世間様2

 午前中に電話してきた人は、自分の奥さんだという、顔も体もほっそりしたコンサバファッションで固めた女性を連れて事務所に来た。所長と私で話を聞く。


「うちの息子がおらんようになってしまいましてねえ」


 大阪で小さな薬局を経営しているというその男性は、姓を大川だと名乗った。裕福そうで育ちの良さそうな、細身の中年男性。関西のことはよく知らないが、「ええとこのボンボン」とでも呼ばれていそうな感じ。電話をしていた時より緊張が取れたのか、すっかり関西弁になっている。


「その息子いうんが、これですわ。この右から二番目の、こいつです。名前はツヨシ言います。大学二年の二十歳ですわ」

 大川さんは一枚の写真を黒の革のカバンから取り出して、アタシと所長に見せた。日本人なら誰でも知っている国立大学のラグビー部のユニフォームを着た男の子達が並んで写っている。


「それで、ご子息であるツヨシさんと連絡が取れなくなってしまわれた、ということですね?」

 写真を見ながら所長が口を開いた。


「そうそう、そうなんですわ。先月の十七日に法事があって、ツヨシも大阪に帰って来る予定になっていたんですが、これが帰ってこない。携帯も解約されてる。アパートの大家さんに問い合わせても、大学に問い合わせても知らんというので夫婦で上京してきたんですが......」


「ツヨシさんのご友人も行先を知らない、というわけですね?」

 大川さんが言いよどんだところを所長が言葉を継ぐと、大川さんの奥さんが、はい、そういうことです、と返事をした。訛りの無い標準語。もとは東京の人なのだろうか。


「それでですね、店も閉めてこっち来てるんで、出来れば三日で何とかしてほしいんですが」

「それはいいのですが、ツヨシさんが帰ってこない理由に心当たりはありますか?」

「あります。実はあいつ、水商売の女に騙されてるんですわ。名前は草野ユキ。実はツヨシが一回大阪にですね、連れて来たことがあるんですが……付き合いに反対したら親子喧嘩になったという、まあ、良くある話ですわ」


 大川さんは饒舌になった。奥さんは黙っている。私も黙って所長と大川さんのやり取りを聞いている。

「水商売といっても色々ありますが」

「渋谷にあるバーの従業員やと言ってました。店名入りの名刺も貰ったのですが、腹が立って破り捨ててしまいまして」 

「草野ユキさん。これ、本名ですか?」


 メモを取りながら、所長がちらりと大川さんの顔を見た。

「本人は本名やと言うてましたが」

 大川さんは腕を組んで薄汚れた天井を見上げた。

「彼女の年齢は」

「二十二歳と聞いています。そういえば、昼間はネイルサロンで働いてるとか言ってましたが、私も確かやおまへん」


「写真は無いとしても、顔立ちとか、背格好は覚えてらっしゃいますね?」

「それなんですが、こちらのお嬢さんと似た雰囲気で。やっぱり肩に刺青してました。絵柄は......細い蛇だか龍がとぐろ巻いてるやつです」


 大川さんがアタシの顔を見た時、内心ギクッとしたが、良く考えれば仕事としては簡単だと思い直した。要するに、アタシに似た草野ユキという女を探せば自動的にツヨシさんも見つかり―後のことは知らない。


「了解しました。おそらくすぐ分かると思いますので、契約書の内容を確認してから必要事項を記入してから押印をお願いします。担当者はこちらの野宮、になりますので」

 所長の言葉に大川さんの顔がちょっと不安気になったが、構わずアタシはニッコリ笑い、頭を軽く下げた。


 大川夫妻が帰った後、所長がアタシに質問した。

「サキちゃん、大川さんの依頼で不審な点は?」

「まず、なんで奥さんがあんなに冷静だったのかなって。だって一流国立大学のラグビー部所属の息子がいなくなったなら、普通は母親の方がもっと騒ぎ立てると思うんですよね」

「あとは?」

「不審な点というか、なんで大阪の探偵社に依頼しなかったのか。うちの広告出してるスポーツ新聞は関東版・関西版ってあって、関東版にしかうちは広告出してないわけですから......」

「それはおそらく、大阪の探偵社は東京に土地勘が無いとでも思ったからだろう。でもさ、ツヨシさんの恋人らしき、草野ユキさんの話が一番肝心なのに、随分ともったいつけて話した印象がある。『よくある話ですわ』とか言って」


「そこらへんの話してる時でも、大川さんの奥さん無反応でしたよね?『お前は黙っとれ』と言い含められていた印象も無いし」

「とりあえず、まずはツヨシ君の友達から当たってみるべきだね、じゃあ、後は任せた」


「いや所長、ちょっと。またどこ行くんですか」

 あっさりと表に出て行こうとする所長をアタシは慌てて引き止めた。アタシもこれから調査に行こうというのに、所長まで事務所に居なくなってはお客さんが来た時誰が対応するのか。

「どこって、家に帰るんだよ。見たいDVDがあってね。戸締りよろしく」

所長は鼻歌混じりに帰って行った。無責任な人だ。久々にチョームカツクと言いたくなったが。空しいので止めた。

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