私とアイツの日常

ランニングの後、カイトの野郎のマル秘ネタを暴露して、公衆の面前で辱めてやろうかと思ったら、ヤツはサボりを行使し、逃げられてしまった。もちろん本人がいなくともネタは暴露したが。ヤツはまだ5月なのに、今年度に入ってすでに4回女子にアタックして、フラれているのだ。その口説き文句といったら――――僕はもうお腹いっぱいです‼


 今日の授業がすべて終わった。カイトはそのまま逃避行動を続けるだろうから、今日はもう会うことはない。ヤツが全力で逃げると絶対に見つけられない。自分から出てくることを待つしかないのだ。今日はもう帰ろう。


 一人の時間は割と好きだ。もちろん友達と話すことが嫌いというわけではない。でも1人でいると気が楽になる。たぶん平穏な生活を気に入っているのだと思う。だから1人でゆったりと誰にも邪魔されず、帰路につこう、そんなことを思っていた時もあった。

 学園の門の前に続く階段には何やら人だかりができていて通れなくなっている。早速僕の平穏プランに邪魔が入った。


「クッソ、なんだなんだ。誰か有名人でもいるのか?」


 いた、有名人が。

 人だかりの中心にいるのは、樹神こだま心乃葉このは。おろせば腰まではあろう黒髪をポニーテールにして後ろにまとめ、柔らかな曲線の中に垣間見える凛とした表情が雅びさを感じさせる。文武両道、品行方正、羞花閉月、いまや超多民族国家となった日本において、珍しい純日本人、生粋の大和撫子だ。

 昔はよくいっしょに遊んでいたが、彼女の学年も1つ上ということもあって今は頻繫に関わることはない。というか、こんな歩くだけで通行人の邪魔になるようなやつとは常々一緒にいたいとは思わない。いわゆる悪友の1人だ。


「心乃華様! よろしければ勉強教えていただけませんか⁉」


「樹神さん、普段何食べてるの?どうやってそのスタイル維持してるか、めっちゃ気になる!」


「「「心乃華様!今日もお美しい‼」」」


 男女ともに人気があるのが、彼女の超人ぶりを示している。親衛隊まであるほどだ。彼女はあらゆる方向から飛び交う質問や声援に対して、すべてうまくいなしている。

 やっかいな取り巻きも多いし、気づかれる前にさっさと抜けてしまおう。友達の少ない僕のユニークスキル、存在感希薄化によって無理やり突破しようと――


「おやおや、これは好き好んで健康罰則を受け続けているヤミちゃんじゃありませんか。何をコソコソしているの?」


 バレた。取り巻きたちの視線がこちらに集中するのがわかる。それはそうだ。今まで大量の質問で殴られ続けていたのを、すべて華麗にスウェーで交わしていたような彼女が、突然個人に向けて声をかけたのだ。僕は少し気圧されつつも、中腰の体勢から直立に移行した。


「その呼び方はやめろっていってるだろ。僕のミドルネームは旧代英語由来じゃないってのに」


「いいじゃん、かわいくて。みんなもそう思うよね?」


 同調圧力って怖い! 彼女の一声で取り巻きたちの刺すような視線が、一瞬にして嘲りの色に変わった。人付き合いが少ない僕にとっては刺激が強すぎる。


「これ以上は、ガラスのハートには厳しいかな?ヤ・ミ・ちゃ・ん?」


「コイツっ……」


「悪く思わないでね。私の数少ない楽しみなんだから」


「お前の楽しみためだけに、僕の純粋な心が傷つけられてたまるか!」


「ハイそこ、レディーに向かって『お前』とか言わない」


 そういうと、群衆から抜け出した彼女は僕の左手を引き、


「そういうわけでこの礼儀知らずな男にマナーというものを今からみっちり叩きこむからー」


 逃げるように走り出した。


 ♢


「ったく。いいように使ってくれちゃって」


「いいように使われてくれてありがと!」


 取り巻きがようやく見えなくなり、私はため息をつく。


「日本を牛耳るイグドラシルグループのご令嬢は大変だな」


「私のことをドアノブに手が届かないころから知っているアンタが言うか、継穂つぐほ


「いやドアノブってなんだよ……」


 しまった。ドアノブは前時代的過ぎて私の部屋にしかないんだった。私の旧代オタク趣味はみんなには伝わらないことをいい加減自覚しないと。


「と、とにかく、小さいころに言ってた約束は守ってもらうからね」


「え、なんのこと?」


「継穂の夢でしょ? ヒーローになるって」


「子どもの頃の話か。きっとテレビ番組とかに影響されてたんだろ。というか子供のころの純情な夢をコノちゃんの都合のいいように使うんじゃないよ。今は普通に就職して普通の家庭を築くのが僕の夢だよ」


「普通ってなによ?」


「それは――」


 継穂は口ごもってしまった。

 普通ってすごく難しいよね。イグドラシルグループの跡取りである私にとっては、他の人のいう普通って言うのたぶんとても遠いモノなんだと思う。言葉に困っているのは彼の優しさだろう。


「変なこと聞いちゃったね、忘れていいよ」


「そうだな。僕には難しい話だったよ」



 そうこう話しているうちに摩天楼街の端まで来た。継穂は一般住宅街に家があるから、そろそろ帰路は分かれ道だ。


「じゃあまた都合よく使わせてね」


「二度とごめ――」


 突然、継穂に突き飛ばされた。どういうこと?と思いながら体は緩い放物線を描きながら後ろに飛んでいく。どこかに頭をぶつけたようだ。薄れていく意識の中で最後に見たものは、二足で立つ何か人ではない異形と、深紅の噴水を噴き上げる継穂の姿だった。

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