街の護り手
セレナは両手を後ろにつき、空を見上げていた。
……今日も良いマナが漂っているね。
穏やかな空気感。心なしか風も喜んでいるように感じる。西方に夕日が沈んでいく。南方に月が見え始めた。
「今日は上弦か。風情があるねぇ」
彼女は不思議なことだと思う。もはや地球は球体とは言えないほどに欠け、その形を変えてしまっている。だけども、自転と公転をすることになんら変化はなく、今日もまた日が沈み、月が昇っているのだ。
偉い学者さんたちが言うには、欠けてしまった質量を大量のエーテルが何らかの形で埋め、補っているから地球の機能に支障はきたしていない、とのことらしい。難しいことはよくわからない。
ここは、摩天楼街の一角に立つタワーの屋上。町全体が見渡すことができ、なにより天の精霊が地上よりも親密で、セレナにとってお気に入りの場所だった。
「精霊さん達も周りがビルばっかりだと息が詰まっちゃうもんね。私はこの世界では宙ぶらりんだから息が詰まるというより足元がおぼつかない気分だよ」
御札型の式神が夕日の光の中から飛んできた。
『摩天楼街、第18地区ニ妖魔反応アリ。可及的速ヤカニ排除セヨ』
「18地区っていうと、住宅街も近いね。被害が出る前にささっと退治しにいきますか」
多くの人にとっての異常、彼女にとっての日常の時間はいつも唐突に訪れる。
セレナはビルの縁に足をかけ、勢いをつけて飛び立った。身体に新鮮なマナを纏わせ術式を発動させる。たちまち彼女の身体が浮遊感を得る。白のローブを翻し、空を踊る妖精のようにビルの間隙を縫い、指定されたエリアへと向かうのだった。
◇
宵を知らない街の喧騒から少し離れた現場に、日本警察安全保障超常対策課警部フロス・ロード・
「またグリモアの連中に持っていかれたか」
「いいじゃないっスかフロっさん! 俺たちの仕事が減って」
「よかぁねぇよ! グリモアの存在は公式には認められてないんだから、報告書書くときは俺は文豪にならなきゃいけねぇんだよ。今回はなんだ? 大量の血の池と気を失ったご令嬢、なんかのミステリー小説がはじまりそうだな!」
「イタッ! イタタタタ! 痛いっスよ〜」
「フロス警部、ちょっとよろしいでしょうか?」
フロスは、マヌケなことを抜かした部下の頭から両拳を離す。
「おうよ」
今や戸籍ごとに日々のバイタルチェックを行うレベルの管理社会になった日本では、犯罪は著しく減少した。その管理の埒外のことに当たる国家権力として、フロスのような警察が存在している。
しかし、当の本人からしてみれば、
……毎度こうなるなら犯罪者を追ってた方がまだ気が楽だ。
そう思っても仕事は仕事。ちゃんとやることはやる。マヌケなことを抜かす部下の頭を拳でねじ込み圧迫しても、面倒なことから逃げられるわけではないのだとフロスは思う。
「お嬢ちゃんは目を覚まさないと……デバイスIDは確認したか? あぁ、イグドラシルのお嬢様か。テキトーに連絡しとけばお付きの人とか来るだろ、えぇ? 被害者への事情聴取は後日にしろ。血液の鑑定は、判別不能? はぁーまた俺のイマジネーションを働かせなきゃならんことが増えたじゃねえか」
彼はテキパキと指示を出し状況の収拾を図る。
これだけ荒れた現場をグリモアの連中が残していくのは珍しい。何か緊急性を求めることがあったのか、警察が到着するのが早かったか。いずれにせよ、仕事が増えたことは明らかだ。
「ほらほら、さっさと現場検証終えて撤収するぞ。市民に変な不安を与えないうちにな」
定期的に人が神隠しにあうような時代だが、大抵の市民はそれに関係なく過ごしているし、それに見せかけた誘拐犯などを取り締まったり、怪異による余計な不安を与えないのも警察の仕事だ。
フロスは箱から一本煙草を取り出し、口にくわえ火をつける。
「あ、フロっさん、またタバコなんか吸って」
「人体に害悪だってか? バイタルチェックで引っかかったことなんかねぇよ」
……身体に染み渡るこの悪そうな煙がいいんだよ。わかってねぇな。
あんまり吸うとバイタルチェックに引っかかる時があるので、実は気をつけていたりはするが。
「はぁめんどくせぇ。早く家帰って晩酌といきたいねぇ」
「え、奢ってくれるんじゃないっスか?」
「なんで毎度毎度お前らに奢ってやらにゃならんのだ! ったく俺の財布事情を考えてんのか」
「だって頼れる上司で先輩ですから‼」
「そうやって期待に目を輝かせても無駄だ。奢って欲しかったらもっと働け、有能にな」
部下達は露骨にしょぼくれてみせる。いくら警察官が暇な職業とはいえ、市民の安全を守るという仕事なのだということを自覚して、緊張感を少しは持って欲しいとフロスは思う。
さて、今回は上司になんて報告しようかな。なんてことを考えながら、彼は月夜に消えていく煙を眺めるのであった。
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