第32話

 

 「おや、こんばんは」


 「マグフィットさん……こんばんは」


 

 ザリアとの話し合いは中途半端な所で終わってしまい、私は自分の部屋へと戻る途中、夜中でも賑やかな街の喧騒に誘われるように露店通りへと赴いていた。そしてそこにはマグフィットさんの姿も。


「どうされました? おひとりで。不用心ですよ」


「いえ、ちょっと気分を変えようと……それよりマグフィットさん、その両手の料理は……」


「ぁ、どうぞどうぞ、お腹空いてますか?」


 マグフィットさんは両手に露店で買ったであろう肉料理を抱えていた。私はその一方を渡され、なんとも芳ばしい香りに食欲をそそられる。


「あの、この料理はどうやって食べるんですか?」


「それは、こうやって……」


 器の中には赤黒い液体と肉で満たされている。肉は薄く長方形に切られており、マグフィットさんはその肉を指先で掴むと液体をたっぷりつけて口の中へ。なんと、素手で食べるのか。


「おいしいですよ、そのタレをたっぷりつけて食べるんです」


「は、はぁ……」


 私も同じように食べてみる。服にタレが落ちてしまうが気にしない。こういうのは汚れてなんぼの食べ物だろう。


「……ん、美味しいですねっ! なんだかちょっと辛くて好みの味です」


「あの、シャリア様……お召し物が……」


 あれ? よごれてなんぼの物では? マグフィットさんは布巾で私の服を拭ってくれる。だが染みついてしまっている。まあ、別にこの服は部屋着同然なんだからいいんだが。


「シャリア様、甘い物もありますよ。私ちょっと買ってきますので、そこで待っていて下さい」


 今度は私が両手に肉料理を持たされ、傍にあったベンチへと腰かける。露店通りは人で溢れかえっていた。商人や冒険者、それにローレンスの子供達もが楽しそうに露店を見て回っている。こんな光景は王都では見られない。


「……こっちの肉はどんな味なんだろ……」


 もう一方の肉料理。櫛に何種類かのお肉が刺さっており、私はそのうち一つを再び手で摘まんで口へと運ぶ。うん、美味しい。ローレンスは辛めな料理が流行っているのだろうか。ちょっと舌がヒリヒリする……。


「お待たせしました、シャリア様」


「ぁ、ありがとうございます」


 マグフィットさんは小さな器に入れられた白い……なんだろう、フワフワした物体を私に手渡してくる。


「あの、これは?」


「練り菓子って知ってますか? 砂糖を溶かして作る物なんだそうですが……実はこの作り方を知っている職人は数少なく、その調理法を巡って度々大きな取引が行われる程で……」


「練り菓子……」


 マグフィットさんは添えてあった棒で器用に練り菓子を巻き取り、そのまま口へ。なんだかネバネバしている。これが本当に美味しいのだろうか。


「……ん」


 一口……口の中へ。途端に甘い、滅茶苦茶な甘さが口の中に広がった。でも嫌いじゃない。むしろ好きだ。


「どうですか?」


「お、おいしいです……この製法、大金を出してでも知りたい気持ちは分かりますね……」


「でしょっ!」


 そのままマグフィットさんと露店料理を堪能する私。この場にステアも居れば……さらに楽しかったかもしれない。あの子は私よりこういうのに詳しいから、きっと色々教えながら食べさせてくれたり……


「……で? どうされたんですか?」


 大方食べつくした後、マグフィットさんはそう尋ねてくる。

 私はマグフィットさんの無邪気な笑顔につられて、つい……先程ザリアと軽く言い争いになってしまった事を話してしまう。


「成程。リュカ様の今後について……意見が分かれているんですね」


「はい……。マグフィットさんは……リュカ様を当主にすることは勿論賛成ですよね? ならその後の事もしっかり支えていかなければならないのは……当然ですよね?」


「んー……」


 何故かマグフィットさんは即答で賛同してくれない。先程の肉料理が刺さっていた櫛を咥えながら、空を見上げつつ……悩んでいる? 何を? そもそもリュカ様をアルベイン家の当主にしてくれと頼んできたのは……マグフィットさんじゃないか。


「若干……私とシャリア様は言葉の意味合いが違うかもしれません」


「……というと?」


「シャリア様にとっての支える……というのは、リュカ様が円滑に仕事を熟せるようにサポートする事。色々アドバイスしたり、人を紹介したり……」


 その通りだ。でもまだまだしたい事はたくさん……


「んで、私にとっての支えるというのは……見守るだけです」


「……それだけ?」


「それだけです」


 随分、アッサリしている。あんな小さな子を当主に据えるのだ、こちらにもそれなりの責任とか、あるじゃないか。


「シャリア様の考えている事は分かりますよ。でもシャリア様のやり方だと……リュカ様はまず失敗とか挫折とか……その辺の事は全部スキップしてしまいます」


「……ダメ、ですか?」


「ダメですねぇ……シャリア様だって身に覚えがあるでしょう? 色々失敗して……そこから学んだ事も多いはずです。そしてそれは、次に自分が教える立場になった時、大いに役立ちます」


 成程……確かに……。

 私とやり方だと、リュカ様は確かに成長するかもしれない。でもその後、つまりリュカ様が次の人間に引き継ぐ時、失敗の経験値が足りなくなってしまうという事か。確かにこれまで、なんでも熟してしまう類の人間は何人も見てきた。そういった人間は総じて……教えるのが絶望的に下手だ。


「で、でも……だからってザリアのような放任主義も……」


「そうですね、それはそれでどうかと思います。でもザリア様の言いたい事は……別のところにあるんじゃないんですか?」


「別のところ?」


「……私が思うに、ザリア様は今まで貴族社会の中で大切に大切に……過保護とも思えるくらいに育てられて来たんじゃないんでしょうか。でもそんな人が今や騎士隊の隊長……彼はきっと、幼いころから回りの教育係が煩わらしくて仕方なかったんじゃないでしょうか」


 ザリアが過保護に育てられて来た? ちょっと想像できない。私のイメージでは、ザリアは自分にはとことん厳しい。そして他人には果てしなく優しい。そんな人が過保護に育てられてきたなんて……ロランなら思わず頷いてしまうかもしれないけど……。


「きっとザリア様は、幼少の頃の体験を元に放任すべきだって言ったと思います。男なんだから一人でなんとか出来る! って」


「……い、言ってました! リュカは一人の男だ! って!」


「でしょ! たぶんあの人、放っておいたら過労死するまで働くタイプです。自分なら出来る、自分なら容易い、自分なら……って。でも決してそれを他人には強要しません。それは自分がどんな生き物か分かっているからです。あの人は自分の強さも弱さも自覚している、でもきっと……肝心な所が抜けてるんですね」


「肝心な所……?」


「ザリア様は騎士を育てる事は出来ても、子供を育てた経験は皆無です。まあ、独身だったんだから当然です。だから自分の体験を元に育てるしかない。ザリア様はこう思ってたんでしょう。幼いころ、もっと放っておいてくれれば良かったのに……って」


 成程……そういえばザリアはリュカ様の剣技に感嘆していた。あれは本心だったに違いない。それほどの剣技を子供に教えれる人間が想像出来なかったからだ……たぶん。


「でもシャリア様、確かにザリア様の放任主義はいささか無茶です。だからと言って、何から何まで補助してあげるシャリア様の考え方も同じです。お二人は意見をそれぞれ半分ずつ受け入れる事が出来れば……ちょうどいいと思いますけどね」


「そうは言っても……私はきっと、リュカ様が転んでしまいそうになったら……助けてしまいます。黙って見ている事なんて……」


「それもリュカ様を当主の座に据えた人間の責務です。時には黙って見守る事も大切ですよ」


 ……なんだ、この説得力は。流石神に等しい魔人と言われた者……数千年生き続けた、まさに神の……


「まあ、ザリア様が怒ってるのはもっと別の事だと思いますけど」


「え?」


 別の……事?


「それは一体……」


「……ちょっと昔話をしましょうか。シャリア様はフィーリスというこの国の英雄は勿論ご存じですよね」


「え、えぇ」


 魔術師フィーリス、羊に乗って空を駆ける女の子の話を書いた人だ。私の中では魔術師というより、作家のイメージの方が強いが。


「何を隠そう……彼を殺したのは私なのです」


「……そ、そう……なんですね」

 

 何だ、一体どんな昔話をするつもりだ。別に英雄を殺したからと、私はこの人を憎んだりはしないが、あまり気持ちのいい話では……。


「彼は魔人との共存を唱える人間の一人でした。羊のお話も、ラストで羊は正体を現して……実は魔人だったってオチですよね。そしてその魔人と女の子は静かに暮らしてハッピーエンドです。フィーリスらしい終わり方ですよね」


「そうですね……でも、何故そんな英雄を殺したのですか? 貴方は現に今、私達に溶け込んでいるじゃないですか」


 マグフィットさんは咥えていた櫛を取ると、空に浮かぶ満月を眺める。どこか悲しい目で。


「フィーリスは弟子を目の前で殺されて……一変しました。それまで魔人と共存できると唱えていた彼は、その日、その時から人が変わったように魔人を殺してまわるようになりました」


「……そう、なのですか?」


「はい。それで私の血族の魔人も何人か殺されて……これはアカンと、私はフィーリスを殺しに自ら赴きました。あの時も満月でした。私とフィーリスはグランドレアの森の中で対峙し……あの時程、人間が怖いと感じた事はありませんでした」


 人間が……怖い? 神に等しいと言われた魔人が……


「私は全力でした。全力でフィーリスを殺しにかかりました。でも片腕を切り落とそうが何しようが、彼は止まりませんでした。そして私は胴体を真っ二つにされ、喉元を噛み千切られ……危うく殺される所でした」


 なんだって……フィーリスという英雄はそこまで強かったのか。神を殺す所まで……


「でも私にとどめを刺すという時……フィーリスは泣いていたんです。幸せな未来を夢見ていたのに、どうしてこうなったと……」


「それで……どうなったのですか?」


「私は無我夢中でフィーリスのスキを付き、心臓を貫きました。その時、彼の記憶が私の中に流れ込んできたんです。彼は本当に、魔人と幸せな暮らしが出来ると思っていました。魔人と協力し、輝かしい未来を手に入れる、そんな夢を持っていたんです。でも目の前で弟子を殺され、激情に駆られた彼の心も流れ込んできました。私も仲間を殺されたんです、そんなのお互い様だと……その時までは思っていました」


 私は夢中でマグフィットさんの話に……いや、魔人ガラドグレイジスの話に夢中になっていた。

 まるで何処かのおとぎ話でも聞かされているよう。でも違う、これは……実際に起きた事なんだ。


「魔人に寿命はありません。でも人間の命は短い。いつまでも一緒に居られるとは限らない。魔人と人間とでは、そもそも死の概念がズレていたんです。私達は仲間達と悠久の時を過ごし、いざ死んだとしても悲しみはしません。でも人間は大切な人が死ねば当然のように悲しみ、幸せな時間を思い出し絶望に伏します。時にはそれで自ら死を選ぶ程に」


 私も……リコと別れた時、死を選ぼうとした。彼は死んだわけでは無いが、もう二度と会えないと思った。だから……彼と会えない人生が悲しくて……死を選ぼうとした。


「そして私はその人間の死の概念を知った時、私達はとんでもない物と争っていたんだと、心底背筋が震えました。単純に怖いと感じました。こんな感情を浴びせられた人間が、この大地に無数にいる。もしその人間が手練れの騎士なり魔術師だったら……フィーリスのような存在が無限に生まれてくる。だから私は血族の魔人へ、人間に手を出すなと言いました。あんな恐ろしい感情を持つ存在と関わるなと」


「……でも、マグフィットさん、今ここに……」


「えぇ、まあ……最初はただの避難だったんです。フィーリスを殺した事で、私を討伐しようと騎士の大群が来て……お得意の魔術で人間に化けて人里に隠れたんです。その時、フィーリスの書いた物語を読みました」


「……どうでしたか?」


「……そうですね、彼はこんな世界を夢見ていたのかと、少し悲しくも……何故か嬉しかったんです。彼は魔人と共に幸せを模索するのを夢見て……夢半ばで私に殺されてしまったんです。だから少し、ちょっとした気まぐれで、人間と共存してみようと思いました」


「……気まぐれ……ですか?」


「えぇ、でも思いのほか楽しくて……人間の子供は無邪気で、数年たてば大人になって……そして私より早く死んでしまって……そんな事を繰り返している内、いつのまにか私は人が死ぬと涙を流すようになりました。時にはそれで魔人の集団ブチ殺したりしましたが……何はともあれ、私はそのまま人間と一緒に暮らしてるって感じですね」


 マグフィットさんは空を煽りながら、今は笑顔で私達と時間を共にしている。

 人間の感情を知り、絶望を知り……人間を恐れ、共存している魔人。


「なのでシャリア様、貴方達の時間は限られています。リュカ様の事を考えるのもいいですが、自分達の幸せを模索してみても……バチは当たりませんよ」


「……はい、ありがとうございます……」


 月は静かに……街を見下ろしている。

  

 幸せを模索する。何で忘れていたんだろうか。


 私達は結婚するというのに。


 その意味を、私は軽視していたんだ。



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