信じ難い夢

超高層ビルが少なくなり、夕日の光が徐々に見え始めた。摩天楼街の外れまできた僕たちは、ここで別れることになる。

 心乃華の家は天を衝くような摩天楼の群れの中でも、最も高くそびえ立つイグドラシルタワーだ。対して僕の家は一般市民が多く住む住宅街の一角である。

 経済格差を感じなくもないが、日本の国力の大部分を担うことになる彼女にかかる重圧を考えれば、僕の暮らしは一般的でも恵まれていると思う。


「じゃあまた都合よく使わせてね」


「二度とごめ――」


 なんだあれは。僕は彼女の背後に現れた異常を目前にして思考を回す。空気がよどんでいるのが視界で確認できる。二足で立っているが、人ではない。というか生き物なのかもわからない。

 彼女は全く気づいていない。猛禽の嘴のような鉤爪を持つ禍々しく肥大した左腕が、背後から振るわれようとしていることに。

 どうする。魔法を使うか、いや間に合わない。爪が振り下ろされる前に発動させるような高速展開クイックキャストは、僕には不可能だ。であるなら物理的に対処するしかない。

 そこからの行動は早かった。彼女を危機から脱させるべく最短のルートで距離を詰め、彼女の立つ場所を奪うように弾き飛ばした。

 必然的に爪の餌食は僕になるわけで、肩口から脇腹にかけて、身体が裁断される衝撃が走った。


「んがあああああぁぁぁああああ‼」


 己の口から人が出してはいけない叫びが溢れる。


 先程まで冴えていた視界が嘘のように明滅する。


 燃えるような熱を感じさせる肉の裂け目から、血液が急速に失われていく。身体の熱が奪われ、冷えていく。


 死が圧倒的に近づいてくる感覚。いざ死を直前にすると、後悔、諦め、達観の感情が湧いてくる。僕が身代わりとなった彼女は無事なのだろうか。そうであれば良かったなと単純なことを思う。視界の端に彼女が映る。とりあえず無事なようだ。


 安堵を感じたのが良くなかったか、堰が切れたように意識がおちていった。



 ◇



 一面の燃え盛る炎。


 何かが焼ける匂い。


 悲鳴。


 泣き声。


 崩れ落ちていく世界。


 足の裏が爛れるのも構わず、裸足で走り続ける。彼女はどこにいる。肌が焼ける熱量の中、焦燥感に駆られながら探し回る。

 僕が助けなければ、誰が彼女を助けられる。僕が彼女の唯一のヒーローになると決めたのだから。

 阿鼻叫喚にかき消されているのか、彼女の姿形は微塵も感じられない。


「どこにいるの! 返事して!」


 僕の声は多くの苦しみの中に消えていく。それでも僕は叫び続けなければならない。


 息も絶え絶えになり、立ち止まりそうになった時、彼女の姿が見えた。今にも崩れそうな瓦礫の下に座り込んでいる。ようやく見つけたという安堵を感じるとともに、彼女に駆け寄る。


「ここは危ないから早く逃げよう!」


 彼女は静かに首を横に振る。


「足を怪我してしまったの。だからワタシは歩けない。ワタシのことは放っておいて」


 見れば彼女の右膝から下は無くなっていた。


「それなら僕がおんぶする。ほら背中に乗って」


 そう言って僕は後ろを向き、姿勢を低くする。彼女はしばらく躊躇していたが、僕の肩を掴み背中にしがみついた。力ない彼女の身体を優しく支えるようにおぶり、僕は立ち上がった。


「よし、行こうか」


 僕は彼女を背負い、再び叫びの中へと歩いていった。



 ◇



 夢を見ていたのか。


 目が覚めると、上下逆さまの顔がこちらを見ていた。先程、校庭で見た顔だ。あわてて身体を飛び起きさせる。額同士がゴチンといういい音をたててぶつかった。


「ったあー。急に目を覚ましたと思ったらなんだい。頭突きなんてしてきて。たんこぶができたらキミのせい――」


「怪物は⁉ コノちゃんはどうなった⁉」


 思わず彼女の両肩を掴み、乱暴に聞く。


「あわわわわ。とりあえず揺さぶるのやめてぇ。ちゃんと説明するから落ち着いて」


「こんな緊急事態に落ち着いてられるか! 僕なんて首から斬られたんだ……ぞ?」


 冷静に考えてなぜ僕は生きている。確かに身体が2つに裂かれたはずで、自分で言うのもなんだが、あれで生きているわけが無い。首の右の当たりに手を当てる。


「繋がってる……?」


 患者服を脱ぎ、身体を見ても傷一つ存在しない。何故だ。


「そうか。ここは死後の世界か。天国か地獄か。意外と殺風景なんだな」


「ちがーいまーすー。ここは天国でもなければ地獄でもないし冥界でもないです! ここは現世、キミはまだ正真正銘生きてるよ。私が保証する」


 自らの額をおさえる銀髪の女の子が理解ができないことを言っている。


「いやいやいや、ありえないでしょ。あれで何事も無かったなんて。僕の身体は、パンの柔らかさを伝えるためのCMのトーストみたいに真っ二つになったはずなんだよ」


「キミが何を言ってるかは理解が及ばないけど、私たちが妖魔を退治した時には、気絶したイグドラシルのお嬢様と大量の血液の池に倒れた失血気味のキミ、どちらも軽傷だったね。あの血液はきっと妖魔のものだよ。そんなかすり傷で水溜まりになるくらい出血するわけないしね。もちろんちょっと私が治療したから傷一つ残ってないよ」


「はぁ……なるほど」


 とにかく僕は生きているらしい。ようやく落ち着いて考えられるようになってきたので、まずは自らの置かれた状況を少しづつ整理しよう。


「えーっと、とりあえずここどこ?」


「そうか、まだ言ってなかったね。とりあえず自己紹介から。私はセレナ・アグラオニス。そして、ようこそ対妖魔機関『グリモア』へ、鞍部・ダーク・継穂君」

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