⑰ 『過去語り④』
「お久しぶりです。ルーシアさん」
栗色の髪の、どこかのんびりとした空気を纏った青年が、裏玄関から入ってくると、ルーシアに挨拶をしてくれた。
「あら、ティル。本当に久しぶりね。って、挨拶は後よ、後。私の美味しい料理ができあがったんだから、まずは、しっかり味わってもらうわよ」
誰も見送る人もいないのは可哀想だと思い、<銅の調べ>をクビになったバルネアが、船でエルマイラム王国に向かう際に会って以来だから、ティルと会うのも五年ぶりになる。
だが、二十歳を超えて大人びた顔つきになっても、雰囲気はまるで変わらない。あの時の記憶のままだ。
「ルーシアの言うとおりよ、ティル。こんな機会めったに無いんだから、しっかり味あわせてもらいましょう!」
「ははっ。そうだね」
元気のいいバルネアとは対象的に、ティルは静かに笑って返事をする。
その姿に、ティルを覇気がない男性だと捉える人間もいるだろうが、バルネアのような奇人、変人と結婚して生活をしているだけで、ルーシアの中でのティルの評価は高い。
もしも、自分が彼の立場だったら、三日と持たずに胃に穴が開いていると思う。
「皆さんも、席について下さい」
「手伝うわ、ルーシア」
「ああっ、もう。分かったから、いちいち抱きついてくるな!」
距離感が近すぎるバルネアを窘めて、ルーシアは自慢のフリカッセをみんなに取り分ける。
フリカッセ。
『白い煮込み』と呼ばれる家庭料理。
生クリームで具材を柔らかく煮るこの料理は、鶏肉をメインで作るのが一般的だが、こうして魚介類で作っても美味しいのだ。
ルーシアは先程味見をし、絶対の自信を持っている。
ルーシアが料理を皿に盛り、バルネアがそれを手際よく店の席に座るスタッフ達に届ける。そして最後にバルネアの分を手渡し、ルーシアも厨房を出る。
「ほら、ほら、ルーシア」
「分かったから、落ち着きなさい!」
自分の隣の椅子を引き、そこに座るように促すバルネアにため息を付きながらも、ルーシアは椅子に腰を下ろした。
「それじゃあ、頂きましょうか」
ロゼリアさんがそう切り出し、皆は食事前の祈りを捧げる。
バルネアが料理長なのだが、どうやら調理以外のことは、ロゼリアさんを、義母を立てているようだ。
うん。この隣にいる料理のことしか頭になさそうなお馬鹿も、そう言った気配りができるようになったようだ。ルーシアは感慨深く思う。
そして、祈りが終わるとすぐに、バルネア達の遅めの夕食が始まった。
すると、誰もが「美味しい!」と口にして、食事に没頭する。
「美味しいわ。流石はルーシア。昔とは比べ物にならないほど腕が上がっているわね」
「当然でしょう。あんたもそれなりに腕を上げたみたいだけれど、まだまだ私には敵わないわよ」
もちろん自信はあったが、皆が、特にバルネアが自分の料理を賛辞したことに、ルーシアは内心でほっとする。
「むぅ。私の料理だって負けてないわよ」
「あら、負け惜しみ?」
しかし、そんな心の内を隠し、ルーシアはバルネアをからかう。
「ねぇ、ティル。バルネアの料理よりも、私の料理の方が美味しいわよね?」
バルネアの向かいの席で、美味しそうに、幸せそうに自分の作ったまかないを食べるティルに、ルーシアは答えにくいであろう問いかけを投げかけた。
「えっ? あっ、その、この料理はものすごく美味しいと思う。でも、僕はやっぱり、バルネアの料理が一番好きだから」
けれど、ティルは申し訳無さそうに言って、照れくさそうに笑った。
バルネアが、夫の笑顔は最高だと毎度のように手紙に書いてくるが、たしかにその笑顔は惚れ惚れするような魅力に溢れたものにルーシアにも見えた。
「ふふ~ん。どう、ルーシア。私の言ったとおりでしょう」
勝ち誇ったバルネアの顔に、ルーシアは呆れたように両手を軽く上げる。
「はいはい、ご馳走様。まったく。結婚して五年も経つのに、まだまだお熱いようで」
独り身の自分が少し寂しく思えてしまった。
それから、ルーシアはバルネア達の家に招かれて、一泊――だけではなく、二泊もすることになってしまった。
日程に余裕があることを、ついバルネアに話してしまったのが原因だ。
「ねぇ、せめてもう一泊していって。もう少し貴女の修行の成果を感じさせて」
そうしつこく頼まれ、ルーシアは折れた。
だが、決して、嫌々ではなかった。
ルーシアも、バルネアのこの五年間の成長を見極めたかったのだ。
<銀の旋律>でも、ルーシアは天才だと言われるようになって来ていた。そんな呼称は嬉しくもなんともないと思いながらも、心のどこかで慢心する自分も居たようだ。
けれど、そんな傲慢さをかき消すほどの、こいつには敵わないのではと危惧するほどの料理人が、目の前にいる。それは、この上なく僥倖なことだとルーシアは思う。
だから、予定外の一日は、バルネアとの料理談義と実践に充てた。
充実した一日だった。
早く、店に戻って修行を再開したいと、居ても立っても居られない気持ちになるほどに。
「ルーシア。また、遊びに来てね。親友同士、遠慮はなしよ」
別れの日に、バルネアはそんなふざけたことを言ってきたので、ルーシアは首を横に振った。
「違うわよ。私は、あんたのライバルよ」
大変不服ではあるが、やはり、自分の終生の競争相手は、この天然ボケ料理人のようだ。
ルーシアはその事を認めた。
「むぅ、いいじゃない。親友とライバルが一緒でも」
バルネアは少し不服そうだったが、
「いいもん。私はずっと親友だと思っているから」
と恥ずかしいことを言い、笑った。
「ルーシアさん、気をつけて」
「ええ。この天然ボケ女の旦那さんを続けるのは大変だろうけれど、頑張って手綱を握っておいてね」
バルネアが文句の言葉を口にしたが、ルーシアはそれを無視した。
「はい。僕は、ずっとバルネアと一緒ですから」
頼もしい返事を返してくれたティルと握手をし、ルーシアはメイラ島を後にした。
これがティルとの最後の会話になることなど、微塵も考えずに。
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