⑫ 『アドバイス』

 <パニヨン>での仕事を終え、バルネアの作ってくれた昼食のまかないを食べたジェノは、宿に戻り、準備を整えて厨房に足を踏み入れる。


「あら、早かったわね。だけど丁度いいわ。先程、今回の勝負内容の書類が届いたところよ。私は読んだから、貴方もそこのテーブルに置いてある資料に目を通しておいてね」

 コックコート姿のルーシアが、ジェノに声をかけてきた。


 どうやら議会の使者とは入れ違いになってしまったようだ。

 きっと今頃、パニヨンにも使者が向かっているのだろう。


「今回の勝負は、私も絶対に負けられないわ。<銀の旋律>の名を出されてしまった以上、敗北は許されないもの。

 バルネアとのただの料理勝負なら、貴方の料理を一品出してみるのも面白いとは思ったんだけれどね。ごめんなさい、それは無理になってしまったわ」

 ルーシアの謝罪に、しかしジェノはそれを不思議に思った。


「謝罪など必要ありません。自分の力量は弁えているつもりです。それでは、まずは資料を読ませてもらいます。そして、自分にできることを全力で取り組みます」

 ルーシアの言っていることは当たり前だとジェノは思う。互いの名誉がかかった大勝負なのだ。自分のような未熟者が出る幕はないだろう。


 だが、給仕などの雑務であれば、少しは役立つことができるかもしれない。

 ジェノはそう考え、資料にしっかりと目を通す。


「まったくもう。可愛げがないわね、貴方って」

 ルーシアはそんな文句を言いながらも、笑顔を浮かべ、


「でも、なるほどね。貴方なら確かに、あのバルネアでも弟子にできる訳だわ」


 そんな意味のわからないことを口にする。


「それは、どういうことですか? 自分は弟子ではありませんし、バルネアさんほどの料理人であれば、弟子志望はいくらでも……」

 ジェノはそこまで言って、自分がバルネアの家に来てから弟子志望者が来たという話を一度も聞いたことがないことに気づく。


 贔屓目なしに、バルネアさんは素晴らしい料理人だと思う。そして、朗らかすぎて抜けている部分もあることは否定できないが、人間的にも尊敬できる人だ。

 性格も温和だが、本当にどうしても締めなければいけない部分はきちんと締める人物でもある。

 料理に関する指導も的確で分かりやすい。手本も何度も見せてくれて丁寧だ。


 けれど、何故だろう? バルネアさんに弟子入りしたいという人間が現れないのは?


「貴方も、思い当たるところはあるみたいね」

 言葉が続かないジェノに、ルーシアが声をかけてくる。

 

「まぁ、後で話してあげるわ。……いいえ、違うわね。貴方には知っておいて貰いたい。バルネアの事を、きちんと……」

 ルーシアの表情には憂いの色が浮かんでいた。


「分かりました。どうかよろしくお願いします」

 バルネアの話は気になるが、今は仕事が最優先だ。ジェノはそう自分を戒め、料理勝負の資料をしっかりと読み、理解した。


「審査員は五名で、事前に指定の調理場等で調理した料理を会場に持ち込む方式のようですね」

「ええ、そうよ。流石に本格的な調理場を会場に設営準備している時間はないわよね。まぁ、これでろくな設備もないところで、その場で料理しろとか言ってきたら、がっつり文句を言ってやろうと思っていたんだけれどね」

 ルーシアは意地の悪い笑みを浮かべる。


「さて、ジェノ。私は、すでにどんな料理を作ろうかはほぼ決めているの。もっと正確に言えば、候補をいくつか出しているという感じね」

「そこまで決めているのですか?」

「当たり前よ。私を誰だと思っているのよ。駆け出しの料理人じゃああるまいし、一つのことだけしかこなせないようでは、シェフ失格よ」

 ルーシアは得意げに胸を張り、話を続ける。


「ただね、ジェノ。もちろん味には自信があるけれど、私はこの国の、もっと限定するのであれば、この街の人の細かい嗜好がまだ分からない。だから、この街で何年か生活をしている人間の意見が欲しいの。

 貴方が私の立場なら、シェフだとしたら、この時季の食材を使って何を作ろうと思うのか上げてくれないかしら?」


 思いもかけない申し出に、ジェノは驚く。

 まさか、バルネアさんと比肩する凄腕の料理人が、自分などに意見を求めてくるとは思わなかった。


「……そうですね。この時季だとやはり……」

 驚きはしたものの、ジェノはその申し出を受け、自分が考える料理名を次々列挙していく。


 それをルーシアは黙って聞いていたが、やがてパンッと手を叩いて、ジェノの言葉を遮った。


「うん。ありがとう。大体わかったわ。この街の人々の好きそうな味が。そして、ジェノ。貴方の現時点での料理人としての欠点も分かったわ」

 ルーシアは頭に手を当てて、何故か面白くなさそうな声で言う。


 自分の料理のラインナップが気に触ったのだろうかとジェノは考えたが、どうやらそれは違うようだ。


「あの天然め。本当に料理のことだけは抜け目ないわね……」

 ルーシアはそう忌々しげに呟くと、ジェノに視線を向ける。


「ジェノ! 貴方の上げた料理の数々だけど、はっきり言って面白みが足りないわ!」

「面白み、ですか?」

 思いもしなかった指摘に、ジェノは困惑する。


「貴方の上げた料理は悪くない。でも、悪くないだけなの。もう少し分かりやすく言うなら、百点満点中の九十点くらいの料理ばかりなのよ。

 もちろん、素人が作るものと専門家である料理人が作るものは味が違うわ。でもね、わざわざ自分の家ではなく、お金を払って店で食べる料理としては、目新しさや感動が薄いのよ」

 ルーシアの言葉は、ジェノの胸に深く突き刺さった。


「ああっ、もう。隠しておくのも面倒だから言うけれど、昔の私が同じような思考に陥っていたのよ。だから、貴方の考えはよく分かるわ。

 バルネアの奴も、その欠点を、同じところで苦労した人間に指摘させるために、私に貴方をつけたのよ」


 ルーシアは、「でも、はっきり言って、その時の私の方が、今の貴方より腕は上だったわよ」と前置きをし、話を続ける。


「ねぇ、ジェノ。貴方はバルネアの料理の完成度の高さにばかり気を取られて、『こういう味付けにしてみたら楽しそうだ』とか、『調味料を変えて作ったらどうなるだろうか?』といった探究心が弱くなってしまっているのではないかしら?

 もちろん、料理の勉強も他のものと同じように、先達の真似をするところから始めるものだけれど、貴方は、そろそろそこから一歩を踏み出すべきよ」


 ルーシアの指摘は、的確だった。

 少しでもバルネアさんのような安定感を求めて、料理の完成度ばかりを求めていた。失敗をしないように、縮こまっていたのだ。


「ジェノ。貴方は料理が好きよね? そうでなければ、あれだけポンポン料理の名前が出てくるはずがないもの」

 自らの不甲斐なさに歯噛みするジェノに、ルーシアは優しい声色で尋ねてくる。


 ジェノが「はい」と答えると、ルーシアは満足気に頷いたが、その表情が真剣なものに変わる。


「けれど貴方は、武術も学んでいるようね。それも、バルネアが心配するくらいの、のめり込みようで」

「……バルネアさんには、迷惑をかけている自覚はあります」

 突然話題が武術に変わったことを怪訝に思いながらも、ジェノは正直に答える。


「それなら、私からもう一つだけアドバイスをしてあげる。でも、これを受け入れるかどうかは貴方が決めなさい。私が責任を取ってあげられることではないから」

 ルーシアの真剣な声と表情に、ジェノも気を引き締めて、彼女の次の言葉を待ったのだが、


「貴方は剣を捨てて、料理人の道一本に絞って頑張るべきよ。その才能を磨かないのはあまりにも惜しい。この私が、そう思ってしまうほどの素質を貴方は持っているわ」


 それは、まったく予想もしなかったものだった。

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