3
「傷口、見せてみろ」
本部長室を出た後、瑞希と航平は、留置場にある少ない瑞希の荷物を取りに行った。そして航平はそこで救急箱を借り、銃弾をかすめた瑞希の左の太ももの治療をする。
「ちょっと沁みるぞ」
航平は傷口に消毒液を掛ける。瑞希は「痛っ!」と、顔を歪ませた。
「本当は医者に見せた方がええんやろうけど、これくらいの傷ならなんとか大丈夫か」
そして消毒した後はガーゼを傷口に当て、包帯を巻く。
「ちょっと、あんまりベタベタと人の脚を触らんといてよ」
「ああ、すまん。気を付けてはいるんやけどな」
なるべく触れないようにはしているが、しっかりと包帯を巻くにはどうしても触れてしまう。航平は極力触れない様に包帯の上を持ち、ぎゅっと締める。
そんな航平の様子を、じっと見つめる瑞希。
「ねぇ・・・? なんでそんなに・・・やさしくしてくれるの?」
「えっ? 別に。怪我人がいたら普通、治療するやろ?」
「しないよ、そんなこと・・・」
瑞希が囚われていた兵庫県警の中では、少なくともそんな人間はいなかった。ただ救急箱を渡されて、自分で治療するだけ。航平のように包帯を巻いてくれる人間なんていなかった。
「ねぇ、なんで? なんで私を引き取ったの?」
疑問だった。自分を引き取っても何の得にもならない航平が何故、自分を引き取ったのか。瑞希はそれをどうしても聞いておきたかった。
「えっ? 別に意味なんかない」
嘘だ。意味もなく、こんな面倒くさい子供を引き取ったりなんかしない。
「体を使った潜入捜査・・・ってやつのため?」
「はぁ?」
瑞希の言葉に、航平は眉間に皺を寄せる。
「私の体って、男の人から見て魅力的なの? あなたも抱きたいって思ったの?」
「はぁ・・・ アホか」
航平は呆れたように息を吐いた。
「じゃないとおかしいでしょ? あなたが私を引き取る理由なんてない!」
航平は包帯巻き、最後はぎゅっと結ぶ。その作業を終えてからゆっくりと口を開く。
「別に理由なんてない。ただ、そうした方がいいと思っただけや」
「そうした方がいいと思ったって・・・」
瑞希はそんな答えで納得いかない。そんな無償のやさしさを与えてくれる人なんて、この世には存在しないと思っているからだ。
「大丈夫、おまえにどうこうしようって気はない。おまえの体には興味ないから安心しろ」
「なっ・・・」
それはそれでちょっとショックな言葉だ。瑞希は少しだけ胸にグサッときた。
「それにそんな潜入捜査、俺が絶対に認めない。女の子が体を売って任務を行うなんて、間違ってる」
航平はとてもまともなことを言っている。しかし瑞希は何故か腹立たしい。
「間違っているって、それはあなたの意見でしょ? 私がどう思っているかは無視なの?」
「どう思っているか? じゃあ、おまえはそんな任務に就きたいのか?」
「ええ、就きたいわ。それで早くお金が返せるなら」
瑞希がそう啖呵を切った瞬間、航平がぐっと瑞希に近付き壁まで追い込むと、瑞希の両手を掴み頭の上で抑え込んだ。身動きの取れない瑞希の腰に手をまわすと、ぐっと自分の方へと引き寄せる。
航平の顔が数センチのところで瑞希を見つめている。そして腰にまわされた手がゆっくりと体を撫でている。
恐怖か、それとも緊張か、瑞希の胸がドキンッと鼓動を打つ。
「どうや、怖いやろ?」と、航平。
「えっ?」
瑞希は突然のことに反応ができない。
「おまえが言ってる任務ってのは、こういうことやぞ? いや、こんなもんじゃない、もっともっと酷い目に遭うんやぞ? 想像くらいはできるやろ?」航平はそういうと掴んでいた瑞希の手を放し、「こんな目に遭いたくないやろ?」と、言った。
瑞希は胸の鼓動が止まらない。これが嫌なこと? 恐怖? それが上手く理解できないでいる。
「だから俺は、絶対おまえにそんなことはさせない」
「させないって・・・ どうするのよ・・・ しないで済む方法何てあるの?」
「う~ん・・・ それはこれから考える」
航平のこの反応を見てわかった。瑞希は何故、腹立たしく思っていたのかを。どうにもならないことがあって、諦めて、今の自分はある。そうしなければ生きて来れなかったからだ。それなのに航平は、諦めなければなんとかなる、そんな思いを持っている。瑞希がとっくに諦めてしまったものを、航平は持っているのだ。
無理なんだ、そんなこと。どうにもならないことなんだ。瑞希はそう、自分の現状を受け止めてやってきた。それなのに、航平がそれを壊そうとしている。
瑞希の心の中を、やるせない気持ちが暴れている。苛立ちが込み上げてくる。そして涙がこぼれ落ちる。
「よかった、まだ感情はあるみたいやな」
瑞希の涙を見て、航平はホッとしたように笑みを浮かべる。
その表情を見て、さらに瑞希の苛立ちは増していく。
「死んだような目をしてたから心配した。でも大丈夫みたいやな」と、航平。
「大丈夫なわけないやろ! 何なんよ、あんたは!」
するとその瞬間、あたたかいものが瑞希を包み込んだ。
「えっ?」と、瑞希が驚きの表情を浮かべる。
航平が瑞希を抱き締めていたのだ。
やさしくて、あたたかい、胸のぬくもり。
さっき拳銃で撃たれた時も航平はこうしていた。その時にも感じたものだ。
瑞希は不覚にも泣いてしまった。今さらこいつに心を乱されたくない、決意したことを揺らがされたくない。そう思いながらも航平の胸で泣いてしまったのだ。
その胸が、とてもあたたかくて、やさしかったから。
この日、花村瑞希は、兵庫県警察本部の留置場を出所した。
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