呪いの絵画

あるふぁべっと

呪いの絵画

(主人公は女性です)


 先日、あんまり退屈だったから、呪いの絵画を飾ってあると評判の展覧会を訪れた。その展覧会は都内のとある美術館の一箇所に催されたもので、なんでも死んだ人の作品ばかり展示されてあるらしい。薄暗く整然とした会場には、作品の数々が白色の電灯スポットライトもとに等間隔で並べて飾られてあった。(それは私に、どこか斎場らしい感じを与える光景であった。)


 来場者の数は思っていたよりも多くはなかった。けれども、やはり呪いの絵画の近くには人がたかって、なかなか動こうとしなかった。その人達は連れ合いと「気持ち悪い……」とか「グロいね……」とか、各々の感想をひそひそと語り合っていた。呪いの絵画を正面から観たい私は、その人達の動くのを待たねばならず、結局、私がその正面に至ったのは十分程経った後だった。(私はその人達の、いかにも俗物ミーハーなのを冷笑せずにはいられなかった。しかも、なかなか動かない人達の大抵は、ロクな審美眼を備えていないだろう若い男女カップルだったのである!)


 呪いの絵画は『遺体』と題して、臓物をぶちまけた女の遺体が雨に打たれているのを描いたものだった。場所はどこか河原だろう。血肉の赤色に肋骨の白色が映えて見えた。そしてその色の塗られ方は豪快や壮絶というより、まるで作者が絶叫しながら筆を叩きつけた、といった感じがした。私はもっと、新しい何かを絵の中に発見しようと、周囲の人集りからちょっと一歩前へ出た。(その時、周りから見られるのを感じた。)すると、なるほどやっぱり呪いの絵画である。観るものの興味を離さない魅力が確かにある。荒々しい絵だけれども、細かい箇所は精密で、きっと達人が殊更ことさら下手に描いたのだろう。……


 展覧会を訪れてから十分も経たないうちに、私は外へ出た。外はまだ日の高い夏であった。昨日の雨の影響せいでジメジメとしていたうえに、都会に見下される狭い道に人通りは多かった。私は仕方無しにその一人となってしばらくはダラダラと道を歩いた。が、私は次第にまた退屈の膨らんでくるのを覚え、すぐ近くのカフェに避難することにした。


 店内は木造りの良い香りのする、天井の高い装いであった。私はブラックコーヒーを一杯、特に甘そうなパフェを注文して、それらにちょいちょいと匙を加えながら、窓に見える雑踏を眺めながら、何とはなしにただ時が過ぎるのを待っていた。ところへ、


「すみません」


 私に声をかけたのは、私の知らない若い男であった。(男は染めた白い髪に白い肌で、顔は小さく、妙な模様の服を纏っている、怪しい見た目をしていた。)


「さっきの展覧会、来てましたよね。あの絵をずっと観てた……」


「ああ、はい、そうですけど」


「あ、いや、突然話しかけてごめんなさい。ちょっと意外だったので……」


「そうですか?」(そう尋ねた際、私はこの男の期待する台詞セリフを言わされたという感じがした。事実、それから男の喋るのには、まるで面接官に詰問される人が用意した台本を基に答えている、という感じがあった。)


 そんな時、新しい客が店に一人入って来た。男はその方をちらっと見た。ところで、私は男がいつの間にか私の占めるテーブルに掌を据えていたのに気がついて、


「あ、邪魔になるかもしれないんで……」


 と席を勧めた。すると男は店の静けさをはばかる調子で礼を言い、私に向かう席に座った。


「まあそれで……お姉さん、おいくつですか?」


二十はたちです」


 私は正直に答えた。すると男は意外そうな顔を表して、


「うそ、俺のが歳上なんだ。 ……いや、すごい大人っぽいから驚きました」


 と言った。(私は何となく、男がそう言い繕うだろうと予知していた。それは何の為の予知であったか分からないが、それと同時に、この男のどこか軽薄うすっぺららしい感じを抱かずにはいられなかった。)


「まあ、大人ではあるんですけどね」


「ハハハ、まあそうですね」


 男は私と同じ品を出すように頼んだ後で、こういう話をし始めた。あんなにグロテスクな絵画をまじまじと観る人は珍しい。それどころかお姉さんのような若い女性がそうなのは尚更だ。大抵の人は、呪いの絵画だとかSNSで持て囃されるのに興味を沸かして観に来ている。お姉さんは自分の眼でもってあの絵を観ていた、という感じがした。……


「それで、あの絵を観てどう思いました?」


 急な質問に、私は何事かを隠蔽するような気持ちで、なかなか答えを言わずに冗談をしながら、一旦は正直に良い絵だったと答えようとした。けれども、急に私の心に、この目前の男をたぶらかしてやりたいという一種の破壊欲がこみあげて、私は微笑を浮かべていかにも正直らしく、


「へたくその描いたみたいな、つなんない絵だと思いました」


 と答えた。(そうして、私は男の顔の上に起こるだろう僅かな変化さえも見逃さないといった心構えで、男を見た。)すると男は、フっと笑って、


「ですよね」


 と同情した。(私は、ただつまらないと思った。)


 それから男は、私の美術を観る眼が優れているだとか、あの絵を褒めるのは馬鹿ばかりだとか、普段から美術館に来るんですかとか、実につまらない話をし続け、私はいい加減な相槌ばかりをうって、ただ時の過ぎるのを待っていた。


 そうして何十分が経っただろうか。私も男もとっくに食い終わったまま居座っていた窓際のテーブルを立って、男は話に付き合ってもらった礼だと言って合計を店に支払った。


「お姉さん、いつか暇だったら連絡してよ」


 店を出て、別れようとしたその時に、スマホを片手に男はそう言った。私は言いたいことをちょっと考えた後、


「正直、あの絵を最初観た時は良い絵だと思いました。けどさ、アナタの話聞いたら、なんだかクソみたいな絵だって思い出しました。ただグロい絵で目立とうとしただけって感じ。で、まあネットとかの情報に流されてた私もクソだし、それっぽいこと言ってヤろうとするアナタもクソってことで、まあ、そんな感じですかね」


 そう答えた後に、「ごちそうさまでした。これは、正直」とだけ言って男を後にして店を離れた。それから、私は男の話した美術史も、呪いの絵画の容貌も、ベットに寝る時は何にも覚えていなかった。男とは以来会わないし、美術館にも訪れない。

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呪いの絵画 あるふぁべっと @hard_days_work

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