第17話

 

 「疲れてないかい? シャリア」


 「大丈夫です。私は結構鍛えられてますから」


 今私達はローレンスへと徒歩で向かっていた。ステア達と別れてどのくらいが経っただろうか。もう既に太陽は傾き始め、だんだんと空へと微かに星々の光が見えてくる。

 なんだか不思議な気分だ。あれほど絶望的だと思っていた政略結婚なのに、相手のザリアと一緒に普通に歩いて旅をしている。私はザリアに惹かれているのだろうか。

 もし惹かれているというなら、私はなんて尻軽な女なんだ。思わずリコの顔を思い出しながら、私は彼と最後に交わした会話を思い出していた。もし私が幸せになれないのなら、リコが私を奪いに来てくれる。でもそれはあってはならない話。お互いに不利益にしかならない。


 私は幸せになる。幸せにならなければならない。私の幸せは……私の人生は私の物じゃないんだから。


「シャリア、少し暗くなってきたな……足元、大丈夫かい?」


「ぁ、はい。まだ大丈夫です。完全に夜というわけではないですし」


 ザリアは「そうか」と少し残念そうに。

 どうしたんだろうか。まだ足元が見えなくなるほど暗いというわけではない。確かに薄暗いは薄暗いけど、歩けないという程では……


 その時、ザリアの左手が何やら寂しそうに軽く握ったり開いたりを繰り返されている事に気が付いた。もしかして……まさかとは思うが、ザリアは……


「ザリア……なんだか可愛くなってませんか?」


「えっ? な、何の話……?」


「いえ、旅を始めた頃は普通に……手繋いでたじゃないですか」


 私の発言にビクっと背筋を震わせるザリア。どうやら図星の様だ。騎士としていくら優秀でも、なんだか恋愛に疎い少年を見ているような気がする。私と手を繋ぎたいのなら繋げばいいのに……と思ってしまうが、それだと私の方が歳上みたいだ。なんだか私から手を繋ぎに行くのは違う気がする。ここはザリアから頑張ってほしい。


「いや、その……自分でもよく分からないというか……」


 そう呟きながら顔を背けるザリア。本当に少年を見ている様だ。ザリアはもう既に二十歳は過ぎている。それに対して私は十七歳。そこまで歳は離れていないけど、どうせなら私はザリアにもっと……


 もっと……なんだ?

 私はザリアにどうしてほしいんだ。よく分からない。私はザリアの事をどう思っているのだろうか。所詮政略結婚の相手だと割り切ってはいない。でもだからと言って、私はザリアの事を愛しているかと言われたら……


『私は貴方の事を愛します。貴方は私の事を愛せますか?』


 私がザリアと最初会った時に言った言葉だ。そうだ、私は偉そうにこんな事を言っていたんだ。リコやファリスさん、それにサラスティア姫君やリュネリア様と出会って、私は恵まれているし幸せにならないと申し訳が立たないと思っていたから出た言葉。私達の人生は私達だけの物ではない。私達のこの先の選択が、多くの人の人生を左右する事になる。でも今はそこまで考える余裕なんて無い。


 今はとりあえず、私はザリアを愛せる努力をしなければ。

 そんな愛し方は間違っているかもしれない。でもそうする他ない。そうでもしないと……これから先の道が見えない。


「ザリア……愛ってなんですかね……」


「……? 愛……愛か。まあ、模範的な答えを言うならば……相手の事を信頼して全部ぶつける……かな」


「ぶつける……? じゃあザリアは私に何をぶつけるんですか?」


「何って……そりゃ……」


 途端に黙り込んでしまうザリア。

 薄暗くて良く分からないが、恥ずかしがっているような気もする。なんだかザリアの様子がおかしい。ステア達と別れた時……いや、あの時だ。ザリアが私の腕の傷を見た時から……。


「ザリア……あの時、なんで泣いたんですか?」


「……あぁ、あの時って……あの時だよね」


「そうです、あの時です」


 あの時あの時って……本当にザリアは分かっているのだろうか。

 いや、分かってるに決まってる。ザリアの背中が何となく……悲しそうに泣いているように見える。私の傷を見て怒るのならまだ分かる。お前は自分の体に何をしているんだと叱られる方が理解しやすい。

 でもザリアはあの時無言で泣いていた。私の傷を見て泣く……なんだろう、本当にザリアがあの時何を思っていたのかが分からない。


「シャリア、話は変わるけど……宿はどうしようか。もうローレンスまで村もないけど……今夜は野宿にするか、夜通し歩き続けるか」


「できれば夜通し歩くのは勘弁してほしいですね……」


「おや、鍛えられているんじゃ無かったのかい?」


 少し意地悪に笑うザリア。その笑顔につられて私も笑いながら、今夜は野宿にするという事で決定した。





 ※





 夜でもそこまで寒くない季節で本当によかった。少し風があるが気持ちいくらいだ。私とザリアは広大な草原の岩かげに入りながら、並んで座って空を見上げている。もう既に太陽は完全に沈み、月が煌々と大地を照らしていた。夜空の星空も綺麗にみえる。


「そうだ、ローレンスで食料を……簡易的な物で申し訳ないけど……」


「いえ、十分です。ありがとうございます」


 クッキーのような食料を貰い、一口齧る。少し甘い香りだが、ほろ苦い。でも不味くは無い。こんな風に外で寝泊まりするなど当然ながら初めての経験だ。だからだろうか、心なしかワクワクしている。ザリアと一緒なら何が襲ってきても心配する事も無い。


「シャリア、さっきの話だけど……その、君の左手の傷の事……」


 ザリアは星空を眺めながら、そう会話を切り出した。私は軽く頷きながら少しザリアへ身を寄せる。


「聞いても……いいのかな……。いや、聞かなきゃいけない事だと思う。その傷は……俺の責任でもあるし……」


「そんな事ありません……この傷は……私が何も知らなかった事の証ですから。今でも私は無知です。ステアの親父さんも言ってました。人は誰しもが無知だって……」


 私しか知らない事、ザリアしか知らない事。それは勿論ある。でも私はザリアの知っている事は全て知りたいと思ってしまう。同時に、私が知っている事はザリアにも知ってほしいと……。


「ザリア……この傷は……ベディヴィア家へ嫁ぐ事を父から告げられた後……私が自分で付けました。死にたいと思っていました。私が好きだった男性はリコという騎士なんですが……王都直属の……」


「リコ……あぁ、シェバ隊の彼か。彼は……優秀な騎士だ」


「……知ってるんですか?」


「あぁ、シェバ隊は色んな意味で有名だからね。恐らくこの国で一番腕の立つ騎士が集まっている隊だ。王都直属の騎士も多く在席しているし」


 そうなのか。リコはそんな隊で……。

 

「シャリア、今でもその……死にたいと思ってるか?」


「……思ってたら……こんな風には話せませんよ。私は恵まれていましたから。出会う人出会う人、素敵な人達ばかりで……この傷も聖女のリュネリア様に完全には治さないでくれって頼んだんです。今思えばとてつもなく失礼ですよね……わざわざ来て頂いたのに……」


「じゃあその傷は……自分への戒めで……?」


「いえ……どちらかと言えば決意です。でも戒めって言われると……そんな気もしてきます。私は本当に……周りが見えてなかったから……」


 少し肌寒い風が吹いた。私はそっとザリアの腕に抱き着くように身を寄せる。そのまま手を繋いで……。


 あぁ、結局私から手を繋いでしまった。ザリアから繋いでほしかったのに……。


「決意……か。俺も……その傷に想いを込めていいかな……シャリア」


「……勿論ですよ。どんな想い込めますか?」


「……何があろうと、俺はシャリアを守る。この先、何があっても……俺はシャリアを守り続ける」


 そのまま顔を寄せてくるザリア。

 

 唇同士が触れ合うと、私はもう離さないと強く手を握る。


 ザリアの声が私の中に浸透してくる。

 私を守る……そう言うのは簡単だ。


 でもその時のザリアは……その顔はまさに決意そのものだった。

 どんな約束よりも……どんな騎士の誓いでも越えられない、その決意。


 私は唇からそれを受け取り、体へと、傷へと浸透させていく。


 


 お互いに将来を誓い合った相手が居た。

 同じ傷を分かち合う私達。傷を舐め合うのではなく……その傷をお互いの想いで埋めるのだ。


 それを舐め合うという事だと言われたら、私はこう反論しよう。

 私達のこの想いは……私達だけの物だと……。




         

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