第一章 転変編

僕と私の日常

「また走らされてるのか、アイツは」


 窓の外に広がるのは、空を覆うほどの摩天楼の群生、さらにその上には直径20キロはある空中メガフロートが漂っている。そして視線をそこから降ろした先にある校庭では、1人の男子生徒が陸上トラックを走っていた。

 何をやらかしたのかは知らないけど、健康罰則を受けて執行中のようだ。


「まったく懲りないなぁ。いい加減、学習すればいいのに」


樹神こだま、窓の外を眺めて何を考えてるか知らないが、基本の確認するから、これはどういうことか説明できるな?」


 先生からの指名が来た。この先生は授業の際にやたら私にあててくる気がするが、なにかあるのだろうか。私は立ち上がり、手首につけたデバイスを操作してウィンドウを展開する。展開されたエーテルウィンドウに情報を表示し、皆に見えるように先生の隣まで押し出す。


魔導工学マギテクノは、が起きた300年前、つまり2030年頃から観測されたダークマターの性質をある程度分析し、エネルギーとして転換されることであらゆることへの応用が可能になった技術体系のことをいいます。そのダークマターは今は神学になぞらえてエーテルと呼ばれていますね」


 私はウィンドウを閉じ、席に座った。先生がいつものように形容し難い表情をしている。


「樹神さん、さっきあてられるまで先生の話、絶対聞いてなかったよね。なんかつぶやいてたし」


「今時珍しい大和撫子はやっぱりいい教育を受けてるのかしら」


「さすが心乃華このは様だ……」


 周りから少しの喧噪が起こるが、先生がすぐに鎮める。授業を再開するようだ。

 技術の進歩によって、魔法が日常に欠かせないものとなった現代において、罰則でランニングなんてのは、とても非生産的だと私は思う。もちろん、本人が望んでいないのにもかかわらず、という条件での話だ。


 まさか、授業の時間を費やしてまで自らの身体をいじめ抜きたいドМだったか。今後はこれでいじり倒してやろう。


「また窓の外見てらっしゃるわ。フロイラインは何をお考えなのかしら」


「あんたみたいな低能乙女には到底わかんないことさ。ほら、授業集中しないとまたテスト赤点とるよ」


「ひどーい! そのとおりだから何も言えないけどー」


 いや、ほんとにくだらないこと考えてるだけなのに。私はそんな遠い存在じゃないですよぉ……。

 そうこれが私の悩み。もちろん少し社会的な立場が強いことは自覚しているけども、それ以外は普通の女子学生なんだけどなぁ。アイツはもう少し人付き合いが上手いんだろうな……。



 僕は今、一人で校庭のトラックを走らされている。なんでこんな疲れるだけの面倒なことをしなきゃならなくなったのか。それは今日の朝までさかのぼる。




 登校中に僕は、授業資料のデータが飛んでることに気づいた。おそらく昨夜、新しいソフトをインストールして、そのあと中身を整理した際に一緒に消してしまったのだろう。


「しまった。バックアップは……とってないな」


「どうした、ヤミちゃん。変な顔して」


 話かけてきたのは、灰色の瞳の黒髪の青年。名前はカイト・ビューグル、友達が少ない僕の貴重な友達、というか悪友だ。


「その呼び方やめろって。いやさ、なんか発表順番データ消えちゃったから送ってくれ」


「購買のカレーパン1個」


「おま、じゃあいいわ」


「――はいはい。ほらよ」


 資料がデバイスに送られてきた。なぜか妙な間があったような気もするが、このリストが手に入れば問題ない。うちのクラスは授業の際の発表順が決まっていて、事前にリストが配られる。発表できないなんて言った暁にはめんどくさいことが待っているのだ。とりあえず、今日の発表は僕ではない。これで安心して、授業中に昨日入手したゲームにいそしめるぞ。



「よしじゃあ、今日の発表は鞍部くらべ、お前だな」


「え、僕ですか?」


「そうだぞ、早くはじめろ」


 僕は真っ先に数席隣のヤツをにらみつけた。準備も何もしてないのに、できるはずがない。低クオリティの発表ではOKを出してはくれないのだ。そしてメッセージが送られてくる。


『カレーパンの恨みは怖いのだ(^^)』


『オマエ、アトデオボエテロヨ』


 そうして僕は健康罰則として、ランニングを行うこととなったのだ。




「クッソ、アイツぜってぇ許さねえ」


 膝に手をつき、半ば叫ぶように声をあげる。

 そもそもエーテルは人体の治療には転用できないからって、身体は健康であれ、という考えが政府の意向になってるのがナンセンス。こんなん罰則にするな。僕は陸上トラックの上に大の字に転がった。


「キミ、この辺で変なの見かけてない?」


 僕の視界の上の方から端正な顔が現れた。透き通るような銀髪に、新緑を思わせるような深い翠色の目の少女だ。この時間は、罰則などの特例を除けば授業中のはずだ。この学園の生徒ではないのだろうか。


「しいて言えば、今変な人に話しかけられたことくらいかな」


「ふふーん。その様子だと別に見かけてないみたいだね。じゃあね」


 そう言うと彼女はまた視界の上の方に消えていく。


「あ、ちょっ」


 反動をつけて身体を跳ねさせるように起こし、周りを見回すも彼女の姿はどこにも見えなかった。

 結局、何者かわからずじまいで消えてしまった。


 チャイムの音がなる。この時間の授業終了のお知らせだ。罰則も終わったし、ここにいても仕方ない。教室に戻ろう。

 そうして、僕はさわやかな風の吹く校庭から決意を胸に校舎へと戻っていくのであった。


「とりあえずヤツは確実に暴露刑に処す」

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