次の日、瑞希はバイト先へ謝りに航平と向かう。

 瑞希は不安でたまらなかった。直美は、店長は怒っているだろうかと。そのことを考える度に、胃がきゅうっと締め付けられた。 


「大丈夫、ちゃんと謝れば許してくれる。瑞希にはやむ得ない理由があったんやから」


「うん・・・」


 やむ得ない理由。それは任務の事なので絶対には言えないが、瑞希にはちゃんとした理由はあった。しかしそれは話せない以上、それは理由にはならない。

 瑞希は心を痛める。直美に嘘をつくこと、そしてやさしさを仇で返すような形になったことを。直美に嫌われたくない。瑞希にはその気持ちが強くあった。

 瑞希は梅香菜に来ると、航平と共に店の中へと入って行った。

すると店に入った途端、直美が一番に駆け寄って来て、瑞希のことを抱きしめた。


「直美・・・さん?」


 予想外のことに驚く瑞希。


「昨日はどこへ行ったん? さっきまでいたと思ったら急におらへんようになるし。すごく心配したんやからね!」


直美は涙声でそう言う。


「すいません、直美さん・・・」


 ちゃんと謝りたいのに、上手く言葉が出てこない。


「本当に、無事でよかった・・・」


 直美はぎゅっと瑞希のことを抱き締めた。その力の強さに瑞希は胸が熱くなる。自分の事をこれほど心配してくれる。そのことが本当にうれしくて。


「本当にすいませんでした。みず・・・ いや、美和が迷惑掛けまして」


 瑞希を抱き締め涙ぐむ直美に、航平が近付き謝罪をする。

 直美は航平を見て、「えっ?」と、驚いたように目を大きく見開いた。そして、「慎吾さん・・・?」と、航平に聞こえないような小さな声で呟く。聞き取れなかった航平は、「えっ?」と、直美に聞き返す。しかし直美は、「い、いえ! 何でもありません」と、誤魔化すように笑みを浮かべた。


「直美さん。この人は航平さん、私の親戚です。昔から私のことを心配してくれて、今日もバイトに謝りに行くと言ったら、俺も行くと言って一緒に来てくれたんです」

 瑞希がそう直美に説明すると、直美は「そ、そう。やさしいお兄さんなのね」と答えた。


「はい」


 そして瑞希は満面の笑みを見せる。


 航平は親戚のお兄ちゃん。これが瑞希と航平が決めた設定。しかし、直美が言った「やさしいお兄さんね」というのは設定にない。これは瑞希が航平に対して純粋に感じたこと。今見せる瑞希の笑顔は、設定でも嘘でもない、航平に感じた純粋な思いなのだ。


「昨日、バイト前に知り合いを見つけ、追い掛けたらしいんです。それで体調が悪くなりまして・・・ たぶん走ったからだと思います。美和は昔から体が弱くて、走ったりするとすぐに体調が悪くなるんです。それで昨日、私が迎えに行きました。その時に、ちゃんとこちらに連絡を入れるべきでした。本当にすいませんでした!」


 航平は直美に深く頭を下げた。


「いえ、いいんですよ。でも無事で本当によかったです」と、直美も笑顔でそう答えた。


「兄さん、店長さんにも謝りに行く」と、瑞希。


「えっ? この方が店長さんじゃなかったのか?」


 直美の大人っぽく、落ち着いた感じから、航平は勝手に店長だと思い込んでいた。


「私、そんなに老けて見えますか?」と、直美は少し悲しそうにそう呟く。


「い、いえ。決してそういうわけではありません! とても落ち着いていらっしゃるので、そうかなと思っただけです」


 航平は慌てて、老けているということについて否定する。そしてそこで褒める言葉でも入れればいいが、不器用な分、何も言えない。


「不器用なところも似てる」


 直美がそう漏らした言葉に、航平は「えっ?」と聞き返すが、「いえ、こっちの話です」と、直美は笑みをこぼした。そして「店長なら中にいますよ、どうぞ」と、航平を店の中へと誘導する。


「では、失礼します」


航平は店の中へと入って行く。


「ちょっと、美和ちゃん!」


 すると航平と一緒に入ろうとする瑞希を直美が引き止めた。


「なんですか?」


「お兄さんって、なんて苗字なの?」


「えっ?」


 瑞希は迷った。自分は偽名でここに潜入しているが、航平は偽名を設定していない。本名を言っていいものかと迷ったが、直美さんに言うなら問題ないと思い、「光島です」と、答えた。


「光島・・・ そう・・・」


「直美さん?」


 直美の反応に、瑞希が不思議そうに首を傾げる。


「うん? いや、なんか知り合いに似てたから気になって。でも苗字が違うし、人違いみたい」


「そうですか・・・」


 直美の言葉に何となく納得した瑞希。けど、何か違和感だけは残っていた。それはきっと、直美が少し幸せそうな表情を見せたからだ。人違いと言ったが、そうには見えなかった。

 しかし直美が嘘をつく理由も見当たらず、瑞希はそのままこの話題を流した。


 航平は無事に主任にも挨拶を済ませると「じゃあまた、バイトが終わるころに迎えに来るから」と言って仕事へ戻って行った。

「本当にやさしいお兄さんね」

直美は再び航平を褒める。

 本当はただの同僚、瑞希の監視役。しかし本当にやさしい人。

 瑞希は直美の問い掛けに「はい!」と満面の笑みで答えると、幸せそうな表情で航平の後姿を見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る