後編

「え?」


 そう呟きながら、ヨクトの手が止まった。空気が固まったかと思うほどの突然の反応に、クーネは驚いてしまう。


「どうしたの?」


 クーネが聞いたことで我に返ったのか、ヨクトは再び代替翼の改良のため、手を動かし始めた。誤魔化すように「何でもないよ」と言っているが、今の反応が何でもないとは思えない。


 それはちょうどクーネがヨハネの話をしている最中だった。翼のことを綺麗と言ったヨハネと逢い、ヨハネがたまに話したいと言ってきたことをヨクトに話していた。その話を聞いていたヨクトがさっきの反応をしたことから、クーネは気づいてしまう。


「もしかして、ヨハネと知り合いだった?」


 その一言にヨクトは再び手を止めた。たださっきと違うのは、クーネがしていた驚きの表情をヨクトがしている点だ。その表情にクーネも同じ表情で見つめてしまう。


「どうしたの?」

「いや、何でもないよ…」


 そう言いながら、ヨクトは悲しそうにクーネから目を逸らした。その意味が分からず、クーネが不思議そうに見つめていると、ヨクトは無理矢理に作った笑みを浮かべた。


「そのヨハネって人とは別に知り合いじゃないよ。ヨハネって名前も…」


 そう言った途端、ヨクトは再び固まってしまった。たださっきまでと違い、今度は何かを考えているようだ。クーネがヨクトの前で手を振ってみるが、それにも気づかないくらいに、ヨクトは考え込んでいる。


「ヨハネ…?ヨハネって…」


 そう小さく呟く声は聞こえてくるものの、ヨクトが何を考えているのか、クーネには分からない。


 しばらく、クーネがそのヨクトを見ていると、不意に考えがまとまったのか、それとも固まっていたことに気づいたのか、ヨクトが我に返った。


「あ、ごめん」

「いや、いいけど。どうしたの?」

「その…」


 何かを言いかけてから、ヨクトは言葉に迷っているように目を泳がせる。それだけ言葉に迷うことを言い出すのかとクーネは若干身構えながら待っていたが、結局ヨクトは何も言わずに「何でもないよ」と再び口に出した。もちろん、クーネは何でもないとは思っていない。


「ごめん。遅れて」


 そこで作業室にウカが現れた。ウカは両手で荷物を持っており、それをヨクトに渡している。


「何それ?」

「翼獣の素材は無理だけど、半毛羊の素材くらいなら手に入るかなと思って、ウカさんに調べてもらってたんだ」

「それを取りに行ってて、ちょっと遅れちゃった」

「それで代替翼を改良するの?」

「今回はちょっと時間がかかるかもしれないけど、いい物にするよ」


 ヨクトが自信のある表情で言ってくれたことに、クーネは安心して任せると言えた。その一言にヨクトも頷き返してくれて、代替翼の改良が進んでいく。


「ねえ、クーネちゃん。一つ聞きたいんだけど」


 その中で不意にウカに質問された。その時のウカの表情がとても真剣なもので、クーネはどうしたのだろうかと不思議に思う。


「あのね。この前に言ってた人とはその後に逢ったの?」

「ああ、ヨハネのこと?」

「ヨハネ…?」

「今日、話しかけられたよ。何か変わった人だった」


 そう答えるクーネをウカはしばらく見つめていた。それから小さな声で「そうなんだ」とだけ呟く。


「それがどうしたの?」

「ううん。何でもないよ」


 まるで合言葉のようにウカもヨクトと同じように言ったので、きっと何かあるのだろうとクーネは思った。



  ℱ ℱ ℱ



 それから数日、代替翼の改良は少し難航しているようだった。元々飛ぶ生物の素材ではないため、その辺りの調整が難しいらしい。ヨクトは頻繁に何かを調べながら、代替翼の改良を進めていた。


 その間にも、クーネのところにヨハネは頻繁に顔を出した。何気ない話を少しして、それで帰っていく。その繰り返しだ。それは些細な時間だったが、クーネにとって自分を悪く言わない相手との数少ない時間で、楽しいと思えるものだった。ウカやヨクトにも言えることだが、自分を認めてくれる相手というものは貴重だと、その時間を通してクーネは改めて実感する。


 その日々が続いていくある日、クーネは作業室に呼び出された。相手はヨクトで作業室に顔を出すと、ヨクトが真剣な表情で待っていた。


「どうしたの?代替翼ができたの?」


 それだったらウカもいるかと思いながら、クーネがヨクトの前に座ると、真剣な表情のままヨクトが聞いてくる。


「前に言ってたヨハネって人とは最近も逢ってるの?」

「うん。良く話をしに来るけど」

「その人のことをクーネさんは好きだったりする?」

「好きだよ。自分のことを悪く言わない人は、ウカもヨクトくんも」


 その一言に一瞬、ヨクトは固まっていたが、すぐにかぶりを振り始める。


「いや、そういうことじゃなくて、恋愛的に好きだったりする?」

「恋愛って…異性としてとか、そういうこと?」

「そういうこと」

「それは…分からないかな?でも、多分違うと思う。そういう好きとはちょっと違ってると思う」


 自分でも明確には言えないが、少なくとも、ヨハネと恋人になりたいかと聞かれると、クーネはかぶりを振ると感じていた。あくまで認めてくれる相手として好きなのであり、そこにそういった好意はないに等しい。


「それがどうしたの?」

「その…実はクーネさんが『翼剥ぎ』って噂されていることを知ってから、調べていたんだよ。その『翼剥ぎ』について」


 クーネは顔を隠して犯行を繰り返している犯罪者のことを思い出す。最近はヨハネのこともあり忘れていたが、確かにそう噂されていた。


「そこで分かったことなんだけど、その『翼剥ぎ』の被害に遭った子って、みんな直前にヨハネって人に声をかけられている子達なんだよ。翼が綺麗だねって」

「それって…」

「もちろん、証拠もないし、断定もしないけど、もしかしたら、そのヨハネって人が『翼剥ぎ』かもしれない」


 ヨクトの言ってくれた一つの事実にクーネは戸惑った。ヨクトは善意で言ってくれていると分かるが、それでもクーネは一言言わないといけないように感じた。


「そんなの翼が片方ないからって、言われる噂と変わらないよ」


 その本心からの言葉にヨクトはようやく自分の言っていることに気づいたようだった。


「ご、ごめん!本当にごめん…!」

「ううん。分かってる。ヨクトくんが心配して言ってくれたことは分かってる。でも、そういうのはやめて欲しい」


 ヨハネが好きか嫌いかではなく、そういうことが嫌いだから。その気持ちはヨクトにも伝わっているはずだ。


 ただクーネ自身、その話が気になることも事実だった。一度、確認してみようとそう思えるくらいに。



  ℱ ℱ ℱ



「『翼剥ぎ』って知ってる?」


 次にヨハネと逢った時、クーネは待ち構えていたように、そう切り出した。その言葉にヨハネは小さく頷いている。


「知ってるよ。君がそうだって噂されている奴だよね。もちろん、信じて…」

「そうじゃなくて、その『翼剥ぎ』の被害に遭った子が全員ヨハネに話しかけられた子だって聞いて…」

「もしかして、それで僕が『翼剥ぎ』かもしれないって?」


 クーネが恐る恐る頷くと、きょとんとしていたヨハネが急に笑い出した。その笑いに何だか恥ずかしくなり、クーネは顔を真っ赤に染める。


「もしそうなら、こんな風にクーネと話さずにもう翼を取っちゃってるよ。だって欲しい物は翼だけなんだよね?それって」

「た、確かにそうだよね」


 やはり違っていた。そのことに安心する自分がいて、クーネは笑い出しそうになる。少しは疑っていたのかと自分自身に聞きたかった。


 その時だった。二人の前に一人の少女が立った。

 ウカだった。


「あれ?ウカ?どうしたの?」


 二人は人目につかない場所にいた。その場所にウカが来たことにクーネは純粋に驚いていた。自分に何か用事なのだろうかと思いながら、クーネはウカをヨハネに紹介しようと立ち上がった。


 そこでヨハネが不意に叫んだ。


「危ない!」


 その声に驚くクーネの手をヨハネが引っ張った。ヨハネのいる方に倒れ込みながら、クーネはウカがヨハネにぶつかる瞬間を目撃する。


 気づけば、ウカの手の中にはナイフが握られていた。そのナイフが赤く染まっていることに気づき、クーネは言葉を失う。


「な、何で…」


 そう呟いたのはウカだった。驚いたようにヨハネを見て、どんどん表情を崩していく。


「何で…何で、ヨハネくんが!?」


 その直後、甲高い悲鳴を上げて、ウカはその場から逃げ出した。その後ろ姿を呆然としたまま見送り、クーネはすぐにヨハネが倒れていることに気づく。


 ヨハネの腹にはナイフが刺さったのか、大きな傷があり、そこから血が流れていた。その傷痕を必死で押さえながら、クーネが何度も大きな声で助けを呼ぶ。

 だが、誰も来てくれない。


「どうしよう…?どうしたら…?」


 動揺するクーネの手をヨハネが急に掴んできた。とても苦しいはずなのに、顔にはいつものように笑みを浮かべている。


「クー…ネ……あのね…僕は…クーネの翼は…とても綺麗だと……思うよ……」

「急に何?どうしたの?」


 戸惑うクーネに構うことなく、ヨハネは途切れ途切れになりながら、何とか声を出す。


「だから…一度くらい……飛んでいる姿を…見たかったな……」


 そう呟いた直後、ヨハネの瞳から涙が零れた。それを最後にヨハネは何も言わなくなってしまう。瞬きもやめて、焦点の合わない目でじっとクーネの顔を見てくる。


 その顔にクーネの涙は止まらなかった。大切なものが手から零れ落ちていく感覚だけがクーネの中に残っていた。



  ℱ ℱ ℱ



 その後分かったことだが、ウカは以前からヨハネを知っていたそうだ。ヨハネに密かに好意を寄せており、いつか伝えたいと思っていたらしい。


 しかし、ヨハネは綺麗な翼が好きだった。翼が綺麗だと思った子に片っ端から声をかけており、その様子を見たウカは好きなヨハネが取られると思ったらしい。


 その結果、ウカは『翼剥ぎ』になってしまった。


 クーネの時に直接的に姿を現したのは、どうやら、あれで犯行を最後にするつもりだったようだ。最後にクーネの翼を剥ぎ、自分のことを選んでくれるように、ヨハネに頼むつもりだったらしい。


 だが、そこでヨハネがクーネを守ってしまった。ウカはヨハネを刺してしまい、我を失ったウカはその場から逃げ出し、その後、血塗れで歩いているところを捕まったそうだ。


 ヨハネの最期の場所にクーネがいたことから、クーネが『翼剥ぎ』ではないかという噂は更に広まったが、そのことで実際に捕まるわけでもない。

 それよりも、クーネは最期のヨハネの言葉が忘れられなかった。


 ある日、ヨハネの両親と逢う時があった。それはヨハネの遺体が安置されていた遺体安置所でのことで、クーネはヨハネの死に関わった自分は罵られるかもしれないと少し怯えていた。


 だが、実際の両親はヨハネと同じくらいに変わり者で、ヨハネと仲良くしてくれたことの礼を言われた。そこでクーネは二人にヨハネの最期の時を伝えたいと思い、ヨハネの言葉も全て両親に伝えることにした。


 その言葉を聞いたヨハネの両親から一つの提案があった。


 それから一ヶ月が経ち、ようやく、その時を迎えていた。クーネは石質樹木の上に立ち、その下にはヨクトとヨハネの両親がクーネを見上げている。


 やがて、クーネはそこで両翼を広げた。左翼は自分自身の翼で、右翼はヨクトが完成させた代替翼だ。それもただの代替翼ではない。


 ヨハネの翼を用いた代替翼だ。ヨハネの両親の提案は、ヨハネの翼を用いて、クーネの代替翼に用いるというものだった。クーネにヨハネと一緒に飛んで欲しいと言ってきたのだ。


 その思いを胸にクーネは石質樹木の上から一歩踏み出す。そこから落下する勢いのまま、クーネは大空に飛び出す。


 この時のクーネはヨハネのこと、それからウカのことも思い出していた。クーネは自分を理解してくれた人達を失ってしまった。

 だが、まだ残されたものはちゃんとある。その証明をするようにクーネは翼を動かす。


 そして、この日、クーネは初めて空を飛んだ。

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翼をください 鈴女亜生《スズメアオ》 @Suzume_to_Ao

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