第2話
「一体、どうしたんだ、シャリア……突然、そんな事……」
「……もう……貴方の顔も見たくないわ……私と、別れて……」
結婚を誓いあった相手、王都直属の騎士。私にとって、人生最大の恋だと信じて疑わなかった。
彼の名前はリコ。優しく誠実で……まさに男性の鏡のような人。騎士としても優秀な彼は貴族ではないけれど、そんな事は関係ない。家柄がどうであれ、私が愛した人。もうずっと……このまま二人で人生を歩んで行くと信じて疑わなかった。
「なんで……シャリア! 一体どういう……」
彼が私の肩を掴み、事情を尋ねてくる。でも話せるわけがない。こんな貴族同士の事情なんて、彼は理解できないだろうし、何より……私は彼のために後腐れなく去らなければならない。
いや、何が彼のためだ。私はただ……悲劇に酔っているだけだ。
「離して……離して……!」
彼の手を振り払い、精一杯睨みつける。
その愛しい顔を、優しそうな瞳を。
「貴族でも無い貴方に……恋なんてバカバカしい……。もう飽きたのよ。私の前に……二度と現われないで……」
それだけ言って私は彼に背を向けた。彼は追いかけてこない。呆然とする彼の顔が頭の中に浮かんでくる。
彼に背を向けた途端、我慢していた涙が溢れ出した。彼の前で泣かなかった。最後まで冷血な女を演じてみせた。
彼に振り返る事なく、私は心の中で最後の別れを告げる。
さようなら、リコ。願わくば……貴方は幸せな人生を……
※
帰宅する私を待っていたのは父。申し訳なさそうな顔で、私の手を握り頭を下げてくる。
「シャリア……無力な父を許してくれ……」
「……お父様……大丈夫です。気にしないで下さい。私は全然平気ですから」
「シャリア? お前……」
「私は、貴族でもない男に本気で恋などしません。分相応という物があるじゃないですか。私には私の、相応しい相手が居るはずです」
そのまま父の手を優しく振りほどき、会釈しながら自室へと。後ろから父のすすり泣く声が聞こえてきた。最低だ、私。父は何も悪くない。そんな父に……何を……。完全に父へのあてつけだ。
自室へと戻ると、一通の手紙が机の上に。どうやらベディヴィア家の殿方と顔合わせの段取りが決まった、という報せらしい。不思議と涙は出てこない。彼に別れを告げた後、私の涙は枯れてしまったのだろうか。父へ酷いあてつけを言い放った時も……私は一滴の涙も出なかった。
私の心は凍り付いてしまったのだろうか。いや、むしろそっちの方が楽じゃないか。例えリコと一緒に駆け落ちしたとしても、優柔不断な私は悩み続けるに決まってる。
もういい、このまま……私は自分を殺そう。
私は黙って心の凍り付いた、意志の無い人形になろう。
もう、苦しみたくない。苦しいのは嫌だ。私は……逃げてしまおう。
※
夢を見た。リコと一緒に丘から海を眺めた時の……思い出。
水平線を眺めながら、自身の武勇伝を自慢げに語るリコ。
太陽が沈みかけ、海が茜色に染まる頃、リコと一緒に馬に跨る。彼の大きな背中に身を預けると、心臓の音が伝わってくる。
幸せだった。こんな時が永遠に続くと本当に信じていた。もう何があってもリコから離れない。私はずっと、ずっとリコの隣に居続ける。
でも突然、私は落馬する。全身に痛みを感じながらリコを見上げると、冷たい視線が私に浴びせられていた。
『冷血な女め。所詮……貴様にとって俺はただの道具だったのか。所詮、暇をつぶすだけの……玩具だったのか』
違う、そんな筈ない、私は本気で貴方を……愛して……
そのままリコは私を置いて走り去ってしまう。彼が遠ざかる程、地面は凍り付いていく。
私も一緒に……凍り付いていく……
※
汗だくで目を覚ました時、目の前は真っ暗な空間。薄く暗闇の中、天井に描かれた模様が見えた。次第に模様は擦れて、朧気になっていく。その時初めて自分が泣いている事に気が付いた。涙など枯れてしまったと思ったのに、私の心は凍り付いてしまったと……思ったのに……。
ベッドから降り、棚からナイフを取り出す。そのまま自分の左手首へと。
赤い血が出るまでナイフを押し付ける。次第に血の雫が垂れ、だんだんとナイフを伝って流れてくる。
ナイフが自分の血まみれになった頃、父と母の顔が脳裏に浮かんでくる。そして次々と、走馬燈のように今まで私が関わってきた人々の顔が。そうしてやっと……手首からナイフを離した。痛みなど無い。手首の痛みなど、どうという事はない。
「なんで……死なせて……下さい……お願いです……」
彼を、リコを傷つけた。彼のためと言い訳をしながら、私はただ八つ当たりをしただけだ。
「お願いです……死なせて……私を殺してください……」
床へと血を垂らしながら……私はひたすら願う。
どうか私を、裁いてください。
彼を傷つけました。身勝手な理由で……彼の心に深い傷跡を付けました。
その罰を……どうか、どうか……私にお与えください……
夜な夜な、私はこんな事を何度も続けた。
夢を見る度に……あの、リコとの思い出を……見る度に……
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