第3話

 

 「シャリア……なんだ、この傷は……」


 「…………」


 床に垂れた血の跡に気が付いた侍女が、父へと告げ口した。私が夜な夜な左腕をナイフで切っている事を。私はもう……死にたいんだ。どうせ心の凍り付いた人形としてベディヴィア家へと赴くのなら、別に死体でも構わないだろう。


「エントラ、すまないが王宮の聖女に来てもらえるよう掛け合ってくれ。ちゃんと傷を治さねば……」


 王宮の聖女……秘術で奇跡を起こす女性達。どんな傷でも瞬く間に治してしまうらしい。


「ちゃんと直さないと……失礼ですからね……ベディヴィア家の方に……」


 私は狂った人形のように……薄く笑いながらそう言い放った。侍女は震えあがり、父は目を見開き今にも私の頬を殴ろうと平手を構え……


 でも父は私を殴らなかった。震えながら手を戻し、固く握りしめる。


「頼む……シャリア、傷を……治してくれ……」


「畏まりました……父上……」


 そのまま私は静かに立ち上がり、淡々と自室へと戻る。

 自分の手を切り始めて数日、随分楽になった。あれほど悩んでいたのが嘘だったかのように、私の心は静まり返っている。

 

 あぁ、いい方法を見つけてしまった。これなら私は耐えれる。


 耐える……? 一体何に?


「っく……あはは、耐えるって……人みたい……私は人形なのに……」


 もっと、もっと心を殺そう。人形になりきろう。私は……もっともっと、自分を殺せばいい。貴族の、都合のいい人形に……



 ※



 それからしばらくして、王宮から聖女が来訪した。訪れたのは一人の聖女と護衛の騎士。基本的に聖女は医者では無い。そんな気軽に呼べるような存在ではないが、アルベイン家の当主の要請ならば無下には出来ない……という事だった。

 修道服に身を包んだ聖女が私の部屋へと入ってくる。その瞬間、空気が変わったかのように、いい匂いが鼻をくすぐる。


「お初にお目にかかります、シャリア様。聖女のリュネリアと申します」


 丁寧なお辞儀で私に挨拶してくる聖女。護衛の騎士は……なんだろう、何処かで見た事のある顔だ。でも思い出せない……。なんとなく、この国の姫様に見えなくも……いや、そんな事があるわけがない。


 私も聖女に負けじと丁寧なお辞儀で挨拶をする。ようこそいらっしゃいました、などと口からは自然と言葉が出てくる。


「……重症だな……」


 ぼそ、と護衛の騎士が呟いたのが聞こえた。まだ私は傷を見せていない。一体何の事を言っているのだろうか。


「ではシャリア様……そちらにお掛けになってください。傷を拝見いたします」


 私はベッドへと腰かけ、聖女へと左手首を見せる。手首から肘にかけて、数十か所の傷。聖女の顔が微かにしかむのが分かった。


「……では、治療いたします……」


 暖かい光が聖女の手から発せられた。傷はだんだんと順番に塞がっていく。こんな事が出来るのか。まさに奇跡……


「待てリュネリア。ちょっと変われ」


「は? あの、サラスティア様?!」


 無理やりに聖女と場所を変わる護衛の騎士。というか今、サラスティアと聞こえたような気が……。

 

 サラスティア……私の記憶が正しければ、王家の長女であらせられるお方。

 いやいや、そんな筈が無い。そんなお方がこんな一貴族の家に来るはずがない。それも護衛の騎士って……。


「……酷い傷だ。でも本当に治癒すべきは……心の方だ」


 サラスティアと呼ばれた騎士は、私に真っすぐ目線を向けてくる。その綺麗な瞳に一瞬、吸い込まれそうな感覚に襲われた。というか綺麗だ。思わず見とれてしまう。間違いない、この方は……


「あの……サラスティア姫君……ですか?」


「今は騎士だ。それより……何があった。なんでこんな事してる」


「…………」


 私は答えない。言える筈が無い。姫君に私なんかの悩みなど話しても……


「さっさと答えろコラ! 魔人の餌にするぞゴラァ!」


「ちょ! サラスティア様! 何してるんですか! 落ち着いてください!」


 私の両頬を摘まんで引っ張ってくるサラスティア様。それを止めようとアタフタする聖女。

 

 なんだか……おかしい。この国の姫君がこんな事をするなんて……思わず笑ってしまう。


「お、なんだ、笑えるじゃないか」


「え?」


 私は笑いながら……泣いていた。最近は人前で泣く事は無かったのに……。


「ほら、話せ。力になれるかもしれん」


「……はい」


 私は事の顛末をかいつまんでサラスティア様へと話した。アルベインとベディヴィアの因縁、政略結婚。リコの事も……自分が夜な夜なしていた傷をつける行為も……。全て話した。

 サラスティア様はずっと黙って話を聞いてくれて、私はその瞳に吸い込まれるように……次々と言葉が口から溢れ出てくる。言わなくていい事まで……今まで思っていただけで、口には出さなかった、出せなかった事も……


「……なるほど。それは死にたくなるな。なあ、リュネリア……って」


 聖女の方は号泣だった。聖女服をずぶ濡れにする勢いで涙を流し、子供のように袖で拭いている。


「す、すみません……泣きたいのはシャリア様ですのに……」


「全くだ。お前が泣いてどうする。というか……採掘権が絡んでるのか……。確かに政略結婚が一番……被害が少なく丸く収まるだろうな。というかベディヴィア……何回没落の危機迎えてんだ」


「サラスティア様、口が過ぎますよ」


 姫君と聖女のやりとりに、思わず笑みが零れてしまう。この国の王族にはこんな人が居たのか……と素直に感じてしまう。


「……シャリア、はっきり言おう。政略結婚は避けられないだろう。その件に関しては……王族は立ち入れない。四大貴族とは言え、特別扱いは出来ん。仮にここで王族が援助してしまえば、他の貴族は黙っていないだろう。王族とは言っても……所詮、その程度の存在だ」


「はい……ありがとうございます、私なんかの話を聞いて頂いて……。もう、覚悟は出来ています……」


「覚悟覚悟って言うけどな。お前何歳だ」


「……十七ですが……」


「覚悟なんて言葉はな、死に際の老体が言えばいいんだよ。お前みたいな娘がおいそれと使うな。とは言っても……好き勝手に生きてる私が何を言っても説得力なんて無いだろうな……」


 そんな事は無い。実際私は……なんだか心のどこかが……解放されたような気分で……


「もう一度、リコという騎士に会え。不安なら私も付いて行く。別にリコにお前が取った対応が気に食わないというわけじゃない。むしろ褒め称えたいくらいだ。でもな……相手の事を想って自分を疎かにしても……意味は無いんだ」


「でも……私、彼に酷い事を……」


「大丈夫だ。もしリコがやけを起こしてお前に罵声を浴びせるような事があれば……私がその場で叩き切ってやるよ」


それは……是非止めて頂きたい……






 

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