Fラン大学新卒ギャル探偵の事件簿

スリムあおみち

世間様1

「スポーツ新聞の広告を見て電話を掛けているのですが」


 Fラン大学経済学部卒でイベントサークル出身のアタシこと野宮サキが藁にもすがる思いでやっと見つけた就職先である探偵事務所の電話越しに、関西訛りの標準語の中年男性の声が聞こえた。


「はい、日野原探偵事務所です。おいでになられるのはいつになりますか?」

 ここで続いて「どういうご用件ですか」とは言わないように、とあたしの向かいの席で二つに割れた頑丈そうな顎に不似合いなピアニストのそれを思わせる細い指を添え、目を光らせてアタシを観察している所長に指導されている。顧客の大半が電話で言えない内容の相談事を抱えているからだ。そのかわり、「いつおいでになられますか」と言う。この一言でお客さんが事務所に来てくれる確率がぐっと高まるのだ、とは所長の話。


他の探偵事務所はどうなのか全く知らないが、ここは相談料も取る。旦那の浮気疑惑など、お客さんが自分勝手に話しているうちに解決策を自分で見出すことがたまにある。所長はただ聞いているだけだが、こっちだって時間を割いたのだから、というのが所長の言い分。それを聞いた時、言われてみればその通りだとアタシは思った。


「今日の午後三時ではどうでしょう?」

「今日の午後三時ですか?はい、大丈夫です」


 関西訛りの男の言葉を聞いて、ホワイトボードに書かれたアタシと所長のスケジュールを確認してから返事をする。何故アタシと所長かというと他に人がいないからだ。アタシがこの探偵事務所に入る前、若い男の人がいたがすぐ辞めたそうだ。理由は、この探偵事務所が入っている都営新宿線新宿三丁目駅から歩いて五分の雑居ビルの雰囲気がすごく悪いからだろう。稼働してない監視カメラ。妙に狭い廊下。バルコニーには古い刀傷。隣の部屋の表札を見たら『佐々木事務所』とあったので、なんの事務所かなと思ってよく見たら、『佐々木』と『事務所』の間に『組』という文字があって、それが白の修正液で丹念に塗りつぶされていた。この『佐々木事務所』に出入りしている男の人達とはよくエレベーターに乗り合わせるが、アタシは彼らに嫌われているらしく、会釈しても無視される。無視されて半年が過ぎた。茶髪をツインテールにしているからだろうか。それとも鼻の左側にピアスをしているからだろうか。あるいはバーコードの刺青を右肩にしているからだろうか。おそらく全部だろう。


 アタシが百六十六社の就職試験に全てはねられたのも、確実に同じ理由だ。大学を卒業し、二十三歳になってやっと分かった。分かったが、仕事の能力と関係無いことばかりじゃないか、何が悪いのかさっぱり分からない。


「それではお待ちしています。担当はわたくし、野宮サキです」

 電話の向こうで「えっ」という意外そうな声が聞こえたが、構わず受話器を静かに置いた。なんでオンナノコが?と思ったのだろうが、知ったことではない。

「サキちゃん、なんでお客さんの名前聞かなかったの?」

「名前が三つくらいありそうな人だったからです」

 イヤホンを耳から外した所長の問いに簡潔に返事をしたら、確かに、と所長が頷いた。


「来るかなあ。アポイント取っておいて、来ない人も多いからね」

「さっきの人は来ますよ。絶対」

 所長の呟きを聞いてちょっと不安になったあたしは、自分に言い聞かせるように言った。来てくれないと困る。何故なら「基本給十万円で後は成果に応じて」という契約で働いているからだ。つまり仕事が無いと生活費及びアパートの家賃が払えず、アパートの家賃が払えないと山梨の実家に帰らねばならず、実家に帰れば市役所勤務で小太りでアニメファンの兄に、「やっぱり帰ってきやがったこのDQNが」と嘲笑われる羽目になるからだ。


 このDQNという言葉には思い出がある。あたしが高校三年の一学期、当時大学四年だった兄に「兄貴、学校で同級生の男にドキュンって言われたよ、意味分かんなかったから反応できなかった。ドキュンってなんだよ」と訊いたら、「お前みたいな素行とガラの悪い奴のことをそう言うんだよ、日本語勉強しろよ」と馬鹿にされたので「偉そうな口利くなよ童貞のくせに」と言い返したら、適当に言ったつもりが図星だったらしく、兄は泣いて部屋に閉じこもり、その後しばらく食事の時以外アタシを含めた家族と顔を合わせなくなり、「部屋の中で何やってんだよ」とからかっても返事をしなくなったので「どうせ美少女アニメでも繰り返し見てるんだろう」と思っていたら無理だと言われていた市役所の採用試験に合格しやがった。現実逃避してるかと思ったら猛勉強していたのだ。書いておくが、アタシの田舎で市役所勤務っていったらまさにエリート。その後兄が童貞じゃなくなったかまでは恥ずかしくて訊いてないが、相対的にアタシの評価だだ下がり。挽回できないまま現在に至る。そして東京から山梨に引き揚げてきたら両親には当然見合いを勧められるだろうが、相手はおそらく兄の同僚。ああなんて田舎は狭く安直なんだろう。今だって「危ない仕事なんて辞めて早く帰ってきなさい」と父に言われているのを突っぱねて東京にいるのだが、鼻ピに刺青のアタシを誰が―つか鼻ピも取りたくないし刺青も消したくないんだよ。『まだそういう年頃なんだね、分かるよ』と二枚目気取りの二十九歳の男に言われたことがある。自己否定しなさいと言われたような気分になったアタシは一呼吸置いてから、食べかけのボンゴレスパゲッティをその男の顔に皿ごと叩きつけた。未だに後悔していない。


「サキちゃん、先に昼飯食べてきなよ。俺はその後でいいからさ」

 五十代後半で警察出身の割に軽薄なノリと風貌の所長が、競馬新聞に赤鉛筆でマルを付けながら、こちらを見ずに言った。

「はい、それではお言葉に甘えて」

 アタシが出て行った後、ノミ屋に電話して地方競馬の馬券でも買うのだろうと思いながら、アタシは席を立った。アタシはその現場を見たことは無い。ただし、見るからに胡散臭い、更生したホームレスみたいな風貌の男性が札束入りの銀行の紙袋を所長に届けにやってくるのをたまに見ることがある。

 そんな時、所長はいつもアタシに言うのだ。そう、いつも。

「サキちゃん、先に昼飯食べてきなよ。俺はその後でいいからさ」と。

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