第30話

 

 「お久しぶりです。シャリアお嬢様」


 「……お久しぶりです。リャーナ・ハルオーネ様」


 

 ハルオーネ家の当主、リャーナ様がローレンスへとご到着なされた折、ベディヴィア家の屋敷まで赴いてくださった。私とザリア、そしてマグフィットさんは屋敷の外まで出迎えに。リャーナ様のかたわらにはリュカ様が小さく佇んでいる。いつもの元気な様子は……当然ながら皆無だ。こんなリュカ様を見るのはいつ以来だろうか。


「マグフィットさんもいらしていたのですね。リュカといつも仲良くして頂いて……」


「いえいえ。リュカ様? マグフィットですよ~」


 マグフィットさんはリュカ様を笑わせようと、自身の頬を引っ張っておかしな顔をしてみせる。しかしリュカ様は無反応だ。


「……申し訳ありません、マグフィットさん。もう私共は行きますので……」


「あら。お急ぎですか。せっかくローレンスにいらしたのに」


 王都からローレンスまで当主自ら、自身の息子を迎えに来た。傍から見れば当然の行為のようにも見える。だがハルオーネ家とアルベイン家の遺恨を知る者は少なくない。渦中の人である、ハルオーネ家の当主がアルベイン家の者と顔を合わせる、リャーナさんにとっては屈辱以外の何物でもないだろう。ただでさえハルオーネ家の当主は売女と蔑まれているのだから。


 しかし実際悪いのはアルベイン家だ。だが財産や分家の資格を与えた事が、ハルオーネ家が蔑まれる原因に。その当主はアルベイン家に体を売り、財を得たのだと。


「……シャリア様、この度はご結婚、おめでとうございます。私は婚礼には参列できませんので、一足早くお祝い申し上げます」


「はい……ありがとうございます」


 それはそうか。参列など出来る筈がない。まだ媚を売っているのかと思われてしまうだろうから。


 いや、待て、ならリュカ様はどうなる? このままズルズルと引きずれば、当然リュカ様もそんな目で見られる事に……。


 バカだ、完全に失念していた。リュカ様を当主にする、しないの前に、世間の目からハルオーネ家を守る手を考えなければ。ただでさえルーカスさんの一件でさらに状況が悪化しているというのに。


「あの、リャーナ様」


「……分家の当主に敬称など不要です、シャリア様。この度はルーカスが世間を騒がす事態を起こしてしまい……シャリア様も尽力されたとか。まことにお詫びのしようも無く……」


「詫びる必要は無いでしょう」


 その時、ザリアがそんな事を言い放った。リャーナ様はザリアの顔を一瞥すると、今にも泣きだしそうな顔で俯いてしまう。


 恐らく、ザリアを……というより、騎士を警戒しているのだろう。ルーカスさんが捕まったのだ、その雇い主であるリャーナ様も、なんらかの形で関わっていたのでは……と疑われるのは当然だ。


 しかしザリアの詫びる必要はないというのは……どういう事だろうか。ルーカスさんがした事は重罪だ。まさかハルオーネ家はなんの関係もないとでも言い放つつもりだろうか。まだ裁判も行われていない今の現状で……。


「ザリア……?」


「そこは詫びるでは無く、礼を尽くすべきです。当主殿。シャリアの迅速な動きにより、奴隷は全て保護され大した被害も出なかった。奴隷商も証言しています。取引は全て執事風の男と交わしたと」


「……だから、なんだと言うのですか。ただでさえハルオーネ家はアルベイン家に対し大罪を犯しているのです。その上こんな事に……」


 大罪……?

 いや、逆だろう。アルベイン家がハルオーネ家に大罪を犯したのだ。お爺様が酒に酔って、リャーナ様に子供を……


「あの、リャーナ様?」


「……シャリア様、いい機会ですから言わせて頂きます。私は貴方のお爺様と……」


「す、すとーっぷ!」


 その時、マグフィットさんが待ったをかけた。両手を広げ、私達の間に入ってくる。その時、思わずザリアがビクつくのを私は見てしまった。少しでもマグフィットさんが動けば、ザリアは怯えた小鹿のような態度になって、私は少しおかしくて心の中で笑ってしまう。

 

 マグフィットさんは人間だ。リュカ様を想うその心は……既に人間そのものだ。ザリアは未だ魔人としてのイメージが強烈すぎて認められないようだが。まあ致し方ない。騎士の職業病という物だろう。


「……マグフィットさん、何か?」


「冷静になってください。その……リュカ様も居るのですよ? その話は大人だけで……」


 ……? その話?

 一体なんの事だ。マグフィトさんは知っているのか?


 そのままマグフィットさんは、私へと祈るように手を組みながら


「シャリア様、お屋敷の中で場を設けて頂けませんか? お茶でも淹れながらゆっくり……」


 再びザリアが一瞬震える。まだ居座るつもりかと言いたげだ。少し面白いが、可哀想に思えてきた。


「分かりました。ザリア、リュカ様をお願い出来ますか? 私達、女三人だけでお話したい事があるのです」


「……しかしシャリア」


「大丈夫です、大丈夫ですから。私を信じて下さい」


 ザリアはまっすぐに私の目を見て、渋々ながらも頷いてくれる。


「では中へ……どうぞ」


 私は侍女へとお茶の用意を頼み、マグフィットさんとリャーナ様を連れて客間へと。ほどなくして侍女がお茶を淹れてくれて、私はそれを一口飲みながら情報を整理する。


 ハルオーネ家はアルベイン家に大罪を犯したと、リャーナ様は仰った。これはどう考えてもおかしい。どう考えても逆だからだ。そしてマグフィットさんもその事情を知っている。マグフィットさんは人の心に入り込むのが上手い……気がするので、たぶん偶然リャーナ様から聞かされたのだろう。


 私は少し空気が落ち着いた所で、リャーナ様へと事の真相を尋ねる。


「リャーナ様、先程……ハルオーネ家はアルベイン家に対し、大罪を犯したとおっしゃられましたが……」


「はい、その通りです……シャリア様は、こう聞き及んでおられると思います。シャリア様のお爺様が酒に溺れた勢いで……私に子供を作ってしまったと……」


 違うのか?


「はい、そう聞いています。父からも、祖父からも……」


「それは……大きな間違いなのです。シャリア様のお爺様……ワールゴ様は私とリュカを守って下さったのです」


 守った? あのジジイ……いや、お爺様が?


「それは一体、どういう……」


「リュカが生まれる一年程前、つまりは七年前、私は……奴隷だったのです」


「……なっ!?」


 思わずお茶を机へと叩きつけてしまう私。幸いにもティーカップは割れていない。しかし豹変する私の態度に、マグフィットさんもリャーナ様も驚いた表情でこちらを見てくる。


 怒りが隠せない。この数日間、奴隷というワードを何度耳にした? ステアの顔が脳裏に浮かんでくる。あの子の笑顔が。


「……シャリア様? そうですよね、奴隷だった者と言葉を交わすなど、貴族の方にとってはこれ以上なく屈辱的な……」


「止めて下さい……本音を言います、私は奴隷を売買する貴族なんて全部死んでしまえばいい、そんな風に思っています。私を……そんな人間と一緒にしないでください」


 二人の視線が痛い。

 私は何を言っているんだ。何一つ出来ない小娘のくせに……


 その時、マグフィットさんは私の手を握り、その瞳を私へと向けてくる。吸い込まれそうな、いっそ吸い込まれてしまいたい、そんな風に思える美しい瞳を。


「落ち着いて、大丈夫です。シャリア様のお気持ちは十分に伝わりました。なので……そんな物騒な発言は控えた方がよろしいかと……」


「……も、申し訳ありません……」


 途端に自分が恥ずかしくなった。まるで駄々をこねる子供だ。

 マグフィットさんは私が落ち着いた事を確認するように、今一度その瞳を向けてくる。そして母のような優しい笑顔を向けてくると、リャーナ様へ続きを話すように促した。


「……シャリア様、先程の愚かな発言をお許しください。そうですよね、シャリア様は……ワールゴ様の血を引くお方。あの刃のような危うさと、堅牢な盾のような正義感を併せ持つお方。そしてその血は……リュカにも引き継がれています。しかしながら……決して、ワールゴ様が酒に溺れて私に子を成したわけでは無いのです」


「……というと……?」


「七年前、ローレンスで起きた事件をご存じかと思います」


 七年前、ローレンスで起きた事件?

 それは……あれだ。私の兄が、奴隷商とその客を皆殺しにした……あの事件だ。いくら奴隷の売買が重罪であるとはいえ、一時はやりすぎだと非難された。しかし結果的に兄はお咎め無し。しかし王都直属でありながら、国境都市ベインクローバーへの派兵を言い渡された。


 まさか……リャーナ様はあの事件の時の……


「そうです、私はあの時、奴隷だった一人なのです。シャリア様の兄上……バイアル様は私にとって命の恩人であり、英雄そのもの……私は一瞬で恋に落ち……バイアル様と一夜を共にしました」


「……はい?」


 ちょっと待って。子を成したのはお爺様ではなく、あの兄……あのバカ兄?

 

「何故兄が……いえ、それでなんでお爺様が酔いつぶれた末にという話が出たのですか?」


「私はバイアル様を誘惑したのです。後先考えず、初めての恋で有頂天になるあまり……。そしてバイアル様はその後、騎士としての称号を剥奪される、その手前まで審議が進んでいました。そこでもし奴隷だった女と一夜を共にしたという話が浮上すれば……立場はさらに危うくなります」


 まあ、それはそうだ。あの時私はまだ子供で、その事を聞かされたのは後になっての事だったが……。結果的に兄がお咎め無しとなったのは、多くの騎士が兄の行動に賛同したからだ。サリアの言っていたとおり、この国の騎士は奴隷制を極端に嫌っている。いや、私もだが。


 しかし兄が奴隷と関係を持ったとなれば、他の騎士達も庇うに庇いきれないだろう。女が欲しくて皆殺しにしたのか、と言われかねない。


「そこで私はワールゴ様へと全てを告白し相談しました。バイアル様を守って頂きたいと。勿論、私が黙っていればいい話です。しかし……私はどうしてもバイアル様の子が産みたくて……その環境を整えて頂くため、例の話を捏造したのです」


「つまり……アルベイン家に対して大罪を犯したというのは、兄を誘惑したあげく、その子を育てる為……お爺様を脅して財を得たという事にある……と?」


「……その通りです」


 なんか……馬鹿馬鹿しくなってきた。

 全部あのバカ兄が悪いんじゃないか? そうだ、昔からそうだったんだ。とりあえず思いついたら考える前に行動してしまう。その勢いで庭の銅像も真っ二つにし、私も父に怒られるハメになった。


 頭を抱える私を、リャーナ様とマグフィット様が心配そうに見つめてくる。

 もうどうでもいい、というかあのバカに全て責任を擦り付けよう。


「分かりました。ちなみに私の父は……その話を?」


「ご存じだと思います……」


 成程、父は兄が家督を継がない事をえらくアッサリ諦めたのは……これがあるからなんだ。あんな馬鹿に継がせるくらいなら、騎士として身を削ってもらった方がいいに決まってる。


「……リャーナ様、結論からいいます。悪いのは全てあの馬鹿……いえ、私の兄、バイアルです」


「いえ、しかし……!」


「しかしもかかしもありません。あの馬鹿……いえ、兄……いえ、馬鹿を私とザリアの婚礼の場で告発します。その折、あの馬鹿の口からハッキリと言わせます。リュカ様は自分の息子だと!」


「し、しかし!」


「だから、しかしもかかしもありません! あの馬鹿もお爺様も……お父様も! 男三人で私を欺いていたなんて! もう奴らがどうなろうが知ったことではありません! 私はベディヴィア家に嫁ぐのですから!」


「お、落ち着いてください! シャリア様!」


「落ち着いてます! 私は未だかつてないほどに頭が回ってるんです! よく考えて下さい、あの馬鹿は馬鹿ですが、騎士と国民からの信頼は絶大です。そんな男の息子がリュカ様ですよ? 加えてザリアの推薦もあれば……もう誰が何の文句を言えますか? アルベイン家の当主となる事に!」


 確かに、とマグフィットさんはウンウンと頷いてくれる。

 リャーナ様は未だ罪悪感が拭えないようで、困惑した表情。しかし貴方にも罪が無いとは言えない。多少、罪悪感が残ろうが何しようが、リュカ様のために血眼になって働いてもらう。


「そしてリャーナ様、貴方はハルオーネ家を畳み、リュカ様の侍女として働いて頂きます。父も兄もこき使って構いません、何でしたら私もご助力します。なんとしても、リュカ様を商人として立派に育て上げるのです」


「そんな……しかしそれでは……私が得をする一方では無いですか! どのようにして償いをすれば……」


「商人の道を甘く見ないで下さい。特に、アルベイン家の主な収入源はアンキルエイトなんです。今、アンキルエイトは値が上がる一方。これが続けばどうなりますか?」


「……えっと……売れなくなる?」


 やはりこの人は商人としては素人同然だ。ローレンスに入り浸っているリュカ様の方が、もっと言葉を知っている。


「……そうです。そして売れなくなった途端、鍛冶師や武具を扱う商人は見限ります。そうなればアルベイン家は破綻します。それは確定事項です。近い将来、必ずそうなります」


「そ、そんな……どうすれば?」


「それを考えろって言ってるんです! 分家やそれに関わる人々を路頭に迷わせないようにするのが貴方方の仕事です! 私達の仕事は単純に言えば、物を売って雇っている方々に給与を支払う事! それ以外にありません! 貴方のその肩に、何千という人の人生が圧し掛かる事になるのです」


 曲りなりにもアルベイン家は大貴族。

 私の言っている事は、決して大袈裟ではない。


 少し激怒して声に出したせいか、なんだか楽になってしまった。

 リュカ様の事が気がかりだった。ルーカスさんの事で落ち込んでいるのに、さらに世間の声に押しつぶされてしまうのではないかと。


 でももう大丈夫だ。全てあの馬鹿兄に被ってもらおう。

 あの兄なら……どうなろうが私の知ったことではない。




 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る