3.神様はいます
店に常備している紅茶の茶葉が切れていたことをすっかり忘れていて、昼過ぎ、来客が落ち着く時間帯に慌てて買いに行ったのだ。普段珈琲を頼むお客様が多いものの、だからと言って紅茶を切らしてしまってはいけない。むしろ何故かこういう時に紅茶がたくさん出たりするのだ。
ともあれ、茶葉を調達した帰り道、交差点で信号を待っていると右下にいた何かから、コートの裾をぐんと引かれた。
そこには涙目になってぐずぐずと泣く男の子がいた。わんわんと声をあげて泣いてはいないが掴んだ裾を握って離さない。
どうやら迷子のようで、最初に「ママどこ…」と言ってからは何も話さず、ただ泣きそうに耐えていた。
歩こうとするもその場から頑として動かず、店まではあと数十メートルだというのに足踏みを食らっていた。
「…ええ~、ど、どうしよう。」
幸い今日は店番がいる、だがなるべく早く帰りたい。こんなことだったらあの子に買い物行かせるんだったと環は後悔した。
▲▽▲▽▲▽
環が着ている黒シャツに深い
「いらっしゃいよー」
どうやら店員らしい。過去通ってて一回も見たことなかったし、なんか所々カタコトぽい喋り方なので信じがたい。
少女でも女性でもない、20歳越えてるか越えてないかくらいの女の子。なんといっても印象的なのは2つに結ってるオレンジ色の髪。毛先が少しだけ巻かれていた。だが瞳は普通のブラウン。外国人かと思ったが、ちょっとお馬鹿な日本人って言われても納得しそうな見た目だった。
とりあえず挙動不審を精一杯隠しながらカウンターの定位置に座ってメニューを受け取る。
女の子の肌は白く、爪はパッションフルーツみたいで綺麗な黄色とオレンジのグラデーション。
「今紅茶だけ売り切れダヨ」
「カ、カフェオレで…。」
それより貴方は誰なんですか。と聞きたかった。
季節はチョコレートの匂いが濃くなる2月。年末に来たときはちょうどあの北風男に鉢合わせしてしまったがここ最近は合わず、ここで環と話しながらゆっくりしている時間は至福だった。
どうやらカフェオレは女の子が作ってくれるらしく、手慣れた様子でコーヒーメーカーを使っていた。
とはいえ、店主と同じものが出せるのか?と疑っていたが、出てきたカフェオレを飲んだら環さんが淹れたものと同じ、いやもしかしたらそれ以上に美味しいやもしれない。
この子、本当に何者なんだ。
チリンチリン、とドアが開く音が聞こえ、店主が帰って来たかと振り向くと1ヶ月間ご無沙汰だった人物がいた。
「うわ」
「あっ、ショーン!」
ちょっと、今小さい声でうわって言ったの聞こえましたからね。
突然の
「ミハルかよ…環は?」
「今お買い物中~。ショーンはいつものコーヒー?」
どうやら女の子はミハルというらしい。二人は面識があるようで、琥珀はなんとなく面白くない。
口を少し尖らせて佐瀬の方をじっと見る。
佐瀬は視線に気づいたのか、眉間に皺を寄せていたが、流石にそれ以上意地の悪いことはしなかった。
「こいつは
「おおっ、そうだったのね~。ミハルです、スウェーデンのクォーターだけど日本生まれ日本育ちデス」
少しだけ"常連"のところで迷っていたが、そう言ってくれたというのは認められたと思っていいのだろうか。そしてなるほど、髪は地毛だが喋り方は生まれのせいじゃないらしい。
「由野琥珀です、宜しくお願いします」
「コハク!かわいい名前~いいなぁ~」
ミハルは片手でとぽとぽ珈琲を注ぎながら言った。
「コハクはショーンの知り合い?」
さっきからそのショーンというのはなんなのか。文脈からして佐瀬のことを指してるように思えるが、まさか佐瀬もどっか外国人の血が流れてるのか。
「ちげぇ俺が来るときたまたま居るだけだ。…あとショーンはやめろって何回言えば分かるんだよ。」
「分かってるヨー、分かってるけど言いにくいんだもん。」
ミハルがぶうぶうと頬を膨らませている。佐瀬はちらりと琥珀の困った顔をみて、すぐに持ってきた新聞に目を落とした。
「
「覚えてるヨ!でも言いにくいからショーンになっちゃうんだもん」
ミハルが食いつくように答えたが果たして今の言葉はどちらに言っていたのか。
琥珀は心のなかで佐瀬紫苑、佐瀬紫苑…と噛み締めていた。
「それにしてもタマキ遅いなぁ、もう一時間くらい経ってる気がする。お客さん来ちゃうよ~」
いや、私たちもお客さんなんだけど。と心の中で突っ込んだ。
「どこまで行ってるのか…」
ミハルの言葉はガランガランという荒々しい音で書き消された。ドアが勢いよく開いて、琥珀も佐瀬もそちらを向いた。
「あのっ、すみません、ここら辺で男の子見ませんでしたか!?3歳くらいの!」
駆け込んできた女性は30代か40代くらいで、着てるダウンはデザインより機能性を重視しているほんのりピンク色だ。
「い、いえ…」
あまりの慌てように距離的に一番近くにいた琥珀がとりあえず首を振った。
「そうですか…息子が迷子になってしまって、ちょっと目を離した隙にどこ行ったのか…。」
あまりに青ざめている顔をしてたので近寄って肩を擦ろうとした。その時カウンターにいたはずのミハルがいつの間にか表に出ていてスッと私の前に出た。
「お客さん顔色悪いよ、少しここで休んでくといいよ!向こうのテーブル席ドウゾ!」
戸惑ってる女性をあれよあれよとテーブル席に促した。メニュー渡して戻ってくるときに、私たちにだけ聞こえる音量で言った。
「コハク、ショーン。今回は私のお客さんよ。手出し無用ねっ!」
パチリとウインクしてくるミハルをみて、好奇心旺盛なのは店主譲りかと琥珀は苦笑いした。
佐瀬は一瞬だけ
「今店長いないからサービスするヨ!特製キャラメルラテ!」
ふわふわで決め細やかな泡の上にキャラメルソースが格子状にかかっており、香ばしい匂いもする。いいな、あれ今度頼んでみよう。
「息子さんどこではぐれちゃったの?」
女性の座ってるテーブルの横にしゃがみこみ、両肘をテーブルの縁につけて目線を下から合わせる。若さゆえか、環よりもだいぶ聞き方が直球だ。
「そこの公園で遊んでいるのを見てたんですけど、少し目を離した隙に居なくなってて、公園は全部探したんですけど、いなくて…。」
美味しそうなキャラメルラテにも女性は手をつけず、震えていた。そうだよな、自分の子供がいなくなって気が動転してるに違いない。
「…いつ頃から公園で遊んでたの?」
「確か、2時間くらい前から…。雨が止んだばかりで地面がぬかるんでるから私は止めようって言ったんですけど、行きたいって言って聞かなくて…。」
琥珀はここで少し違和感を覚えた。
確かに今は2月で寒い。雪も降りそうな天気だが今日雨は降ってないはずだ。
ここは琥珀が住んでる地域と少し離れているから通り雨でもあったのだろうか。
単純な興味で雨について聞こうとした瞬間に横にいた佐瀬に左手で制されて、首を振られた。
余計なことは言うなってか。
突然の事でびっくりしたが、その顔はいつもの嫌味の顔ではなく、どことなく真剣だったので琥珀は釈然としないながらも何も言えなくなってしまった。
「そっかぁ~、じゃあ神様にしか分からないんだね。」
神様?突然どこから神様が出てきた。琥珀はミハルのあまりの文脈の無さに目を丸くする。しかし佐瀬はやはり何も言わない。それどころか先程よりも少し険しい顔をしていた。
「神様…そう。神様にしかわからないの…。」
すると女性はブツブツと何か呟きはじめた。どうやら様子がおかしい。なんというか、正気ではなさそうだった。
ミハルがゆっくりと女性の両手を包み込んだ。
「大丈夫、大丈夫ヨ、オカーサンは神様に祈ってて。そうすれば絶対会えるよ。息子くんと一緒に"帰りたい"って、強く思ってね。」
「神様、神様どうか…あの子と一緒に…」
ジリリリリリ。
店に置いてあった電話が鳴り響いた。不穏な雰囲気の中での音の大きさに琥珀はびくりと肩を揺らした。
ミハルは女性の手を握っている。佐瀬が立ち、まるで我が物顔の如くカウンター内に入って電話をとった。
「はい。……あぁ、そうだ。あぁ。…いや、いるけど、その母親もいる。ちょうどいい、ミハルが母親連れてそこに行く。」
佐瀬は数分喋って受話器を置き、ミハルに声をかけた。」
「環が向かいの交差点で迷子の男の子を保護してるらしい。動けないから来てくれって。多分その人の息子だろう。」
「お客さん良かったねっ!神様願い聞いてくれたよ!一緒に行こう!」
パァッと陽だまりのような笑みを浮かべるミハルに琥珀もホッとする。
「もう迷子に
「はい、ありがとうございました。」
佐瀬と琥珀にも軽く会釈をして、女性はミハルと手を繋いで店を出ていった。
▲▽▲▽▲▽
出ていった女性をみて、琥珀は気になっていたことを佐瀬に話す。
「…迷子になってたのは子供の方ですよね?」
「あの人も迷ってたんだよ。」
琥珀はその意味が理解できないでいると、佐瀬はフゥ、と定位置のカウンターに座り直した。
「ミハルがあの母親と会ったのと、環が迷子の息子に会ったのは偶然だと思うか?」
「偶然でしょう?偶然じゃなかったら、なんだっていうんですか?」
確率論の問題だろうか。確かにここら辺には店があまりなく、母親が迷子の子供を探す為に聞ける場所を回ってここにたどり着いたのはわかるが、交差点の人通りは少ないわけではない。子供が環と会ったのは偶然でなかったら一体、なんなのだろうか。
「まず、この近くに公園はない。」
「え?」
「正確には、昔はあったけど2年前に無くなった。今はコンビニになってる。そしてお前も気づいたとおり、今日は雨なんて降ってない。」
佐瀬の話し方のせいか、いや、今の事実で琥珀がこの後の事を読めたと言っても過言ではない。まさかそんな。カップを持つ指先が少しずつ冷えてくるのが分かった。
「…去年あたりから向かいの交差点の脇に毎月今日と同じ日に小さな花束とお菓子が添えられてるの知ってたか。」
勿論ここに来た歴が浅く、近辺に用事がない限りこない琥珀は知らない。ふるふると頭を横に振った。つまりそういうことなのか。
環と話したときに、息子を母親に会わせるなら此処に連れてきてもいいのにと思った。違う、息子はあそこから動けないんだ。だから母親が向かうしかなかった。
「でも、じゃあ一緒に帰ろうっていうのは…。」
「俺が当時ニュースで知ったのは此処で交通事故があって、その被害者は3歳の男の子だけだ。そのあと母親が自殺をしたっていう噂は聞いたがな。」
なるほど、交差点で動けない男の子はその場所に縛られていたんだろう。母親はその事故ではなく、その後息子の後を追ったから動けたのか。
「…それに、子供は待ってたんじゃないのか。子供を迎えにいくのは親の役割だろ。」
琥珀が佐瀬と話したのは本当に数回でしかないが、"新卒の女"発言といい、"親の役割"といい、どうしてか固定観念が植えついてるようだった。今は本題とずれるから置いておく。
「ミハルは一目見ただけで分かるらしい。"そういうの"呼び寄せるとも言ってた。だからああいうのはミハルが担当なんだ。環もミハルまでは分からないらしいが、直感でなんとなく理解してる。多分迷子の子供の手を振り払って逃げる事も出来たはずだ。だからあの2人があの親子に会ったんだ。」
確率論の中でも更に確率があがる。それは確かに、偶然の中だったとしてもほぼ必然ということなのだろう。
テーブルに残ったキャラメルラテは、上の泡がもう溶けていた。
あの親子はちゃんと一緒に帰れたのだろうか。
「此処に入り浸ってたらお前にも寄ってくるようになるかもな。」
「そ、そんな…。」
流石に勘弁してくれ、幽霊とかホラーは得意な方ではないのだ。苦笑いをすると佐瀬がこちらを向いて薄く笑っていた。
元の造形がいいからか、笑うとマシに見える。──なんだ、笑えるんじゃん。
琥珀は気まずくなって冷めたカフェオレを飲んだ。
「うぅ~~寒っ」
「2人ともいらっしゃい、遅くなってごめんね。」
チリンチリン、と可愛らしい音を立てて環とミハルが帰って来た。ミハルは制服のまま外に出てたので余程寒かったのだろう。すぐにヒーターに近付いて暖を取っていた。
「ミハルさん、あの…。あの人達は…」
「うん?ちゃんと一緒に帰ってったヨ!あとミハル"さん"じゃくていいよ~」
「じゃ、じゃあミハルちゃん。…そっか、よかった。」
「コハクはやさしーねっ!」
幽霊と分かってて話を聞き、寄り添い、手を引いて寒空の中生足で出ていくミハルの方が優しいと思うが…。と心のなかで思ったが何も突っ込めなかった。
「向こうの事とかはね、私たちがいくら考えても仕方ないから。足りない部分は神様の恩寵がないと完成しないの。」
失礼だが、彼女の口から恩寵という言葉が出たことに少し驚いた。おそらくミハルは見た目よりもずっと賢く、そして色んな事を経験してきたのだろう。
琥珀は思いきって聞いてみた。ミハルは神様を信じてるように見えるが、神様に祈ってその通りに物事が流れて、それで怖くないのか、と。
(まぁ、実際幽霊を見てしまった時点で何とも言えないが)
「怖くないよ、だってこの世界を作った最初の原因は神様だもの。」
ミハルはまたパァッとした笑顔でみてくる。琥珀はきっと明るいこの子がこういう力を持ったことは凄く幸いなんだろうな、と思い、その笑顔につられて笑った。
【後書き 補足】
これは中世イギリス哲学者のトマス・アクィナスのスコラ哲学を参考に。要はアリストテレスってやつが「物事は原因と結果で成り立ってるよ」って言い始めて「やべーキリスト教の考えと矛盾しないようにしなきゃ」と思い神学と哲学の両立をしたところ死後の世界とか人間の理性が到達出来ない部分を神学として哲学との上下関係を作ったとか、アリストテレスの理論を逆に使って「全ての物事の原因作ったのは神様」とか言ったやつです。
興味あったら調べてみてください。
哲学は宗教とか神学とも関わり深いのですが、ミハルは宗教担当です。この子もメインキャラの一人なので彼女の詳しい話いつかやります。
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