第29話


 「とても……言葉では言い表せない、辛い事がありました」


 「……傍に居れなくてすまなかった、シャリア」


 

 私は全てあったことをザリアへと話した。ロランとの婚約騒動から始まった今回の騒動の事を。今私はベディヴィア家の屋敷で体を休めながら、ザリアへと報告している。ザリアは黙って私の話を聞いてくれた。


「……君の幸せを願って、ルーカスさんは行動に移したのか。確かに……ベディヴィアが悪い」


「ザリア……、前にも言いましたが、誰にも罪はありません。不幸な海難事故が全ての……」


「それはただの切っ掛けだ。ベディヴィアが大人しくローレンスの利権を他の貴族に売っていれば……君は望む相手と結ばれたはずだ」


 それは散々話してきた事じゃないか。何を今更……。


 いや、ザリアも吐き出しているんだ。今は私が何を言っても……。


「すまない……少し感情的になってしまった」


「いいんです。私には全て話してください。私も全て話します。そうやって……距離を縮めて行くことが大切だと思うから……」


「シャリアには敵わないな。……ところで、リュカ様は今は……?」


「ルーカスさんの事で……ひどく落ち込んでしまっていて……ハルオーネ家のご当主がローレンスにお迎えにあがれると……」


「俺も詫びておくべきだろうな。今回の事は、未然に防ぐ事も……出来たはずだ」


「私も行きます。ハルオーネ家にはいくら頭を下げても償えない事をしましたから……アルベイン家は……」


 そのままザリアと共に屋敷を出る準備を。すると一人の侍女が私達の居る部屋へと訪ねてきた。どうやら来客らしい。


「……どちら様ですか?」


「いえ、それが……聞いたことのない家名の方で……ザリア様には、ガラドグレイジスと言えば分かると……」


 その瞬間、ザリアの背筋が凍ったように思えた。気のせいじゃない、ザリアは確実に震えている。


「ザリア? どうしたんですか?」


「……分かった、構わない、通してくれ」


 ガラドグレイジス……何処かで聞いたことがあるような無いような。

 というかザリアは怯えている? こんなザリア初めて見た。もしかしてベディヴィア家にゆかりのある……いや、それなら侍女が家名を知らないはずが無い。


 侍女が客人を客間に通したと知らせてきた。私達は遅れて客間へと赴き、その人物と顔を合わせる。ザリアの態度は変わらない、というか腰に剣をさしたままじゃないか。客人の前でそれはいくらなんでも……


 ガラドグレイジスと名乗るのは女性だった。美しい黒髪に、白地のローブに派手な装飾品を散りばめている。歳は私と変わらないくらいだろうか。正直、妬いてしまう程に綺麗だ。


「初めまして。マグフィット・レンドラ・セシエルと申します」


 マグフィット? 待て、聞き覚えがある。確かアルベイン家が懇意にしているオルレアン家、あの魔術師貴族の当主からその名を聞いたことが……。


 確かオルレアン家の当主はグランドレアに入り浸っていた筈だ。シスタリアの同盟国であり隣国であるかの国に。


「お初にお目にかかります。ザリア・ベディヴィアと申します」


「ぁ、シャリア・アルベ……いや、ベディヴィアです」


 二人で頭を下げつつ、長い机の両端へと顔を見合わせるように座る私達。マグフィットと名乗る女性は私とは打って変わって落ち着いている。まるで壮年の淑女を見ているかのようだ。


「突然のお訪ねして申し訳ありません。実は、私はハルオーネ家とは懇意にさせて頂いてまして。今回、リュカ様から伝言を授かりお二人の元へと……」


「リュカ様から?」


 もしかして、以前リュカ様が私達に紹介したい貴族が居ると言っていたが……この方の事だろうか。確かにリュカ様が言っていた通り……とてもきれいな人だ。リュカ様が顔を赤らめながら紹介したがるのも分かる気がする。


「リュカ様から、お二人に美しい風景を見せて欲しいと仰せつかっています。差し出がましいかもしれませんが、どうかご案内したく……」


「それよりも……ガラドグレイジスとはいったいどういう事ですか」


 その時、ザリアは女性を睨みつけるようにそう言い放った。さっきからザリアの態度は普通じゃない。帯剣している事もそうだが、まるで目の前の女性が魔人か何かだと警戒しているような……


 魔人……?


 ガラドグレイジス……?


「……っ!」


 そこで私は思い出した。ガラドグレイジス、神に等しいと言われる強大な魔人の一人。シスタリアのかつての英雄であるフィーリスですら敵わなかった怪物。


 そして唯一、人間に手を出すなと言い放った魔人でもある。人間と共存を望み、何処かの街で人間に化けて暮らしているという噂は聞いたことがあるが……まさか……いや、まさか……。


 女性は優しく微笑みながら、まるで母親のような優しい声でザリアへと語りかける。


「その名を出せば、相手の力量も分かるのです。私が本物かどうか、騎士様なら既にお察ししているでしょう?」


 ザリアは何も答えない。というか何故だ、何故わざわざそんな事を。この国では魔人は容赦なく殺されるという事を知らないのか? 


「……安心しました。リュカ様がいやに褒めちぎる物ですから、一体どんな人物か見ておきたかったのです。貴方にならリュカ様を任せられます」


「……任せる?」


 私はつい間抜けな声を出してしまう。任せるも何も、リュカ様はハルオーネ家。ベディヴィア家とは何の縁も無い事も無いが、ザリアが面倒を見るいわれは……


「シャリア様、リュカ様はアルベイン家の現当主であらされる、貴方の父上の弟君に当たる方です。違いますか?」


「そのとおりですが……」


「そして貴方の兄上は当主を継ぐ気など更々無く、騎士の道を猛進していらっしゃる。そして貴方もベディヴィア家へと嫁がれるのです。ならば次のアルベイン家の当主は……」


 確かに……リュカ様の可能性もある。でも他の分家が黙っているだろうか。ハルオーネ家は分家の中でも新参だ。しかも別に元々商家だったわけでもない。


「リュカ様は十分な素質を持っています。そして今回、ザリア様とシャリア様がご結婚なさる事は大きな転回期です。失礼を承知で言わせて頂くなら、アルベイン家はお爺様の過ちを清算しておきたいはずです」


 何故そんな事まで……いや、ハルオーネ家と懇意にしているのなら調べるのは容易い。もしかしたらルーカスさんとも交流があったのかもしれない。


「それで?」


 ザリアは落ち着きながらも、未だに怯えている事が分かる。固く握りしめた膝の上の拳は微かに震えている。それほどまでに目の前の女性が強大な存在だという事が私でも分かる。


「後々、アルベイン家はハルオーネ家に対して後手に回る事になるでしょう。そうなる前に、全て奪われる前に家督を継がせておけば、残る分家も破綻せずに済む。恐らくシャリア様の父上はそうお考えのはずです。頭の良い方ですから。それになにより、ハルオーネ家の現当主の事は……シャリア様が一番理解していらっしゃると思います。貴方は必ず後々苦しむ事になるでしょう。ハルオーネ家を……リュカ様を醜い貴族社会に巻き込んだ事を」


 確かに現在のハルオーネ家に、分家を管理するだけの力はない。かと言って他の分家がアルベイン家になり替われば、今度はハルオーネ家が弾圧されるだろう。商人としての力量も乏しく、アルベイン家との繋がりも所詮……お爺様の過ちだけだ。アルベイン家にとっては償おうとしても償えない罪でも、他の分家からしてみれば何の関係も無い話。


 そうなれば確かに私は悩むだろう。そして既にベディヴィア家に嫁いだ私に出来る事は何もない。


「それはいささか……私情が過ぎますね。一番有能な者が当主になればいいだけの事だ」


 その時、ザリアはそんな事を言い放った。

 確かにそうだ。ハルオーネ家に遺恨があるとはいえ、それはもうすでに終わったこと。十分に補償は尽くしたのだ。形だけだが。それで十分に示しはつく。リュカ様を想って当主に据えるというのも……おかしな話だ。


「その通りです。いよいよ本題に入れますね」


 マグフィットと名乗る女性……ガラドグレイジスとも名乗る女性は、深々と頭を下げだした。それを見た驚いたのは私だけでは無い。ザリアもだ。あり得ない物をみるかのように、目を見開いている。


「どうか……リュカ様を守ってあげて頂きたいのです。私はリュカ様が赤子の頃から見知っています。今回、ルーカスがしでかした事も承知しています。その上で……どうかハルオーネ家を……リュカ様を守って頂きたいのです」


 彼女は本当に魔人と言われる存在なのだろうか。

 ザリアの態度から見て、私は確信していた筈だ。でも目の前の彼女はただ、リュカ様の今後を憂いているだけだ。魔人がそんな事をするだろうか。


 いや、私が魔人の何を知っているんだ。私はまだ魔人のほんの一部しか知らない。ただ恐ろしい存在という事しか……知らない。


「ザリア……」


 もう私は……私には何をどうする事も出来ない。でもザリアなら……私の父に進言すればリュカ様が当主となる事も可能だろう。四大貴族の一角、しかもこの国の騎士団の中枢を担う人物なのだ。そんな人物の推薦を、蔑ろに出来る筈もない。他の分家も下手に手を出せなくなるだろう。


「……わざわざガラドグレイジスという名を出したのは……そのためか。自分の覚悟を示すために……。下手をすればもう二度と今の暮らしは出来なくなるというのに……」


「そうです。魔人には寿命はありません。でもその代わり、子を残す事は出来ません。私達は死ねば地脈に帰り、そこから新たな魔人が生まれる……そんな枠組みの中で存在しているだけなのです。私は人間が羨ましい。私も子供を残したい。でもそれは叶わないのです。人間と子を作る事は可能です。でも……それをしてしまっては、生まれてくる子が必ず不幸になる……」


 混血の事を言っているのか。人間と魔人の間に生まれた子供。この国では混血の存在すら忌み嫌われている。見つけ次第、処刑されるのは目に見えている。


 ザリアはどうすべきかと頭を抱える。

 リュカ様をアルベイン家の当主に据えるというのは、完全な私情だ。分家の中に優秀な人物はたくさん居る。確かに血筋だけで言えばリュカ様が一番最有力されるだろう。でも商人の世界でそれは通じなくなってきている。力が無ければ生き残れない。能力が無ければ明日を生きる事は許されない。


「……一つ、聞きたい事がある」


 ザリアの問いに、女性は頭を上げる。泣いていた。女性は心からリュカ様の事を案じ、泣いている。魔人と呼ばれる存在でありながら、人間の子供を守ろうと必死になっている。


「リュカ様から、貴方はグランドレアで何かやらかしたから居れなくなったと聞いています。それは何故ですか」


「……子供を助けました。魔人と人間の間に生まれた子供を……処刑寸前の所で……」


 ザリアは大きく深呼吸を。

 そしてガラドグレイジスと呼ばれる存在を……いや、目の前に居るのは紛れもなく人間の女性だ。この神に等しい魔人と呼ばれる女性は……既に人間だ。


「貴方を完全に信用したわけではない、わけではないが……心には留めておきます」


「……ありがとうございます」



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