第48話 飼い犬になる

「みつる君のお母さん、こんにちわ」

「こんにちわ、一緒に居るのはもしかして、あゆちゃんのお母さんですか?」

「あ、はい、あゆの母です」

「あゆちゃんにはお世話になっています、美剣美咲みつるぎみさきと申します」

「あ、ご丁寧に、私は潤井蘭うるいらんと申します」


「お母さんに一度聞いてみたいと思っていた事あるんですよ、早速、私の部屋ウチに来てくださいな」

「え、あの」

「何号室ですか?私は用事が終わってから行くね」


 にっこりとしながら言って、麦を見放した。後で合流する事にはなっている。

 エレベータが到着し、10階まで連行される麦を見て俺は思った。

 お前の死は無駄にはしないぞ、と。



 そうして、俺は自分の部屋の前にたどり着いた。

 表札を確認すると俺の名前が書いてある。

 2人と一枚のパンツという尊い犠牲を払ってたどり着いた場所だ、さっさと必要な物を回収せねばならない。


 ささやかな達成感に浸っていると、誰かに俺の腕を掴まれた。

 そして、相手の顔を確認する間も無く、隣の部屋に引き込まれる。


 一瞬の出来事で状況を理解できないでいた。

 何かのホラーかと思って目を閉じてしまっていた。

 相手の荒い息遣いが聞こえる。


 相手が人間であることに安堵して、ゆっくりと目を開けてわかった。

 俺を部屋に引き込んだのは、彩月さんの元カレの梶とかいう奴だった。


「何する気?」

「何したらいいんだ」


 意味がわからない。

 馬鹿な奴だとは思っていたけど、会話もろくにできないとは恐れ入った。


「用が無いなら放してくれる?」

「だめだ…、いや、少し考える時間をくれ、危害を加えるつもりはないから逃げないでくれ」

「……じゃあ腕を掴む力を抜いてよ、痣ができるから」


 腕から手を放すと、ドアにチェーンロックを掛けられてしまった。

 かなり高い位置にあり、俺には外す事が出来ない。


「トイレ…トイレ行く」

「いいが、荷物は置いて行け、携帯を持ってないか調べる」


 そうしてリュックごとスマホを没収されてしまう。

 そのリュックは高い棚の上に乗せられた。


 俺はトイレで状況を整理する。


 う~ん……。この状況、かなりヤバイ?

 俺は何日くらい監禁されるんだ?

 潤井さんと麦の事を脳内ジョークで死んだ事にしたからその報いで殺されるとかないよな?


 唯一の救いは、一人で俺が勝手に失踪したのではなく、潤井うるいさんや麦が目を離した隙に居なくなったと言う事だ。

 そう、誘拐されたのは潤井さんにも責任があり、会社的にも潤井さんがどうにかフォローするべきだ。

 つまり、監禁が複数日に続いた場合、有給休暇が貰えると言う事だ。


 と、いう邪念は横に置いておいて、実際に逃げる手段がない。助けを呼ぶ手段もない。

 唯一助けを求めれるのは110番にかける事だ。

 部屋の電話でかけれる。しかし警察は面倒だ。新聞に載って素性を探られるのも勘弁してほしい。

 それに、何か変な行動をしようとすれば、下手したら殺されかねない。

 何せこいつは子どもに容赦なく暴力を振るう。

 その事はこの体が覚えている。


 それで、今できる事は何かと考えると、説得かメンタルケアって所か。

 全ては奴次第だ。まともな神経であれば誘拐自体が発覚すれば人生が終わるとわかるだろう。

 そっと諭してやればいい。


 ドンドンドンッ


「まだ終らないのか?長いぞっ」

「そんな聞き耳を立てられたら出る物も出ないです」

「ちっ、離れているから早くしろよっ」


 実際出る物はないので、水を流して用を足したふりをした。

 手を洗い、トイレから出ると律儀にもちゃんと離れてくれていた。


「おい、髪を上げろ」

「あ、はい」


 カチッ


 小さな鍵付きの首輪をつけられた。

 ペット扱いかよ、3回回ってワンとでも言えってか。

 首輪には長い紐がついていて、ベッドに括りつけられている。

 間違いなく、明らかに状況が悪化していると言える。


 俺は大人しく座り込む。

 どういうつもりかわからないが、今話しかけると悪い方向にしか展開しない気がした。


 と、言うよりは俺の脳内には恐ろしい妄想を始めてしまった。

 首輪だけでは不安になって更に逃げられないようにアキレス腱を切ったり、喉を潰したり。それならまだましかもしれない、足首ごと切ったり、いやいや、太もも辺りからばっさり切られて逃げ出せなくしたりとか、そして腕も切り落とされて、身動きが取れないまま食事もとらせてもらえず、餓死───。


 そんな想像してしまったせいか、足がすくんでまともに立っていられなかった。

 スプラッタ映画とかなら、彩月さんに抱きしめてもらえば多少なりと恐怖は和らぐのに、そんな柔らかい物が何もない。

 三角座りで恐怖心をぐっと抑え込む。

 泣いたら泣いたで、怒って暴力を振るいかねない。

 状況の変化するまで耐える事だけを考えた。



 だが、その状況の変化はあっさりと訪れる。

 微かに聞こえる程度だが、俺のスマホが鳴っている。

 しかもこの着信音は麦からの電話だ。


 その時、俺は一つのミスを犯した。

 麦がその気になれば、俺のスマホをハッキングして位置情報やカメラ、マイクを有効にしてこちらの状況を伝える事ができる。

 そこに希望が見え、そして表情に出してしまった。

 そして、梶がその事を見逃さなかった事だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る