「傷口、見せてみろ」


 本部長室を出た後、瑞希と航平は、留置場にある少ない瑞希の荷物を取りに行った。そして航平はそこで救急箱を借り、銃弾をかすめた瑞希の左の太ももの治療をする。


「ちょっと沁みるぞ」


 航平は傷口に消毒液を掛ける。瑞希は「痛っ!」と、顔を歪ませた。


「本当は医者に見せた方がええんやろうけど、これくらいの傷ならなんとか大丈夫か」


 そして消毒した後はガーゼを傷口に当て、包帯を巻く。


「ちょっと、あんまりベタベタと人の脚を触らんといてよ」


「ああ、すまん。気を付けてはいるんやけどな」


 なるべく触れないようにはしているが、しっかりと包帯を巻くにはどうしても触れてしまう。航平は極力触れない様に包帯の上を持ち、ぎゅっと締める。

 そんな航平の様子を、じっと見つめる瑞希。


「ねぇ・・・? なんでそんなに・・・やさしくしてくれるの?」


「えっ? 別に。怪我人がいたら普通、治療するやろ?」


「しないよ、そんなこと・・・」


 瑞希が囚われていた兵庫県警の中では、少なくともそんな人間はいなかった。ただ救急箱を渡されて、自分で治療するだけ。航平のように包帯を巻いてくれる人間なんていなかった。


「ねぇ、なんで? なんで私を引き取ったの?」


 疑問だった。自分を引き取っても何の得にもならない航平が何故、自分を引き取ったのか。瑞希はそれをどうしても聞いておきたかった。


「えっ? 別に意味なんかない」


 嘘だ。意味もなく、こんな面倒くさい子供を引き取ったりなんかしない。


「体を使った潜入捜査・・・ってやつのため?」


「はぁ?」


瑞希の言葉に、航平は眉間に皺を寄せる。


「私の体って、男の人から見て魅力的なの? あなたも抱きたいって思ったの?」


「はぁ・・・ アホか」


 航平は呆れたように息を吐いた。


「じゃないとおかしいでしょ? あなたが私を引き取る理由なんてない!」


 航平は包帯巻き、最後はぎゅっと結ぶ。その作業を終えてからゆっくりと口を開く。


「別に理由なんてない。ただ、そうした方がいいと思っただけや」


「そうした方がいいと思ったって・・・」


 瑞希はそんな答えで納得いかない。そんな無償のやさしさを与えてくれる人なんて、この世には存在しないと思っているからだ。


「大丈夫、おまえにどうこうしようって気はない。おまえの体には興味ないから安心しろ」


「なっ・・・」


 それはそれでちょっとショックな言葉だ。瑞希は少しだけ胸にグサッときた。


「それにそんな潜入捜査、俺が絶対に認めない。女の子が体を売って任務を行うなんて、間違ってる」


 航平はとてもまともなことを言っている。しかし瑞希は何故か腹立たしい。


「間違っているって、それはあなたの意見でしょ? 私がどう思っているかは無視なの?」


「どう思っているか? じゃあ、おまえはそんな任務に就きたいのか?」


「ええ、就きたいわ。それで早くお金が返せるなら」


 瑞希がそう啖呵を切った瞬間、航平がぐっと瑞希に近付き壁まで追い込むと、瑞希の両手を掴み頭の上で抑え込んだ。身動きの取れない瑞希の腰に手をまわすと、ぐっと自分の方へと引き寄せる。

 航平の顔が数センチのところで瑞希を見つめている。そして腰にまわされた手がゆっくりと体を撫でている。

 恐怖か、それとも緊張か、瑞希の胸がドキンッと鼓動を打つ。


「どうや、怖いやろ?」と、航平。


「えっ?」


瑞希は突然のことに反応ができない。


「おまえが言ってる任務ってのは、こういうことやぞ? いや、こんなもんじゃない、もっともっと酷い目に遭うんやぞ? 想像くらいはできるやろ?」航平はそういうと掴んでいた瑞希の手を放し、「こんな目に遭いたくないやろ?」と、言った。


 瑞希は胸の鼓動が止まらない。これが嫌なこと? 恐怖? それが上手く理解できないでいる。


「だから俺は、絶対おまえにそんなことはさせない」


「させないって・・・ どうするのよ・・・ しないで済む方法何てあるの?」


「う~ん・・・ それはこれから考える」


 航平のこの反応を見てわかった。瑞希は何故、腹立たしく思っていたのかを。どうにもならないことがあって、諦めて、今の自分はある。そうしなければ生きて来れなかったからだ。それなのに航平は、諦めなければなんとかなる、そんな思いを持っている。瑞希がとっくに諦めてしまったものを、航平は持っているのだ。

 無理なんだ、そんなこと。どうにもならないことなんだ。瑞希はそう、自分の現状を受け止めてやってきた。それなのに、航平がそれを壊そうとしている。

 瑞希の心の中を、やるせない気持ちが暴れている。苛立ちが込み上げてくる。そして涙がこぼれ落ちる。


「よかった、まだ感情はあるみたいやな」


 瑞希の涙を見て、航平はホッとしたように笑みを浮かべる。

 その表情を見て、さらに瑞希の苛立ちは増していく。


「死んだような目をしてたから心配した。でも大丈夫みたいやな」と、航平。


「大丈夫なわけないやろ! 何なんよ、あんたは!」


 するとその瞬間、あたたかいものが瑞希を包み込んだ。


「えっ?」と、瑞希が驚きの表情を浮かべる。

 航平が瑞希を抱き締めていたのだ。

 やさしくて、あたたかい、胸のぬくもり。

 さっき拳銃で撃たれた時も航平はこうしていた。その時にも感じたものだ。


 瑞希は不覚にも泣いてしまった。今さらこいつに心を乱されたくない、決意したことを揺らがされたくない。そう思いながらも航平の胸で泣いてしまったのだ。

その胸が、とてもあたたかくて、やさしかったから。


 この日、花村瑞希は、兵庫県警察本部の留置場を出所した。


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