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航平が連れて行かれたのは兵庫県警察本部の本部長室。そこには本部長の梅沢、捜査一課の男、金井。そして制服姿の少女、瑞希の三人だけが部屋の中にいた。
瑞希の足は航平がハンカチで止血したまま、治療はしてもらえていないままだった。
航平はこの部屋の異様な雰囲気に、じっと目を凝らす。
「君がこの子を助けてくれたのですか?」
すると梅沢が瑞希の肩を持ちながら、航平に尋ねた。
「いや別に、俺はたまたま居合わせただけで・・・」
「そうですか。けど、お礼を言っておきます、ありがとう」
梅沢の言葉から感謝の気持ちがまったく伝わってこない。それに人一人の命が助かったというのに、喜んでいる様子もない。航平はそんな梅沢に違和感を覚える。
「君は、あのチンピラの男を追っていたのですか?」
瑞希の元を離れ、自分のデスクに向かいながら、梅沢は航平にそう尋ねた。
「はい、そうです。捜査一課も、あの男を追っていたんですか?」
そして今度は逆に航平が尋ねると、梅沢は「そうですね」と答えた。
「じゃあ、この女の子は何なんですか? 何故、あの場所にいたんですか?」
航平はここで謎に迫る。どう考えてもおかしい、あの場所に女子高生がいることが。しかも麻薬密売人に関係していることが。
梅沢は少し間を置いて、「君、名前は?」と、尋ねた。
「西生田署の光島航平と言います」
「光島?」
その名を聞いて、梅沢の表情が少し険しくなる。
「なんですか?」
「いや、別に。何でもないです」
梅沢はすぐにいつもの涼しい表情に戻り、続けて航平に問う。「ところで光島くん、今の署は好きですか?」と。
「はい?」
梅沢の質問の意図がわからず、航平は眉間に皺を寄せる。
「この子のことを聞きたいのですよね? でももし、この子のことを聞いたら、今の署には戻れなくなりますよ、それでもいいですか?」
梅沢の言っていることがますますわからなくなって困惑する航平。しかし今はそんなことより少女のこと、瑞希のことを知りたい。そういう気持ちが大きかった航平は「はい。いつかは県警本部の捜査一課に行きたいと思ってますから」と、答えた。
「そうですか、なら話しましょう」
航平の覚悟を聞き、梅沢は瑞希のことについて話し出した。瑞希が自殺した父親の借金を背負っていること、そしてその借金を返済するためにここへ来たこと。任務の事から母親のことまで、すべてを航平に話した。
「ちょっ・・・ ちょっと待ってくれ、何やそれ・・・?」
まったく予測していなかった返答に、今度は混乱する航平。理解が追いつかないまま言葉を続ける。「あんたたち、何を考えてるんや? 未成年の子供に何をやらしてるねん。頭は正気か?」と。
「おまえ、口の利き方に気を付けろよ!」
金井は航平の口振りに怒りをあらわにする。
「まあまあ、金井くん」
そんな金井を宥める梅沢。そして梅沢は航平の問いに答える。
「もちろん正気ですよ、光島くん。この子たちだってね、この任務がなくなれば、生きて行けないのですからね。これはね、ギブ&テイクなんですよ」
「はぁ? 何がギブ&テイクや! こんなの狂ってる、横暴や! 子供たちの弱みを利用して行う犯罪や!」
航平はそう怒りを梅沢にぶつける。これが普通だ、普通の人の意見だ。
「光島君、じゃあ君はこの子に手を差し伸べずに、苦しんで死ねと言っているのですか?」
「そんなこと言ってない! 警察の潜入捜査なんて、そんなことをさせている自体、死ねって言っているようなもんや! 借金を返す方法なら他にいくらでもあるはず。それに生きて行くための生活援助だってあるはずや!」
すると金井が、「おい、おまえ。ちょっと考えが甘いんとちゃうか?」と、言いながら瑞希の髪の毛を掴んだ。そして話を続ける。
「こいつが借金をしていることで、どれだけの人がお金を返してもらえず困っているか、そして困って来たか、おまえはわかってるんか? こいつの父親の会社が倒産して、どれだけの人が給料を貰えなかったか、それによって生活に苦しんだか、おまえにはわかるんか? その人たちにも家族がいて、生きて行かなあかんねんぞ? それを払えませんからすいませんと、相続拒否の書類一枚で終らせてええんか? 命削ってでも返すのが筋ってもんやろが!」
こいつの言うことはもっともだ。しかしこんな少女にそんな大金を背負わせるなんてあんまりだ。しかも父親が作った借金なのに、彼女は何の関係もないのに。航平は少女のあまりにもの辛い境遇に、胸が締め付けられる。
「こつはな、人に迷惑かけて生きてるんや、救いの手なんか求めたらあかんのや!」
金井はそう言って瑞希の頭を地面に向かって投げ捨てた。
そ んな金井の態度に苛立ちが沸き起こるが、今は何て言葉を言い返していいかわからない。航平はただ、金井を睨み付けた。
「光島くん、この子はもう高校生なんですよ。もう立派に責任を負える歳なんです。だったら働いて返さないと。それこそ人の筋ってものでしょう?」
金井の言葉の上から、更に梅沢が畳み掛けてくる。
何を言えばいい? 何を言ったら、こいつらを黙らすことが出来る? どうしたらこの子を救える? 航平はそんな言葉を必死に考えるが、まったく考え付かない。
「〇二九、おまえからも何か言ってやれ!」
金井は地面に投げ捨てた瑞希の髪を再び掴み、ぐっと持ち上げると、航平の方へと向かせた。
「〇二九?」
航平はその呼び名に怪訝な表情を浮かべる。
「ああ、それはこいつの拘束番号や。こいつらには名前なんて必要ないからな。さぁ、何か言え!」
金 井は荒々しく瑞希の頭を大きく振る。
「そんな・・・ 名前でも呼ばれてないんか・・・」
航平は驚きと、憐れむような表情を瑞希に向ける。すると瑞希は生気の抜けた目で航平を見ると、「私のことは放っておいて・・・」と、言った。それが今、瑞希がやっと絞り出せる言葉だった。
こんな子供が、夢も希望も失くして絶望している。
そんな高校生の姿に航平は、怒りか、痛みか、何かわからない熱い感情が込み上げて来て、胸がぎゅっと締め付けられた。
「そういうことや、おまえは余計な口出しするな!」
金井は偉そうな物言いで、そんな言葉を航平に投げつけた。
航平は悔しくて、拳を強く握りしめる。
高校生の少女が、とても背負いきれないものを背負わされて、理不尽なことをやらされている、酷い仕打ちを受けている。なのに自分は何もできない。航平は自分の無力さを嘆く。
「じゃあ光島くん、君には何をしてもらいましょうかね?」
梅沢が話を戻し、進める。
「えっ?」と、眉をひそめる驚く航平。
「当然でしょ? すべてを知ってしまった君には、この任務を手伝って頂きますよ?」
「なに? そんな話聞いてないぞ!」
「聞いてない? あなた、覚悟を決めたのでしょ? だから聞きたいと言ったのですよね?」
「いや、そういうつもりで聞いたんじゃ・・・」と、言う航平に、「これを聞いてしまったあなたは同罪。もう西生田署には、普通の刑事には戻れませんよ」と、梅沢が言葉を被せた。
「そんな・・・」
「だってあなた、外には漏らせない、機密情報を知ってしまったのですよ? ただで済むわけないでしょ?」
「・・・・・」
何も言い返せない航平。こんなはずじゃなかった。いや、こんな話だとは思ってなかったのだ。航平には重すぎる、とても背負いきれるものじゃない。
「すべてを知りたいと言ったのは、あなたです。覚悟を決めてください」
梅沢はニヤリと不敵な笑みを浮かべる。その表情は何とも恐ろしい、まるで死神のようだった。
少女のことに心を痛めるだけでなく、同じ任務に就かないといけない。彼女の事情を知りながら、彼女に任務の遂行を求めないといけない。そんなことは自分にできるのか? 無理だ、自分にはとても耐えきれない、そう思う航平。
しかし、航平は逃げることはできないだろう。梅沢がそれを許すはずがない。断れば、警察にいられなくなるどころか、普通の生活すら出来ないかもしれない。航平に選択肢はない。
航平は金井に掴まれている瑞希を見た。ぐったりとして、目は死んだ魚のようになっている。
航平は思う。ここでこの少女を見捨てていいのか? このまま死に向かうような任務に就かせていていいのかと。今すぐに無理でも、少しはマシな人生を歩めるように、せめて笑えるような毎日にしてやることが、今、俺に出来ることなんじゃないのかと。
そして航平は決断した。
「わかった。その任務、受ける」
「おお、そうですか。それは助かります」
梅沢は笑顔で航平を歓迎する。
一瞬は迷ったが、ぐったりと俯いている瑞希を見て、自分が少しでもこの少女の力になれたら、救えたらと思い、航平は任務に参加することを決めた。
「ただし、二つ条件がある」
すると航平は突然、梅沢に条件を提示し始めた。
「条件?」
意外な言葉に眉をひそめる梅沢。しかしその条件に、一応聴く耳は持っているのか、「なんですか?」と、尋ねる。
「まずは一つ目、この子を留置場から出して、普通のところへ住まわせてやってくれ」
「留置場を、ですか・・・?」
「ああ」
こんなところにいるなんて、まるで犯罪者だ。若い少女が、こんなところにいていいはずがない。航平は瑞希が県警から出て暮らすことを要求した。
すると金井が「ふざけんなよっ!」と、体を乗り出してきた。しかしそれを梅沢が手を上げ抑止する。
「それは難しいですね・・・ 彼女は拘束されている身、ここを出て、もし姿をもくらませてしまったら大変ですからね」
「そこは俺がちゃんと監視する。だから頼む」
「じゃあ、こういうのはどうですか? 〇二九を君の家に住まわせるというのは?」
「俺の?」
梅沢は突拍子もないことを提案してきた。それに驚きを見せる航平。
すると金井が「ちょっと、本部長! それはダメです!」と、納得いかないという声を上げた。しかしそれも梅沢が手を上げ抑止する。
「彼女にはいずれ体を張った捜査、まぁ簡単に言うと色気を使った潜入捜査をしてもらうことになります。しかし彼女は、まだ男を知りません。だから、あなたが男というやつを教えてやってほしいのです」と、梅沢はとんでもないことを軽く要求してきた。
「はぁ? 何を言ってるねん? この子はまだ高校生やぞ?」
航平は梅沢の意見に反論する。
「だから何です? 高校生の方が若くていいじゃないですか。それに〇二九は体の発育が良い。普通の男なら発情しない人はいないでしょう?」
梅沢はこんなとんでもない問題にも、表情一つ変えず、さらっとそう言い放つ。
狂っている。女性の体を張った潜入捜査だけでも信じられないのに、それを女子高生の少女にやらせるなんて。さすがにこれには航平も黙っていられない。
「ふざけんな! そんなことできるか!」と、航平は怒号を上げた。
「そうですか、できませんか。残念です・・・ では、この話はなかったということで」
「何でや? 何もそこまでやらす必要はないやろ? 普通の捜査だけで十分やないか!」
「普通だけでは駄目だから言っているんです」
梅沢は一体どこまで、この少女に何を求めているのか。
「悪を滅するには、手段など選んでいられないんですよ」と、梅沢は不敵に笑う。
普通の警察官は潜入捜査をあまりしない。もし行うなら、警察内部からの存在を消さなくてはならない、それくらい潜入捜査とは大変なこと。だから警察官でもない未成年の少女を使って捜査しているのだ。事実上は警察とは何ら関係のない彼女たちを。そんな彼女たちだからこそ、こんな潜入捜査が行えるのだ。手段を選ばない、女性の武器を使って誘惑する任務を。
「まぁ、君がしなくても誰かがしますよ。彼女がそういう捜査をすることは決まっていますからね。〇二九なら調教したいという男がたくさんいるでしょうねぇ。複数の男たちに調教されるのも、また勉強です。〇二九には立派な潜入捜査官になってもらいたいですからね」
ダメだ。このままだと瑞希は、欲情した男たちに好きなように身体をむさぼられてしまう。そんなのは絶対にダメだ。そう感じた航平は、「わかった。じゃあ、その役は俺が引きうける。だから外に出してやってくれ」と、梅沢に言った。
「そうですか、それは助かります。しかし調教の方は他の男も付けましょう。いろんな男に教わることがいいでしょうからね」
「それは必要ない、俺一人で十分だ」
「君、なかなか独占欲が強いのですね? わかりました。とりあえずは君一人に任せましょう」と、とりあえず梅沢は納得した。
任務のための調教という態の良い言葉で、瑞希を男たちの性の捌け口にしようとしているように聞こえた。結果、潜入捜査の役には立つのかもしれないが、そんな人格を無視したようなこと、女性として傷付くようなことはさせない。体を張った潜入捜査なんて、絶対にやらせはしない。航平はそう決めて、その要求を呑んだ。
「じゃあ、もう一つの条件を聞きましょうか?」と、梅沢は話を続ける。
「もう一つの条件は、俺は彼女のことを番号では呼ばないといことだ」
「えっ!?」
何とも拍子抜けな条件に、梅沢が眉間に皺を寄せた。
そして航平のこの条件に、俯いていた瑞希が顔を上げる。
「瑞希。親が付けてくれたこんな素晴らしい名前があるのに、番号でなんて呼べない。彼女はロボットじゃない、体温がある人間だ」
その航平の言葉に、瑞希の死んでいた目に生が甦ってくる。
梅沢も金井も意外な航平の要求に、目を丸くしてかたまっている。
「そんなことですか、あなたが〇二九をどう呼ぼうが、私たちには関係ありません、好きにしてください。ただ、任務中はやめてくださいよ、身元がばれてしまう可能性がありますからね」
そこは渋々頷く航平。
「条件は以上ですね?」
「ああ」
航平は瑞希の面倒を見て、任務に参加することが決まった。そして瑞希の許へと歩み寄る。
「光島航平だ。瑞希、よろしく頼む」
瑞希はその差し出された手を、弱々しい手で掴んだ。航平はその小さく壊れてしまいそうな手を、やさしく握り返す。
ぬくもり・・・ 瑞希は航平の手に、人のぬくもりを感じた。そして何故か、それを素直に受け入れようと思えた。
「では光島くん。君への任務は、〇二九の保護者役と監視役。そして任務のサポートをしてあげてください。もちろん、男女の関係も勉強もさせておいてくださいね? それと、生田署の方では密売犯を追っているのですか?」
「ああ。今日の奴もマークしていた一人だ」
「そうですか。では所轄に戻ってもいいですから、そちらの情報をこちらに流してください。私たちが動く時に所轄にうろうろとされると面倒なんで」
「ちょっと待て、それじゃあ俺に所轄を出し抜けと言うんか?」
「はい、そうです」
「そんなことできるか! すぐにばれてまうわ!」
西生田署には優秀な刑事がたくさんいる。航平の嘘などすぐに見破られる。
「その辺は大丈夫、君一人に嫌な思いはさせません。私から署長に言っておきましょう」
「圧力をかけるつもりか?」
「人聞きの悪い。お願いするだけですよ。下の人間は上司の立場も気にせず勝手に動きますからねぇ~ 署長には動かない様にお願いして、君は下の人間が好き勝手動かない様に見張ってもらう保険ですよ」
下の者にという、格差を強調する梅沢の言い方に、航平は表情を歪ませるが、そこはぐっと我慢して言いたいことを呑み込んだ。
「では、よろしく頼みますよ」
航平は差し出された梅沢の手を嫌々掴むと、「ああ」と返事を返した。そしてその横では納得いかないというように金井が航平を睨み付けていた。
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