後継の娘

 自宅の修練場で感覚を研ぎ澄ます。

 小さい頃から自分は強いという自覚を持って生きてきた。それがあの日、徹底的に崩された。何もすることが出来なかった。例え、幻であったとしても私が許せない。いや私には許されない。効率的かつ早く力をつけなければ。

 もう二度と誰かを失うようなことがあってはならない。そのために私は強くならなければいけない。そうでなければ、なんのための義足、なんのための義手だ。

 イグドラシルグループの跡継ぎとしてもふさわしい強さを身につけなければ。


「お姉ちゃん! 精が出るね!」


 己へと声がかけられた方向へ咄嗟に左手での手刀が出る。ギリギリ寸止めが間に合った。

 あげた左手の向こうには、にこやかな妹の姿が見える。


咲椰さや大丈夫だった⁉」


「大丈夫だよ! こっちこそ声かけてごめんね」


 とりあえず手刀が当たらなくて良かった。集中が自由自在でない。まだまだ未熟だと思う。


「急にどうしたの? 修練場なんか籠って、最近なんかあった?」


「いや別に何も無いよ」


「鞍部さんとのこと?」


 お見通しか。咲椰はなんか鋭い時がある。


「お姉ちゃん友達少ないからすぐわかったよ」


 あれれ? 姉妹とはいえちょっと失礼じゃない?


「いい? 私もいるんだからお姉ちゃんがなんでも1人で抱え込む必要は無いんだよ」


 咲椰は私を心配してくれているようだ。彼女の額に右の中指を当て、押し弾いた。


「生意気にもお姉ちゃんの心配はしなくていいの。大丈夫だよ、ありがとう」


 そんなに思い詰めてるように見えたか。少し気をつけよう。根を詰めすぎても成果はでない。


「そう? お姉ちゃんはなんでも固く考えすぎなんだよ。そうだねぇ。そろそろ彼氏の1人や2人つくってもいいんじゃない?」


「かかか彼氏⁉ 私にはまだ早いって……」


「いやいや18歳の乙女が未だに男性経験0ってのもどうかと思うよ〜」


「え? そうなの?」


 驚愕の事実だ。私の周りの女子は皆男性とお付き合いしたことがあるとでもいうのか?


「そりゃそうだよ。お姉ちゃんは顔はいいんだからそこいらの男を悩殺して引っ掛ければ一発だよ!」


「悩殺⁉」


 咲耶の口から信じがたい言葉が聞こえた。


「そうそう。これからグループを継ぐことが決まっているのに人生経験が他の人より少ないってのはいただけないよね〜」


「そうかなぁ」


 柄にもなく頬が熱くなるのを感じる。


「やっぱお姉ちゃんそういうとこ乙女だね〜! そうだ鞍部さんとか――」


「それは無い」


 急に熱が冷めた。空気が凍る。


「わかってたけど、即答するのもちょっと鞍部さんが可哀想なんだ……」


 アイツはそういうのじゃない。最大限の信頼を寄せる人物ではあっても、愛情を感じ合うような仲ではないと断言できるし、アイツもきっとそう思っている。


「継穂は親友だよ。親友と恋人はルートが違うと思う。親友はどこまで行っても親友なの。というか恋愛対象とするにはちょっと性格がね」


「何の罪もないのにボコボコに言われてるよ鞍部さん……」 


 ◇


「へっくしょいッ! へっくしゅん! うへぇっくしゅッ!」


 ◇


 恋愛かぁ。考えたこと無かったなぁ。今まで跡継ぎだっていうことと、そこに付いてくる責任でいっぱいいっぱいだったのかもしれないなぁ。

 ――と言っても何から始めればいいかは分からないし、今はその時じゃないような気もする。

 しかも私に寄ってくる男は、例外なく全員胡散臭い人だったからテキトーにあしらっていて正解だとも思う。


「あ! 彼氏から連絡きた!」


 ン? カレシカラレンラクキタ? 咲椰の口から先ほどよりもっと信じ難い言葉を聞いたような気がする。


「これからデートなんだ! お姉ちゃんまたね!」


 私は呆然としたたままその場を動けなかった。

 2歳年下の妹には当たり前のように彼氏がいるという事実が素直に受け止められない。

 あれ、なんか頬に水が伝ってる。きっと汗だよね!

 私に青春なんてものはない。そう思ってきたけど、いざ身近な人が青春していることがわかるとショックなものだ。

 気持ちを切り替えよう。恋愛や青春は私には相応しくない。私はただ後継者として、この国を引っ張っていくものとして正しくあればいいのだ。そう自分に言い聞かせた。


 ◇


「お姉ちゃんなんか色々思い詰めてたみたいよ。何か言ってあげたら? お父様」


 咲耶が修練場を出て曲がった角に彼女らの父親がいた。

 ……これでお姉ちゃんを心配してるつもりなのかなぁ。

 厳格な時が多いが、なんだかんだで自分の娘、それも自分の役を継ぐのこと姉のことは心配なのだろう。私にもその心配を多少は分けて欲しいものだと咲耶は思う。


「うむ、どのように声をかけてやればいいのかわからん」


「父親っぽいこと言っておけばいいんだよ」


「心乃華にとって父親は、イグドラシルの社長なのか、自分を育てた男なのか、わからない。なぁ咲椰、なんて声かければ良いと思う?」


「私に聞いてる時点でもうダメだよ。自分の言葉で伝えなきゃ相手には何も伝わらないから」


 そう言って通り過ぎた父の背中はなんだか寂しそうに咲耶は感じた。


「情けない。この親父が日本を引っ張る天下のイグドラシルのトップとは思えないね」


 姉に必要なのは、姉の失敗を許容できる程に圧倒的に姉よりも強く、さらに親愛を向け、支えてくれる存在。自分がその存在になれないことに不甲斐なさを感じてしまう。


「情けないのは私も同じか」


 姉に重圧の一端すらも任せて貰えないという事実に、楽しいことが待っているはずの行き先への咲耶の足取りは重くなっていくばかりだった。

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