第8話


 「ではとりあえず……ローレンスを目指しましょうか」


 「はい。わかりました」



 彼と一緒に王都を出て、本格的に旅路を行く。まず目指すのは商業の街、ローレンス。今はベディヴィア家が利権を握る街だ。

 ローレンスは王都からちょうど西に位置している。さほど遠くはないけど、徒歩となると一日……いや、二日はかかるだろうか。正直私は王都から出て旅など初めての経験だ。ローレンスへも馬車でしか行った事がない。


「ザリア様、ローレンスまで……徒歩でどのくらいなのですか?」


「まあ……のんびり歩いて三日という所かな……」


 三日……結構あるな。馬車の偉大さが身に染みる。


「途中途中で宿は取るよ。この辺りは遊牧民が開いた村がいくつかあるからね」


 私とザリア様はのんびり歩き始める。太陽の光が温かい。もう春が近いのだろうか。そういえば、草原の草も柔らかく独特のいい香りがした。時折吹く風にも、春の草花の香りが乗ってやってくる。


「ところで……この旅の目的は何にしようか。何処か行きたい所はあるかい? シャリア」


「行きたい所ですか……。強いて言うならば、綺麗な景色がある所……とかですかね」


 ザリア様は頷きながら笑顔で私の言葉を聞いてくれる。ここ数日で私とザリア様はかなり近づけた気がする。でもまだ足りない。私達は結婚するのだから……もっともっと距離を縮めないと……。


「……シャリア、敬語は中々抜けないかい?」


「ぁ、はい……申し訳ありません……」


「別に謝る事ではないよ。でもせめて……ザリア様ではなく、ザリアと呼んで欲しいけどね」


 それが一番難易度高いのです……。自分から距離を縮めなくては……と思いつつも、私はザリア様に対して敬語、しかも敬称に様を使っていた。

 そういえばファリスさんにも呼び捨てにしろと言われた。私は未だに“さん”付けだが。


「え、えっと……ザリア……」


「うんうん。何だい、シャリア」


「……なんとなく、名前似てますね。ザリア、シャリア……私の方が美味しいカキ氷みたいな……」


「確かに名前は似てるけど……カキ氷って……」


 そんな他愛もない話をしながら歩き続ける私達。次第に王都の外壁も見えなくなる頃、羊の行列と出くわした。最後尾を犬が追い立て、羊の群れを操っている。

 私とザリア様は一旦立ち止まり、羊の行列を眺めていた。羊飼いらしき男性が私達に向けて会釈するのが見えて、同じく会釈を返す私達。のどかだ。


「羊といえば……あの童話を思い出すね。シャリアは読んだ事あるかい?」


「あぁ、羊の背に跨って世界を旅する女の子の話ですか? フィーリス著書の児童書ですよね。勿論小さい頃はしょっちゅう読んでました。父に初めて買ってもらった本だった気も……」


 この国で一番有名な作家といえば、誰もがフィーリスを連想するだろう。彼は偉大な英雄であり作家でもある。およそ五百年前に活躍された方だ。五百年前に書かれた児童書が今でも読まれているとは……素晴らしいの一言に尽きる。


「女の子は……何を目的に旅をしたんだったか……?」


「最初は目的はありませんでした。ささいな事で女の子は村を追い出され、羊が女の子に寄り添うようについてくるんです。女の子が疲れて歩けなくなった時、羊は女の子を背に乗せ空を飛び始めて……」


「……シャリアが疲れて歩けなくなっても……俺は空は飛べないな……」


 ザリアは冗談か本気か分からない表情で呟く。思わず私は笑ってしまう。疲れて歩けなくなっても、別に空を飛ぶ必要など何処にもないのに。


「飛ばなくてもいいから……おんぶしてくださいね」


「任せてくれ。空を駆らなくていいなら朝飯前だ」


 自身満々に言い放つザリア。そんなザリアの手を、私はゆっくり握りしめる。ザリアも私の手を握り返してくれる。今はこれが精一杯の愛情表現……とでも言うのだろうか。夫婦にはまだ遠い……気がする。


「ザリア……私の手……ゴツゴツしててあまり女の子っぽくないですよね……私……自分の手があまり好きではないんですけど……ザリアの手もゴツゴツしてるから、お互い様ですよね」


「俺はシャリアの手は好きだが……」


 好きと言われて思わず恥ずかしくなってしまう。不味い……凄い手汗が……


「そ、そういえば……今更ですけど、私……ファリスさんに会ったんです……」


「えっ?! い、いや……そ、そうか……」


 なんだか凄い動揺を感じる。それはそうか、しまった、今ファリスさんの話題を出すなど……私はどうかしてる。こんなの困らせるに決まってるのに……。


「何か……話したのか?」


「まあ、色々と……」


 私のドレスの着付けをしてもらっている時、ファリスさんからザリアの事について教えて頂いた。剣のようにまっすぐな人で、少し天然で、何処か危なっかしい……そんな人だと。


「……シャリア、ファリスの話は……その……今後は控えよう」


「そ、そうですよね……っ、私、ザリアの気持ちも考えずに……ごめんなさい」


「いや、そういう事じゃなくて……。アイツから何を聞いたのか知らんけど……本気にしないように。ファリスはすぐ年下をからかって遊ぶ癖があるというか……」


 ……なんだろう。少し妬ける。いや、かなり妬ける。

 ファリスさんとザリア……お互いがお互いを分かり合ってるみたいで……。


 そんなのは当たり前だと分かっている。ザリアとファリスさんは将来を誓いあい、結婚の段取りまで決めていた関係だったんだ。でも、それでも……


 私は今、確実に嫉妬してる。


 私は……ザリアに恋心を抱いてしまっているのだろうか。もしそうなら、尻軽もいい所だ。この間まで政略結婚の話に悲観的になっていたくせに……。




 ※




 多少、日が傾いてきた頃、小さな農村へと到着する。羊や乳牛の鳴き声が聞こえてくる。なんとも、のどかそうな村だ。でもあまり人の気配がしない。皆家の中に閉じこもっているのだろうか。


「……おかしいな。常駐の騎士が村の入り口で見張ってる筈なんだが……」


「まあ、平和そうな村ですから。どこかでサボっているのかもしれませんね」


「気持ちは分るが……感心はしないな」


 ザリアは村へと入り、目に付いた村人へと挨拶しながら騎士の所在を尋ねた。でも村人は首を横に振りながら家の中へ逃げるように入っていってしまう。


「…………」


「ザリア? どうしたんですか?」


「何か妙だ。シャリア、先に宿を取って待っててくれるか。俺は少し村を調べる」


 静まり返った村。聞こえてくるのは羊や乳牛の鳴き声のみ。


 この村で何か……恐ろしい事が起きている。


 ザリアの表情から、私はそんな不安な気持ちを抱いてしまった。

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