第26話
「店主が、ベディヴィア家とアルベイン家の婚礼に一枚噛もうとしたんだ。ローレンスの闇市でアンキルエイトを買い占めて……。そしたら……奴隷も付いてきて……」
「なんですって……」
偶然居合わせたリュネリア様と共に、男から事情を聴いた私は空いた口が塞がらなかった。
アンキルエイトを買い占める? 量が多ければ多いほど、アルベイン家に対して貢献したという証になるとでも思っているのだろうか。しかも闇市で奴隷まで付いてきたとは……一体どういう事だ。
「奴隷と言うのは?」
「闇市でアンキルエイトを買い占める時、売れ残った奴隷も押し付けられたんだ。当然シスタリアじゃあ……奴隷の売買なんて禁止されてる。見つかったら極刑だ。だから……怖くなって……」
逃げた、という事か。
この男の選択は決して間違ってはいない。しかし事態を把握した時点で騎士団に通報すべきだ。
「そんな事できない……店主は俺の命の恩人なんだ……でも、だからって奴隷の売買に手を染めて騎士に見つかったら容赦なく殺される……そう考えたらもう……わけが分からなくなって……」
気持ちは分からなくは……無い。
人間はパニックになると考える事すら放棄する。リコとの婚約を破棄せざるを得なかった、あの時の私のように。
というか、ようやくカリス様が言っていた事が理解できた。この商人をアルベイン家付きの商人として認めろという意味が。確かにこの状況から脱するには、貴族の庇護下に入るのが一番手っ取り早い。しかしリスクも伴う。彼は逃げたとはいえ、彼の店主は奴隷の売買に手を染めてしまったのだ。もしこれがおおやけになれば、店主と関わりのあるこの商人を庇護下に置いたアルベイン家も関連を疑われる。
奴隷、と聞いてついステアを思い出してしまった。
ステアも奴隷として貴族に買われた子。私はステアと出会うまで、この国で奴隷の売買が行われている事自体知らなかった。
私と一緒に男の話を聞いていたリュネリア様も表情を曇らせている。
聖女の、しかも王宮に仕えている彼女が一番関わってはいけない事柄だ。
ここは……リュネリア様にはここでの話は聞かなかった事にしてもらおう。お互いのために。
「リュネリア様……申し訳ないですが、この話は……」
「聞かなかった事に……ですか? それは出来ません」
男の背筋が震えるのが容易に分かった。優しそうな聖女だからと許してもらえるとでも思ったのだろうか。しかし……奴隷の売買など、聖女が許せるはずが無い。
リュネリア様は目線を合わせるように男の前へとしゃがみ、そのまま顔を覗きこむ。
男は当然のように俯いてしまう。しかしリュネリア様は手で無理やり男の頬をつつみ、正面を向かせた。
「まずすべきことは、奴隷の開放です。彼らは不当にこの国、または隣国から拉致された方々です。貴方がすべきことは……店主を告発し、その旨を騎士へと……」
「ま、待ってください……リュネリア様」
私はつい、リュネリア様へと待ったをかけてしまう。
リュネリア様はゆっくりと「何故だ」と言いたげに私へと振り返る。その目は優しい聖女の物ではない。怒りに満ちた……一人の人間の目だ。
私はその目から視線を逸らさないよう自分に言い聞かせつつ、言葉を選びながらリュネリア様へと進言する。
「確かに彼の店主のした事は許されない行為です、しかし考えようによっては、奴隷を保護したという見方も出来ます。告発する前に、店主へと奴隷を開放し騎士団へ通達するよう……」
「だ、駄目だ! そんな事したら……今度は闇市を仕切ってる奴らに殺される……!」
私の言葉を遮り、男はそんな事を言い出した。
何を言っているんだ。このまま隠し通せるとでも思っているのか?
この男……いや、そういえば名前まだ聞いてない。
「貴方……名前は?」
「え? 俺は……レッジ……」
「レッジ、貴方が助かる道はそう多くはありません。今ここで聖女であるリュネリア様が……奴隷の売買の話を聞いてしまった以上、この話はおおやけにせざるを得ません」
「そ、そんな……」
この言い方はリュネリア様に失礼だろうか。
しかしもう、言葉を選ぼうにも状況が状況だけに頭が回らない。
「レッジ、貴方が助かるには、アルベイン家、またはそれに相当する貴族の庇護下に入り、尚且つ奴隷の売買に自分は無関係だという事を証明する必要があります。しかし貴方は既にローレンスを離れて三日経過している。この間に貴方の店主が奴隷を売ってしまっていたら……貴族は貴方を受け入れる事はしないでしょう」
レッジの表情がだんだんと絶望に沈んでいくのが分かる。
でもまだ……手はある。そのためには……
「リュネリア様……一度だけ、私の我儘を聞いていただけませんか? 偶然にも、外にいる男は元王都直属騎士です。彼をリュネリア様の騎士……つまりは王族護衛団として一時的に認めてもらいたいのです」
「……理由をお聞かせ願いますか?」
リュネリア様の表情は一瞬曇る。
それはそうだ。王族護衛団は紛れもなく、この国の騎士のトップ。全ての騎士が夢見る最終地点にして最高の誉れ。リュネリア様の一存で認められるかも分からない。でも可能性があるなら……
「恐らくですが、レッジの店主は既に奴隷を売り払っていると思われます。奴隷はいわば……まともな商人にとって爆弾のような存在です。その売買に関わった事が露見すれば、極刑は確実ですから」
リュネリア様は渋々頷く。
まるで奴隷を商品のように言い放つ私の言葉を良く思わないのだろう。
私だって好きでこんな言い方をしているわけじゃない。
「つまりレッジは逃げたとはいえ、第三者からしてみればすでに関係者なのです。極刑は免れても、二度と日の光を浴びる事は難しいでしょう」
「……それで、何故……外で草むしりをしている彼を王族護衛団に?」
そこだ、この話のキモは。
幸か不幸か、この場にリュネリア様が居合わせた。そしてリュネリア様には嘘をつかせるわけにはいかない。
「王族護衛団は、聖女、そして王族を守る為ならばいかなる障害をも排除する特権を持っています。たとえそれが国の重要人物でも……です」
この話は兄から聞いた。兄は王都直属騎士にして、ベインクローバーの騎士隊長。実力的には王族護衛団をも凌ぐと言われていた。しかし任務に対して愚直すぎる対応が仇となり……兄は飛ばされたのだ。兄は一度、闇市の商人、その客を皆殺しにしている。
リュネリア様は私の話を聞きつつ、なんとなく察したようだ。
しかし怪訝な表情は変わらない。
「つまり……彼に店主を……斬らせるという事ですか?」
「……そうです」
一瞬、ほんの一瞬。リュネリア様は私を恐ろしい何かを見るかのような目で見つめた。
そう、まるで魔人を見るかのような目で。
ここから先はリュネリア様に喋るわけにはいかない。
この方に嘘をつかせるわけには……いかない。
「成程……。王族護衛団ならば独断で奴隷の売買を行った商人を殺しても……何を咎められる事はない。しかし分かっていますか? それは彼の経歴に泥を塗る行為でもあるのですよ。一時的、というのも良くありません。まさに何かを覆い隠すかのような行為です」
「おっしゃる通りです。でもリュネリア様、リュネリア様ならご存じでしょう。私の兄がしたことを……。私も同じです。奴隷の売買など……到底許される行為ではありません。私は育ちがいいだけの箱入り娘です。それでも……奴隷を私欲で扱う人間など……殺しても構わない、そんな風に思っています」
我ながら……良く言えたな、こんな事……と思ってしまう。
実際私は許せない。ステアをあんなやせ細るまで酷使し、体中に傷をつけて遊んでいた人間が居ると思うと腸が煮えくり返る。
でも私は人を殺すなど到底出来ない。所詮、私は口だけの傍観者だ。自分では許せないと思っているのに、自分で手は下さない。
リュネリア様が息を飲むのが分かった。
私の言葉に怯えてくれただろうか。それとも、失望させてしまっただろうか。
「……シャリア様、一つだけ……約束してくださいますか?」
「……はい」
「貴方は……私の友人……いえ、親友です。今決めました。今後、貴方の身に降りかかる事柄は全て私の身に起きた事と同じと思ってください。ですから……貴方の命は、貴方だけの物ではないという事だけ……憶えておいてください」
……思わず泣きそうになった。
この方は……私の事を本当に信じてくれている。
私は嘘をついているのに。本当はロランに店主を殺させる気など更々ない。ただ死んだ事にして、奴隷を開放させるだけのつもりだ。店主には行方をくらましてもらう必要はあるが、奴隷の売買に手を染めたのだ、そのくらいは覚悟してもらうのは当然だろう。
もしかしたらリュネリア様は私のこの本心も見抜いているかもしれない。
それでも、危うい言葉を口にする私の身を案じてくれている。
本当ならこんな話、さっさと蹴って告発する事も出来るだろう。そうしないのは、私に無茶な事をさせないためだ。
これは……罪だ。
聖女に嘘をついて、余計な心労をかしている。
私は騎士でもなんでもない。ただの箱入り娘。
でも私はまた一つ……誓いを立てた。
この方を守ろう。何があっても……私のやり方で、この方を。
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