世間様7

 事務所に戻ったら、所長が三段スライド式特殊警棒を二本、自分の机の上に並べて考え込んでいる。


「所長、何してるんですか」

「こっちが香港警察の警棒で、こっちが香港皇宮警察の警棒で、どちらを正式にこの事務所で採用しようかと悩んでる。サキちゃんも女の子だから危ない目に遭った時、手ぶらじゃ不安でしょ?」

「危ない目ならさっき会いました」


 アタシが首筋についた痣を見せると、所長は腰を浮かし、

「もう動いてるのかあの一味は」

 と訳の分からないことを真剣な目で言い出した。

「一味じゃないです、草野ユキに首を絞められ、恫喝されました。あの人は女じゃありません、男です。正確に言えばゲイですが」


 すると所長は我が意を得たりとばかりに呟いた。

「やっぱりゲイだったのか」

 は?

 やっぱり?


「やっぱりじゃないでしょう、なんでそんな大事なことを黙ってたんですか!」

「証拠も何も無かったからだ。サキちゃんに先入観を持たせるとかえってよくないと思って黙っていたが、あれはおそらく、大川の旦那とツヨシ君が『夫婦』で、奥さんは戸籍上の妻だ。おそらくビアンだろ」


「ビアンって、なんですか?」

「レズビアンの略だ。そういうことは女の子の方が詳しいと思っていたんだが」

「レズって言われたら分かりますけど、ビアンは初めて聞きました」

「じゃあ、ホモとゲイの違いは?」


「そーいうことは腐女子に訊いてください。それより草野ユキに、二丁目の『イヨカン』とかいう名前の店に大川さんを今晩連れてくるように言われているんですが」

「ツヨシ君を向こうが連れてくるならいいが、その確約が無いなら駄目だ。だって依頼はツヨシ君を見つけることなんだから」


「でも、大川さんから与えられた情報と実態がなんでこんなに違うのかなっていう疑問があって。草野ユキの話では、ツヨシ君は塾で講師のバイトをしてるそうなのに、大川さんからはそんな話は一言も......」

「それは草野ユキがそうは言ってるけど、裏が取れてない話なんだろ?その塾の場所と名前は?」


「教えてくれそうになかったのでそこまでは。でも彼、乱暴だけど込み入った嘘をつくタイプじゃなかったです。ツヨシ君は彼の家から大学に通っているそうですよ」

「ふうん......」


 所長はしばらく腕を組んで考え込み、そして私に告げた。

「大川さんには何も伝えず、俺とサキちゃんだけで『イヨカン』に行く。だって真昼間に女の子の首を絞めたりする凶暴な奴なんだろ?依頼者を危険にさらす訳にはいかないし、サキちゃんもまた首絞められたくないだろう」

「分かりました」


 所長の判断は正しいと思った。草野ユキはツヨシ君と自分との関係を守るためなら何をするか分からない「オンナ」なのだ。そこに無防備に大川さんを連れて行ったら?下手したら流血沙汰では済まない。そう考えると身震いがした。


「所長、警棒貸してもらえますか」

「香港警察と香港皇宮警察のやつ、どっちがいい?」

 あたしは二本をじっと見比べた。見比べたが、違いが分からない。


「使い方はどちらも変わらない。こう振って伸ばして」

 所長は無造作に一本の警棒をシュッと振り、三段に伸ばした。

「で、納める時は先端を地面や床に押し当てて縮めるんだ。サキちゃん、ちょっと練習してみな」


 アタシに手渡された警棒を振ってみた。確かに三段に伸びる。そしてずっしりと重い。


「それが香港皇宮警察で使われていたものだ。返還前の本物だからちょっと高かった」

「え、返還前ってそれ借り物なんですか?」

「じゃなくて1997年に香港が......いや、細かいことはいいんだ。サキちゃんはやれば出来るコだからな」


 何だかわからないが、私は所長に気を使わせてしまったようだ。とりあえず、アタシは縮めた警棒をハンドバッグにしまった。

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