第20話
「だからさ、俺と結婚しない?」
「……お断りします」
ローレンスで突然、妙な男からかなり軽薄なプロポーズを受けてしまった。ザリアからもまだ受けていないというのに、こんな軽々しく結婚を申し込まれるとは思っても居なかった。
私は未だに口が痛いと嘆くリュカ様の手を引き、その場から離れようとする。しかし男は私の後ろに付いて歩き出した。
「ねえねえ、お願いだから……結婚しない?」
「お断りしますと私は言った筈です。そして今後一切私に関わらないで下さい」
歩きながらそう男へと告げる。しかし男は諦めない。重そうな革袋を担ぎながら、しつこく私に付きまとってくる。
「た、頼むから……ちょっとでいいから! ちょっと結婚しない?!」
ちょっとって何だ。婚約に……ちょっとって……。
駄目だ、私はこんな男は大嫌いだが、今の一言で本当に許せなくなってしまった。
私が一体どんな想いで、どんな人達と出会って、どんな決意をしてここに居るのか……この男が知る由も無いが、だからこそ許せない。よりもよって私にこんな事を言ってくる事、それ自体が。
私は一度立ち止まり、正面から男を精一杯睨みつける。
「貴方のような軽々しい方は……私は大嫌いです。他の女性が不幸にならないよう、この場でハッキリ申します。貴方のような男性に振り向く女性など一人も居ません。居たとしても、貴方を利用するだけ利用して捨てるような悪徳商人のみです。分かったら今一度自分の身の振り方を……」
「あぁーっ! ほ、ほんとうに俺の好みそのものだ……お願いだ! 一度でいい! 結婚してください!」
そのまま膝をついて頭を下げてくる男。なんて奴だ。そんな事をして本当に婚約など出来ると思っているのか? というか不味い、私達は今凄い目立っている。すれ違う人、皆が私達に注目している。
「リュカ様、ルーカスさんの所へ行きましょう……時間の無駄です」
「ま、待って……待って! 話だけでも!」
「お断りしますと何度も言ってるでしょう! いい加減にしないと騎士を呼びますよ!」
私は叫ぶように男へと言い放った。するとその声を聞きつけてきたのか、本当に一人の騎士がやってきてしまった。しまった、つい大声で……
「如何なされた? 何やら……尋常でない事態が起きていると思いましたが」
やってきたのは白髭を蓄えた老騎士。この街の騎士だと言う事は、ベディヴィア家にゆかりのある人間だろう。ザリアの名前を出して……いや、ザリアには極力迷惑をかけたくない。ここは穏便に……追い払ってもらおう。
「お騒がせしました、騎士様。実は……この方に先程から言い寄られていて……困り果てているのです」
「左様でしたか。ならばここは私にお任せを」
すると騎士は頭を下げている男を起こすなり……
「おい、お前、さっさと……って、貴方様は……」
ん? 貴方……様?
「何をなされているのですか? 貴方様ともあろうものが、こんな旅人のお嬢さんに言い寄るなど……」
騎士は目の前の男へと敬語を使い、下出に出て説教している。
この男は何者なんだ、もしかして……
「し、仕方なかったんだ。やっとちょうどいいお嬢さんが居たからつい……」
ちょうどいいって……なんて言い方だ。まるで私が都合のいい女のようではないか。
「なにはともあれ、人目に触れ過ぎています。また父君にどやされますぞ。ここは一旦……」
「い、いいや! 頼む! 一度だけでいいんだ! 話だけでも聞いてくれ!」
騎士は深く溜息を吐きつつ、今度は私へと
「お嬢様、申し訳ありませんが……この男の話を少しだけ聞いて差し上げてくれませんか。その上で断れば諦めると思いますので……」
ちょっと待て、何故そうなる。この男はこの街の騎士に顔が利くのか?
私としては極力……いや、金輪際関わりたくない類の人間なのに……
「はぅぅぅぅ、口がぁ……」
その時、未だに口が痛いと訴えるリュカ様の声が耳に届いた。
このままここで立ち尽くしていても時間の無駄だ。はやくリュカ様に水を飲ませてあげたいし……
「……わかりました。なら何処か飲食の出来る場所に……申し訳ないですが、騎士様にもお立合い願えますか? 私一人では……その、何をされるかわかりませんので」
「畏まりました。では……この男の実家の商店へと参りましょう。あそこなら……」
※
老騎士と男に連れられやってきのは、ゼスラス家の本店。この街で尤も大きな建物であり、ローレンスの管理の中枢ともいうべき場所だ。まさか……この男は……
「も、申し遅れました……私、ロラン・ゼスラスと申します……」
「……はい?」
テーブルへと付くなりロランと名乗る男。私はその名前に聞き覚えがあった。ゼスラス家と言えば主に旗を騎士団に売り込む事で大成した商家だ。このローレンスを取り仕切る三大商家の中で、尤も王家に声が通るとも言われている。
そしてゼスラス家のロランと言えば、商人にして王都直属の騎士と認められた男。あの兄上ですら、たいした奴だと賛辞を贈っていた程だ。
「あ、貴方が……あのロラン様? 若干十代で王都直属の騎士と認められた……」
「あぁ、うん。一応程度なんだけどね。認められたと同時に騎士は止めちゃったし……」
何という事だ……そんな騎士に認められた男が……こんな軽い最低男だったなんて。
「え、何その目……ヤバイ……ちょっと本当に震えが止まらないよ」
私の目線に震えるロラン。震えるの意味が若干違う気もするが、気にしない事にしよう。
何はともあれ、私は店員へと水を注文しリュカ様へと。リュカ様はやっとありつけた水を一気飲みし、ようやく口の中が落ち着いたようだ。
「ところでさっきの話の続きなんだけど……俺と結婚してくれないかな?」
「お断りします。ではお話は終わりましたね、私はこれで失礼しま……」
「あぁ! 待って! 分かった、分かった! フリだけでいいんだ! 頼む!」
フリ? 婚約するフリを、よりにもよって私にするのか?
あぁ、もう、いい加減頭に血が上ってきた。でもここで私の家の事を話してしまえば……もしかしたらお父様やザリア、そしてベディヴィア家までにも迷惑がかかるかもしれない。何せ相手はローレンスを取り仕切る名家の嫡男。どんな嫌がらせをしてくるか……
「……フリ? おい、お前、さっきから聞いてれば……失礼極まりないんだぞっ」
その時、リュカ様がいつものように可愛く胸を張って言い放った。
その言葉に表情が緩む大人達。無論、私も含めて。六歳の可愛い男児がなんて生意気なっ、可愛い。
「おい! そこの男、良く聞け! この娘はシスタリアに有数の貴族であるアルベ……むぐっ?!」
私は全て言う前にリュカ様の口を塞ぐ。
ここで私の家の名前を知られるわけにはいかない。あくまでただの旅の娘として振舞わなければ。
「……? どうしたんだい? ところで、君の名前は教えてくれないのか? お嬢さん」
「……お断りします。先程は貴方様がゼスラス家の方だとは知らず失礼な事を申しました。しかし私は事実を言ったまでです。それは変わりません。そして私には……将来を誓った相手が居ます。たとえフリであっても、貴方と婚約の真似事などするつもりはありません」
そのままリュカ様と共に街へと戻ろうとするが、老騎士が大変に申し訳なさそうな顔をしながら
「お嬢様、もう少し……もう少しだけお話を聞いてやってはくれませぬか。事情だけでも聞いてやってください。私に免じてどうか……」
なんて卑怯な……老騎士にそんな風に言われて断れる筈が無い。
この国の老騎士の大半は大戦で戦った勇士だ。間違いなく国の英雄であり、今私が何の不自由もなく商人の娘として暮らしていけるのは、この方々のおかげだと言っても過言では無い。
私は黙って席へと座り直し、とりあえず話だけ聞く事にした。何を聞いても私の答えに変わりはないだろうが。
「感謝します。ではロラン様、どうぞ」
「ぁ、あぁ。実は……」
私はロランの話へと耳を傾ける。事の発端は半年前。ゼスラス家と懇意にする貴族の間で些細なトラブルが発生したらしい。その内容は本当に些細で、商品の値段を間違えたとかそんな程度だ。しかしその貴族はゼスラス家に不備があったと主張し、とある要求を突き付けてきた。
その要求とは……ゼスラス家の長男、ロランを婿養子として寄こせという物らしい。
「……で……そんな無茶苦茶な要求を、貴方の父君は飲んでしまったのですか?」
「えぇ、まあ……父はその、何というか……気の弱い男でして。相手の貴族はそこまで大きな家柄では無いのですが、そこの当主殿はかなり横暴と言いますか……」
「そんな物、突っぱねればいいでしょう。別にその貴族はゼスラス家の経営に深く関わっているわけでは無いのでしょう? 言い方は悪いですが、切り捨ててしまえば……」
「父はそういう事が出来ない男なのです。ゼスラス家が見放せば、その家は確実に没落するでしょう。どうやらその家の当主は、父の性格を熟知しているようで……そこに付け込んで……」
なんとも情けない話だ。そしてこのロランという男の境遇は、私と似ていなくもない。私もベディヴィア家が没落の危機にあると言われてザリアと婚約する事になった。ベディヴィア家は国の柱。それが没落してしまえば多くの人が路頭に迷う。規模は違うとはいえ、ゼスラス家の当主も似たような決断を迫られたという事だ。
「しかし、それで何故私が貴方と婚約するフリをするという話になるのですか? そんな事をすれば余計に話がこじれるように思えるのですが」
「それは……父が唯一出した条件なのです。息子である私に、心から愛する女性が居るのであれば、今回の話は無かった事にしてくれと……。相手の貴族もそれを飲みました。しかし生憎私にはそんな相手が居なくて……」
一体どういう事なんだ。その程度で済むならさっさと相手の貴族に言ってしまえばいい。自分には愛する人が居ると。そして誰か連れてこいと言われたら適当に……ぁ、それが私か。
しかし、この話の中で一番私が同情しているのは相手の貴族の娘だ。私が女だからかもしれないが、そんな勝手にホイホイ自分の相手を決められて、しかも婿養子を貰うなど認められる筈が無い。
「相手方の……娘さんは何と仰っているのですか? いえ、それ以前に会った事はあるのですか?」
「えぇ……一応……。とても可愛らしい娘さんで……私となら結婚してもいいと仰っているのですが、私は到底認める事が出来ないのです。彼女とは結婚するわけにはいかないのです」
「まあ、それはそうでしょう。家柄のしがらみで無理矢理婚約など……到底……」
「いえ、それもそうなんですが……相手の娘さんは、その……」
リュカ様へと目配せするロラン。
「何か他にあるのですか? その娘さんに」
「……えぇ、まあ……その方は……未だ六歳の……お嬢様なので……」
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