り橋の前までやってきました。

 ハーピニアは山の上に作られた里で、ハルの住む地区から商店街までは吊り橋を渡らないといけません。

 ハルはおっかなびっくり進み、きしむ吊り橋を渡っていきます。


「うう、えっと、吊り橋はゆっくり渡る」


 まだ手すりのロープには届かないので、落ちないように真ん中を歩きました。

 ひゅうと吹き抜ける風がハルを驚かします。

 びくびくと震えながら、泣きそうなのを我慢してハルは進みました。


 なんとか渡り切ったハルは、ふうと胸をなでおろします。

 ここまでくれば安心です、なぜなら商店街にはイチカの家があるのですから。

 イチカの実家は色とりどりの花を売っている花屋さんで、ハルにきれいな花をよく見せてくれるのです。


 少しだけ自信がついたハルは、上機嫌に歩きます。


「ヤギのミルク二瓶、トットコ菜二つ、ゴロゴロ芋三つ」


 買い物袋をゆらゆら揺らし、リズムに乗せて声を出します。

 目の前に商店街が見えてきました、あとか買い物をして帰るだけです。


 少しだけ駆け足になり、商店街へと入ろうとした時でした。

 商店街の片隅から、しくしくと泣く声が聞こえてきます。

 どこかで聞き覚えのある声です。ハルは気になってその方へと向かいました。


 立ち並ぶお店の間の小さな路地に泣き声の主は居ました。


「えっ、イチカ」


 そこに居たのはボロボロになったイチカでした。

 辺りに綺麗なハチドリの羽根がいくつも散らばっています。

 服は砂だらけ、髪はみだれて、いつも付けている可愛らしい花の髪飾りがなくなっていました。


「どうしたのイチカ」


 ハルは急いで駆け寄ります。

 イチカは涙をぬぐい、ハルを見上げました


「ハル、ごめんね、ぼろぼろにされちゃった」


 イチカは再び泣きながら説明をしました。

 この日イチカはあの男の子に呼び出され、今日こそとっちめてやるとやって来たのです。

 しかし男の子は仲間を連れていて、イチカ一人では太刀打ちできませんでした。


「お気に入りの髪飾り、取られちゃった」


 男の子たちはイチカをさんざん痛めつけると、髪飾りを奪って逃げていきました。

 イチカはどうすることもできず、その場で泣いていたのです。


「イチカ、ごめん、わたしのせいだよね、ごめん」


 ハルは涙を浮かべてイチカに謝ります。

 きっと男の子は今までの報復をしにきたのだとハルは思いました。


「あいつら許せない、イチカをこんな目にあわせるなんて」


 そしてハルはイチカの髪飾りを取り戻すため、戦う決心をします。

 本当は怖いけれど、友達のイチカがこんな目にあっているのを見過ごすわけにはいきません。

 ハルは買い物袋を投げ捨てて、男の子たちを探しに走り出しました。


 男の子たちは商店街のそれほど離れてない所で笑いながら歩いていました。

 翼の先に生えた手にはイチカの髪飾りが握られています。

 ハルは一目散に駆け寄り、大きく叫びました。


「イチカの髪飾りを返して、卑怯者」


 男の子たちは振り向くと、ハルを見てげらげらと笑います。


「なんだよ、弱虫のダチョウ娘じゃないか」


 いつもいじめてくる男の子が笑いました。


「さっさと帰りな、痛い目にあうぞ」


 その隣の仲間がハルを脅します。

 お母さんの危ないハーピーには近づいてはいけないという言葉を思い出しました。

 しかしハルはそれでもイチカのためだと男の子たちに掴みかかります。


「イチカの髪飾りを返せっ」


 怖いのを堪えて挑んだハルでしたが、さっと男の子たちに避けられて地面に転んでしまいました。

 その様子を見てげらげらと笑う男の子たち。

 ハルは悔しくて涙が出そうなのをこらえ、立ち上がりました。


「ほれほれ、取り返してみろ」


 指でつまんでゆらゆらと髪飾りを揺らす男の子。

 ハルは怒ってとびかかりましたが、また避けられて地面に身体を叩きつけます。

 しかしハルは諦めません、泣きそうなのを堪えて立ち向かいます。


 立ち上がって、飛び掛かって、転んで、立ち上がって、飛び掛かって、転んで。

 何度も何度も飛び掛かっては地面に転がってもまた立ち上がり。


「しつこい奴だな、そんなに欲しけりゃくれてやるよ」


 男の子はいい加減面倒になって来たのか、高く飛び上がって空へと舞います。

 そしてあろうことか、近くにあったホタル灯のてっぺんに髪飾りを置いたのです。


「ほら、取ってみろよダチョウ娘」


 そう言ってげらげらと笑って男の子たちは去って行きました。

 ハルは追いかけようとしましたが、それよりもイチカの髪飾りの方が重要です。

 まだ幼いハルからしたら、街を彩るホタル灯はとてつもない大きな塔に見えました。


「イチカ待っててね」


 飛べないハルはホタル灯をよじ登ります。

 もうハルは無我夢中でした。怖さなんていつのまにか消えていたのです。

 ハーピーの大人たちが気がついたときには、ハルはすでにてっぺんにたどり着いていました。


「あった、イチカの髪飾りだ」


 ハルはうんと手翼を伸ばし、イチカの髪飾りを手に取ります。

 綺麗な花の髪飾り。すこし汚れてしまいましたが、洗えばきっと綺麗になります。


 しかしここで、ハルはバランスを崩して落っこちてしまいました。

 身体が真っ逆さまに落ち、周りの大人たちが叫びます。

 ハルはイチカの髪飾りを大切に抱えて、落下に身を任せました。


 大人たちの中から一人飛び出すものが居ました。

 そのハーピーはハルを見事にキャッチ。間一髪のところでした。


「これはこれは、誰かと思ったらうちの小さな常連さんじゃないか」


 ハルが目を開けると、いつもおいしいはちみつパンケーキを作ってくれるゼフさんがいました。

 辺りにはゼフさんの買い物袋とその中身が散乱しています。

 無我夢中で助けてくれたゼフさんに、ハルは感謝しました。


「ありがとうゼフさん、助かりました」


 ゼフさんはハルを優しく地面に下ろし、安堵した様子で言いました。


「いいんだよ、しかしどうしてホタル灯なんかに登ったんだ、危ないじゃないか」


 ハルは注意するゼフさんに頭を下げて、こうなった経緯を説明しました。

 ゼフさんは男の子たちに憤り、ハルの勇敢さを褒め称えます。


「ハル、君は勇気を出して立ち向かった。君はあんな卑怯者たちよりもとても強い子だ」


 その言葉にハルは少し照れ臭くなり頬を掻きました。


「ハルっ」


 大きな声をあげながらやってくるのはイチカです。

 イチカはハルに駆け寄って、ぎゅっと抱きしめてきました。


「ハル、ごめんね、一人で行かせちゃって」


 ハルはいつもイチカにやってもらっているように、イチカを撫でました。


「大丈夫だよイチカ、それよりほら、髪飾り」


 そしてそのまま、イチカに髪飾りを付けてあげました。

 服は汚れてしまっていますが、いつもの可愛らしいイチカです。


「ふふ、ありがとうハル」


 イチカが照れ臭そうに笑うと、ハルもえへへと笑いました。

 周りの大人たちは勇敢な行動を見せたハルに賞賛の拍手を投げかけたのです。


                  ◇


 買い物を済ませた帰り道、砂だらけの二人は仲良く手をつないで帰ります。

 大人たちはハルとイチカに男の子たちに謝らせることを約束してくれました。

 二人とも上機嫌で帰路を歩いています。


「ねえイチカ、わたしね」


 途中、ハルが真剣な表情でイチカに語ります。

 それはこの騒動を経験してハルが決意したことでした。


「わたし、もっと強いハーピーになるからね。もう弱虫だなんて言われないような、そんなハーピーになるからね」


 それは友達を守りたいというハルの願いが詰まった決意でした。

 しかしイチカは心配そうにハルに言います。


「ハル、無茶なことしたら駄目だよ、約束して」


 ハルはこくりと頷いて、約束の印に指切りげんまんをします。


「うん、約束」


 そして二人でえへへと笑いあったのでした。


 その日からハルの特訓が始まりました。

 飛べないハルはまずは体力作りだと走り込みを始めます。

 脚力をつけるため近所を毎日のように駆けまわり、いつもへとへとになって家に帰りました。


「ハル、急にどうしたの」


 ハルのお母さんは心配してハルに聞きますが、ハルはこう答えます。


「お母さん心配しないで、わたしは強くなるんだ」


 その答えにお母さんはまた首をかしげるのです。

 しかし、一生懸命なハルに口をはさむこともできず、ただ心配そうに毎日見守っていました。


 走り込むうちに、ハルは走る楽しさを見出していきます。

 気持ちいい汗をかき、風が頬をすり抜けていく感覚は、彼女をとりこにしていきました。

 きっとこれは飛ぶのと変わりない気持ちなのだと考えたハルは、ますます走るのに夢中になっていきました。


 近所のハーピーたちからは、最初は"飛べないかわいそうな子"という目で見られていました。

 しかし楽しそうに走るハルを見ているうちに、何人かのハーピーはその見方を変えます。

 やがて"彼女は地上を飛んでいるのだ"と比喩するようになり、応援する者まで現れ始めました。


 雨の日も風の日も、毎日毎日走り続けたハル。

 イチカが襲われてから一年が経った頃には、"爆走娘"というあだ名まで付けられるくらいになりました。

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