2/10:今も昔も、りんごは人を惑わすもの

「まもなく電車がまいります」


 人もまばらな大門駅のホームに流れたのは、滑らかすぎる合成音声のアナウンスだ。それは深淵の闇を湛える管の奥へ吸い込まれ、さらに奥から響く轟音が次第に大きくなる。


まもなく電車が突っ込んできたが、高速で流れていく車両のどれも人はまばらだ。UG化以前にあったラッシュという時間帯には、出荷されるアンドロイドのようにすし詰めにされていたらしい。


 手すりに身を預けて窓を見つめたのは、椅子に座ってゆられる気分ではなかったからだ。車体すれすれのコンクリート壁には薄膜ディスプレイが貼ってあり、義体手術の広告が表示されている。


オーガニクスはノーリスクハイリターン!!


そんな文句は足元からのモーター音とともにゆっくりと流れていった。車窓には闇が流れるだけになり、すぐに透明液晶による案内と広告が流れ始める。

車内を見渡せば、乗客の誰もが手と眼球をせわしなく動かしている。はたから見てあまりに見苦しく滑稽な姿に辟易していると、例の合成アナウンスが聞こえた。


「次は赤羽橋、赤羽橋です」


 それは宙を舞うハエを追いかけ続ける彼らには取るに足らないことのようだった。


彼らは現実を見ていない。

といっても現実とつながっていないわけではない。ネットの先にいる無数の人間とつながっている。ネット社会を現実から独立した虚像だと切って捨てる者は数十年単位で遅れている。それは個人情報を網羅したデータベースを「パブリック」と呼ぶことにも表れている。


 「ひとり一台コンピュータを」と言い出したのは先進的りんご農家だったとかなんとか。携帯電話を兼ねた小型PCの普及以来、人は常につながらずにはいられなくなり、やがてデバイスは体内にビルトインされるに至った。うなじに埋め込まれたデバイスは、体中のデバイスと接続して制御する統合コンピュータとネットに接続する通信モジュールを内蔵している。

いまや「」、自分自身がネットに繋がっているワイヤードのだ。


 コンタクトレンズ式ディスプレイは視界に情報を表示し、腕の80あまりのセンサーが電気信号を感知することでジェスチャー操作を可能にしている。おそらくSNSでもチェックしているのだろう。


「次は麻布、麻布です」


 透明液晶の窓に映る「降り口は反対側」の案内に従って移動し、長いホームに降りた。去っていく電車の風から逃げるようにホームをあとにして、短距離無線通信で支払う改札を通過する。看板がなければただの通路と変わらない運賃徴収システムでは金を払っている感覚がないと言っていたのは、違法カジノで身ぐるみはがされた杜撰ずさんな金銭感覚の男だったろうか。


街に出るとまばゆいネオンが降り注いで目を細めることになった。居酒屋や小綺麗なレストラン、そしてあらゆる夜の店が輝くことでその存在を大いに主張している。

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