4.囚われ人たち

 夜明けと共にあお犬の声は消えた。

 三人の男は黙ってそれぞれの荷をまとめ、それぞれの旅を続けるべく支度を始める。


 口琴師が用足しに離れたあいだに、髭の男が若い男に噛み草を勧めた。

「ありがとう。でもこれ、商品でしょう。いいんですか?」

「かまわんさ。昨夜の話の礼だ」

 二人は乾燥した噛み草を口に含み、噛んでは地面に唾を吐いた。


「で、なにが狙いだ。上界人カジュルクツ

 顔を寄せ、声を低くして髭の男が訊く。

「はて?」

 驚くでもなく、若い男が返す。

「今さらとぼけるでもないだろう。なにが西ドハルの婚礼だ。あの町はとうに人の住む所じゃなくなってる。それと」

 髭の男はいきなり相手の胸ぐらを掴んで引き寄せた。

「自分も大猿のひとり、と言ったな。ああ、上界人が俺たちをそう呼んでるのは知ってる。だが覚えておけ、穢れた地の者ウダーンノウツはけっして自分らのことを猿とは呼ばない。俺たちはどこまでも人間だ――人間だ!」

「これは失礼した。ときに髭のお方」

 顔色も変えず、若い男は静かに見返した。

「あなたもただ商いをしているだけには見えぬが。なぜ翡翠児の話なぞ出した?  もしやあちこちで情報を集めているのではないかな」

 問われて、髭の男は忌々しそうに相手を突き放し、最後の噛み草を地面に吐いた。

「正体がばれた途端に言葉まで変わりやがって……ああそうとも。俺は商いの旅をしながら翡翠児の話を集めている。何のため、とか訊くなよ。俺にもよくわからない。わからないが、尋ねずにはいられないのだ」

「つまり囚われている、と」

「ああそうとも!」

 髭の男は手を振り回した。

「あの眼が、あの翡翠色の眼が! 俺を赦してくれないのだ!」

 吐き出すように言って、自分を落ち着かせるように息を整え、男は地面を睨みながら続けた。

「俺も昔、翡翠児に会ったんだ。まだほんの子どもの頃にな。荒れ果てた山の陰で、枯れた草みたいににあの子は転がっていた。翡翠のような眼をいっぱいに開いてただひと言、助けてと俺に言ったのだ。俺はただ恐ろしく、帰って翡翠児のことを大人たちに告げた。助けてやってほしいとも伝えたさ。だがその夜、大人たちは山に火を放った。まだ山焼きの季節でもなにのに、だ。俺は何もできず、震えながらその火を見ているしかなかった。あの翡翠のような眼をした子どもは焼かれてしまった。なぜ。俺はあんな小さな娘っこ一人助けることもできなかった。なぜ。囚われているというなら、そうとも。あの日からずっとだ。ずっと!」

「つまりは罪の意識ゆえか」

「だったら何だというのだ」

「何でもない。安心せよ、誰にも言うつもりはない」

 固い空気のまま向かい合う二人の間に、朝日に温みはじめた風が舞った。


 おおい、と声をかけて口琴師が戻ってきた。

「噛み草のにおいだ。なんだよ旦那がた自分らだけで。わしにも分けてくれよう」

 ほらよ、と髭の男は草を一抓み投げてやり、そのまま自分のリャイパに向かう。

「ではな、俺は先に発つ。くれぐれも気をつけることだ、お若いの。西ドハルまでは遠いぞ」

「お気遣いありがとう。あなたも良い旅を」

 若い男はもとの口調に戻って、礼儀正しく見送った。


「ときにお若いだんな、鎧も着ず風に当たって大丈夫なんかい――上界人のくせによ」

 くちゃくちゃと草を噛みながら口琴師が訊いた。

「なんだ、あなたも気付いていたか。なぜ黙っていた」

 悠然と微笑む若い男に口琴師は笑い返した。

「そらおめえ、面白いからよ」

「面白いか。そうだな、私のような体質は珍しいな」

 若い男は天を仰いだ。

「上界人とはよく言ったものだ。私たちの祖先はあの天上のいずこからか、この地に流されたと聞く。なにが清浄なものか、この地の風に触れただけで喉が焼け、肌が爛れてしまう情けない生き物だ。おまけに風土病――あなた方が緑喰と呼ぶあの植物に喰われてしまう病を、祖先は何よりも恐れた。恐れゆえにハルリ宮に閉じこもり、ただ唯一助かる術を翡翠児に求めた」

「おっと、そっから先は言わぬがいいぜ。わしぁ上界人の都合なんざ知ったこっちゃない。ただ今日を無事に、面白おかしく生きれりゃあそれでいいんだ」

 話を遮られて、若い男は肩をすくめた。

「あの髭の旦那だってそうだ。やろうと思えば昨夜のうちに、おまえさんの首を蒼犬の贄に差し出すこともできた。だがそうはしなかった」

「あの男も、私を面白がっていたと?」

「そうさ、じっさい昨夜の話は面白かった。楽士と翡翠児のかかわりも知れたしな」

 地面にぺっぺと草を吐き出す口琴師の横顔を、若い男はじっと見た。

「あなたもまた、翡翠児に思い入れがあるようだな」

「ああ? そうかもな」

 口琴師は眩しそうに、朝日から顔を背けた。

「忌まわしやキアタイカ。わしはあん時、市場にいた。つい悪戯っ気をおこして緑の髪を引っ張ったんだ。ああ、綺麗な色だったからな、ほんのちょっと触ってみたかっただけなんだ。頭巾が外れてしまうとは思わなんだ。その後大人たちが翡翠児の髪に群がるのを見て、とんでもねえことをしでかしたと思ったが、狂い始めた人の群れは止められん。狂乱の市を抜け出して海まで走り、船乗りに助けを求めようとしたんだが……遅かったな。わしぁ舟に助けられて、どうにか緑喰に呑まれずに済んだってわけよ」

 ハハハハハハと若い男の笑い声が響いた。

「なんと、ここにも罪人がいたか。よくもまあ昨夜は、翡翠児に囚われている男が三人も集まったものだな!」

「フフ、そうだな。まあそんなもんだ」

 口琴師は笑い、顔を向けた。


「さて陽が昇るぞ、お若いの。もうおしゃべりは終わりだ」

「ああ。だがもうひとつ訊いておきたい。あなたの口琴が奏でる音、あれはただの音楽か? なにか信号のようにも思えたのだが」

「さあてね」

 口琴師はぼろのような頭巾を被った。

「そこまでわかってるんなら、さっさとリャイパに乗んな。上界人に恨みを持つ者は多いぜ。わしが時間を稼ぐうちに、どこへなりと行っちまえ」

「多くの恨みを買う上界人を、逃がそうというのか。なぜ」

 若い男の問いに、口琴師は頭巾の下から歯を見せた。

「昨夜の酒が美味かったからさ」


 乾いた風の中に、陰鬱な口琴の音が響く。

 陽が昇り、荒れ地を灼きはじめた。

 明るければ明るいで、また別の死がすぐ近くにある。


 遠く、忌み地とされる緑喰の草の原だけが、生命の気配――緑を輝かせていた。



〈了〉





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テネベグを往く旅人たち いときね そろ(旧:まつか松果) @shou-ca2

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