世間様6

「アタシ、ツヨシ君のオトモダチなんだけど、あいつ金返さないでバックレて困ってるのよ、知ってることあったら教えてくれない?」


 という嘘をついて一発で彼の同級生を呼び出すことに成功。はっきし言う、体育会大学生男子、女慣れしてないわ、世間知らずだわでちょろい。待ち合わせ場所は神楽坂にあるカフェに指定。JR飯田橋駅で降りて靖国通りを渡れば神楽坂通りという小洒落た坂道に入る。ちょっと脇に入ると日仏学院があるので、駐在員の外人さんの親子連れや、外人さんの子供の集団がわやわやと横断歩道を渡っていく。どうも彼らはハイソな人々で、ここらのマンションに住んでいるらしいが、どんだけ金持ちなのだろう。お友達になりたい。


 そんなことを漠然と考えながら待ち合わせ場所のカフェに入る。店内を見回すと、クルーカットでライダーズジャケットを着た、背はそれほど高くないが、肩幅ががっちりして首の太い男の子がこちらに向かって軽く手を振った。

「お忙しいところ恐縮です」と頭を下げながら彼の対面に座ると、石黒です、と彼は名乗った。


「ツヨシがあなたにお金を借りているということですが、彼が携帯の番号を変えてしまったから連絡が取れずに困っている、という話でしたっけ」ツヨシ君の同級生である石黒コウイチ君は腕組みしたまま口を開いた。

「はい、それで直接彼に会って、返して欲しいと思いまして」

「ここだけの話、幾ら貸したんです?」


「二十万円です。今考えたら遊ばれちゃったかな、なんて」馬鹿なオンナノコの演技も辛いなと思いつつ、アタシはもじもじしながらコウイチ君に話をした。

「二十万円も?なんでそんなに貸したんです?」コウイチ君は腕組みを解き、目を丸くしてこちらに身を乗り出した。信じてる信じてる、やっぱ一流国立大学体育会系男子ちょろい。


「中古車を買いたいけれど頭金が無い、と彼が言うので」

「あいつが住んでるアパートに駐車スペースなんてあったかな」

「ありました。ちなみに彼が欲しがっていた車はシビックです」

「分かりました。その二十万、僕が立て替えます。そこのコンビニにATMがあるから一緒に行きましょう」


 え?アタシの思惑通りツヨシ君に連絡を取って真偽を確かめるとかないの?と思う間もなくコウイチ君は席を立ち、すたすたと出口に向かった。慌てて後を追いながら話しかける。


「それで彼は今どこに?」

 コウイチ君無言。しかしアタシは気が付いた。コウイチ君ラガーマンにしてはおしゃれ。両耳にそれぞれ一つづつピアスしてる。でもラグビーとかコンタクトスポーツでピアスしていいの?っていうかあなた本当に大学生?試しにコウイチ君のスマホに電話を掛けてみる。しかし別の男の子が電話に出た。


「もしもし、あれおかしいな、もしもし?」アタシは返事をせず慌てて通話を切ったが、目の前を歩いている男の子が振り向いた。

「ばれちゃった?」


 うん、確かに始めから声が違うかな?電話越しと面と向かってじゃ声の聞こえ方も違ってくるからかな?とは思っていたけど、間違いなく別人。

「おねえさん、嘘のつき合いはこれくらいにしときましょうか」


 あれ、言葉遣いやアクセントが女っぽい。雰囲気もなんか違う。しかも探偵だとばれてるくさい。


「......話し方を変えましたね?」

「変わったというか、普段のあたしに戻ったってところかしら」


 正体不明の男はアタシを横道に突き飛ばし、逃げようとしたアタシの首を両手で掴み、持ち上げて脇道の奥、カレー屋さんの裏の壁に押し付けた。

「探偵さん、どうせ命かけるほど給料貰ってないんでしょ?死にたくなかったらこの件からは手を引きなさい」


 窒息寸前のアタシは返事をする代わりに、男の鳩尾を思いっきり蹴り上げた。

 男はうっとうめいてアタシから手を離したが、あたしも足がふらついている。そこを我慢してハンドバッグを男の頭に叩きつけた。封を切っていないミネラルウォーターのペットボトルが入っていたから結構効いたはず。こっちを睨んだところをもう一度ハンドバッグを振り回し、金具で目を狙ったら男はうわっとのけぞった。感触から言ってまぶたを切った、と思う。


 大学時代にもこんな場所でこんなことがあった。女友達をストーカーしてその上レイプしようとした大学講師の男を呼び出して女八人で囲み、財布を差し出して「警察に通報するのは勘弁して下さい」というそいつの顔をファッション雑誌で殴ったら、紙質が良かったのでざっくり切れた。最後はラブホに連れ込んでカミソリを渡し、風呂場で割礼させて写真撮って置いて帰ったけど、今思っても寛大な処分だったと思う。


 で。こういうことを理由はともかくやらかした場合、もといた場所に逃げるってのが鉄則。いわゆる地元が有利って奴。というわけでアタシは平静を装って脇道から表通りに出て、坂を下ってJR飯田橋駅に向かい、新宿に戻ることにした。もちろん、歩いて。渋谷でも歌舞伎町でもそうだが、走って逃げる奴は警察からもヤクザからも目立つので、どっちかに捕まる。もちろん、捕まる奴は歩こうが走ろうがそのうち誰かに捕まるのだが。


 アタシはちらりと後ろを振り返った。ライダーズジャケットにブルージーンズのチビターミネーターが左目を押さえながら、アタシの十メートル後ろを付いてくる。戦意喪失レベルの怪我してるのに。だって血が垂れてるよ?そしてあんたはどこの誰。捲いて逃げたいが、脇道に自ら入るのは明らかに自殺行為。


 何の手も打てず、赤信号で足止めされ、チビターミネーターに追いつかれた、というより並ばれた。恐怖を打ち破るため、こちらから話しかけて牽制してみる。


「お巡りさん、呼びますよ?」

「へえ、呼べるような仕事してるんだ」


 鼻で笑われた。駄目だ、勝ち目のない戦いに挑むしかないのか。そしてこの男が今生で見る最後の人間の顔かと思うと。あれ、この人どこかで会ったことがある、というか、よく見る顔というか、キツメの目許と美しい鼻筋がアタシそっくり。


「探偵さん、大川に伝えてもらえるかしら、お前みたいのをカマ野郎って呼ぶんだって」

「カマ野郎?」

「文字通りの意味よ。それじゃ」

 チビターミネーターは信号を渡らず、回れ右して再び神楽坂通りの坂を上って行った。


 なるほど、一流国立大学ラグビー部員に群がるキレイ系女子大生達がツヨシ君の彼女に会えなかった理由はこれなのか。だって女じゃないんだもん。


 JR飯田橋駅のホームから、コウイチ君に再び電話してみる。

「ちょっと質問があるんだけどいい?草野ユキさんって女?」

「えっ、女っていうか」

 さすが大学生、強めに出るとキョドッた。

「傍にいるでしょ?早く代われよ、早く」

「はいもしもし」


 あっという間にさっきのチビターミネーターの面倒くさそうな声が聞こえた。ツヨシ君の同級生が、粗暴なオカマと粗暴なオネエサンに挟まれて小さくなっている様子が容易に想像出来た。

「ツヨシ君はどこにいるの?」

「あたしの家。女には教えないけどね」

「彼は大学に行ってますね?」

「大学にも行ってるし、生活費も入れてくれてる。塾で講師のバイトしてるから」

「塾の講師のバイトと言いますと」

「それは初耳ですって口振りだけど」

「前もって聞かされてたら、先にそっちに行きます」

「まあ、誰でもそうするわよね」

「さっきまで、草野ユキさんは女性だと思ってたくらい情報が無くて」

「あたしがオカマだって言ったら、大川の隠れゲイもばれちゃうからね」

 スマホの向こうで草野ユキが苦笑した。

「草野さんは渋谷のバーじゃなくて、もしや新宿二丁目のバー勤務では?」

「ええそうよ、あんた名前は?」

「野宮サキ、です」

「野宮さん、今晩九時に大川を二丁目の『イヨカン』って店に連れてきてくれるかしら」

「ツヨシ君を連れてくるんですね?」

「連れてく訳ないじゃない。じゃあよろしく」


 通話が切れて、ホームに入ってきた電車が運んできた風がアタシのツインテールを揺らした。

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