第3話 身勝手イケメンなんて放っておいて芽衣を助けるよ!



 気がつくと私は通学路にある十字路に立っていた。


 隣にはなぜか、あの死んだ目の男が立っている。というか上半身が浮いている。




 うら若きJKに服を脱げと再三告げた不埒な男。


 ハッとして自分の衣服を確かめると、ゆったりとしたドレープのある手触りの柔らかいローブに変わっていた。




 声が耳にではなく頭に響いてくる。


「もう少ししたらおまえの友人がここを通る。学校から来て曲がり、こっちの通りを歩いていくはずだ。そうだな?」


 私は頷いた。いつもの下校道だから。




「次の曲がり角に出るまでに、そいつを振り向かせ、笑顔にできたら成功だ」


 表情の読めない顔をにらみつけた。


「待ってよ、成功って? 芽衣はどういう状態なの? 失敗したらどうなるの?」




「心を閉ざしている。目の前でおまえのようなおっちょこちょいに死なれていい迷惑だ。失敗したら? 特に変わらん。そいつが人生を棒に振るだけ」


「自殺とか?」


「いや、幸せにも不幸せにもならん。もう何も感じたくないと思っているようだな。前途有望なJKがそれでは可哀そうだとは思うが、本人がそれでいいならそれでもいい」




「何それ? じゃなんでアンタは私にこんなことさせるの?」


「自己都合だ。おまえが成功すればオレにいいことが起こる。失敗すればおまえは悔やむだろうが、オレは別に困らん」


「ひどっ!」




 男は苦笑もせずに促した。


「ほら、来るぞ。向こうの曲がり角まで300メートル、おまえに許されるのはその間だけだ」




 無情男に構っている暇はない。大事な芽衣が私のせいで心を閉ざしている。それを治す。私はくるりと学校から来る道に身体を向けた。




 芽衣は……ずうっと俯いて歩いている。足が重たそうだ。肩が傾いで、見るからに痛々しい。隣の男と似たようなうつろな瞳で、私たちの気配に気づきもせずにぬぼっと四つ辻を曲がり、通りに入ってきた。




「始め!」隣で男の声がする。


 私は芽衣の遅い歩調に合わせて後ろから声をかけた。


「め〜い、春陽はるひだよ、後ろ向~いて」




「普通にしゃべっても声は届かん。心で話せ」


 横の男が煩い。




「ね、田中君とはどうなったの? 付き合ってないの?」




「…………ないな」


「アンタに聞いてんじゃないの!」




「うちの両親とか兄貴とか悲しんでる?」




「…………病院と葬式以外会ってない。あんな死に方されちゃ、何話していいかわからんだろ?」


「だーかーらー、ちょっと黙っててよ。芽衣の心に届くことを見つけなきゃなんないんだから!」


「その通りだ。あと200メートル」




「え、もう? えっと、えっとぉ……、ねぇ芽衣、珠莉じゅりまだあんなことしてんの? 困った女だよね、ほーんとはた迷惑。一人の男繋ぎとめてしっかり付き合う自信がないんだと思うよ? なんかトラウマでも抱えてんのかもしれないし………」


 今度は隣から茶々は入らなかったが、芽衣も振り向く様子はない。




「芽衣が悪いんじゃないからね? 私はただすっ転んで頭の打ちどころが悪かっただけ。運が悪かったのよ。だから気に病んじゃだめだよ?」


「よくわかってるじゃないか」


 芽衣の反応を見もせず即答した男を睨みつけた。




「アンタね、いい加減に……」


「あと100メートル……」




 私は頭を抱えた。


 何、何を言えば芽衣に届く? 


 あ、別に私だとすぐには気付かなくても、まず振り向かせればいい? 怖がらせるとか?




 両手をだらりとして低い声を出す。


「オバケだぞぉ〜、春陽が化けて出たぞぉ〜!」


 隣の男は片手で顔を隠して俯き肩を震わせ笑った。「うわー!」と感動しかけたけれど、今はそれどころじゃない。




 思い余って芽衣の前に出ようとしたら、男にぐいっと腕を掴まれた。笑顔はもう引っ込んでしまっていた。


「後ろから、だ。振り向かなきゃ意味がない。あと50メートル」


「もうー!!!」




 私は男の手を振り払って芽衣の背中を見た。セーラー服の白が眩しい。青い後襟が今日の空のように爽やか。


「芽衣、やっぱセーラー似合うよね。同じ高校行けてよかった。去年初めて夏服来た時、これならすぐに彼氏ができそうって二人で笑ったのにね。私のタイよく結び直してくれたけど、芽衣はちゃんと着れてる? 見せてくれないかな? あーあ、私も夏服着たかったなあ、冬服はセーラーって感じしないもんね……」




 俯いてしまった私を男が横から小突いた。顔を上げると芽衣が、どこを見ているかわからない瞳ではあっても、振り向いてくれていた。



「芽衣、かっわいいよ!」


 考える間もなく言葉が出ていた。そして心で「笑って!」と叫んだ。




「大好きだから、楽しかったから、中学校から親友でいられて本当に嬉しかったから、芽衣には幸せになってほしいの! 顔色悪く見えるのは逆光のせいなだけ! 笑ってくれたら私は安心して成仏できるから!」


「ジョーブツって……」隣の男がまた肩を震わせて笑っていた。




 それにつられてか、芽衣の柔らかそうな口唇が横に引かれ、瞳に優しさが灯った。


「春陽……、夏の日差しはキツいよぉ……」




「ブッ」私は吹き出して笑った。「大丈夫だから、頑張んな!」




 私の目には涙が滲んだけれど懸命に笑いかけた。胸が詰まって、もう何も言葉にできそうにない。


 芽衣の顔に浮かんだ幽かな微笑は微苦笑になり、まなじりに「淋しいな」という色を湛えて泣き笑いになった。




 急に低い声がした。男が芽衣に話しかけている?


「ハルヒは異世界の王が貰い受けた。幸せにしてやるから心配するな」


「へ?」


 私はヘンな声を上げて男を見上げ、芽衣は「春陽、いるの?!」と声を上げた。




 異世界の王にしては若過ぎる男は私の手と芽衣の手を握り合わせ、自分の大きな手で包んだ。


「これで話せる。いや、話さなくていい、双方向に思いが行き交う」




 私は手から伝わる芽衣の溢れる思いを受け取った。芽衣の瞳にも生気が戻り、泣き笑いが顔全体に広がっていく。


「これでいい」




 情動が体内を駆け巡りくらりとしたら、男の胸に抱き止められた。


 芽衣は「ありがと」と呟き、素敵な笑顔を残して前を向いて歩いていく。




 もぞっと見上げると、見下ろした男の目に煌めきがあった。


 まるで私を愛おしいとでもいうかのように。


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