⑪ 『勝負成立』

 ドンドンドンと裏口のドアが激しくノックされたので、メルエーナには下がっているように言い、ジェノがドアの前に行き、「どちら様でしょうか?」と誰何の声を掛ける。


 だが、激しくドアを叩くその人物は名乗らずに、


「バルネアぁぁぁぁぁっ! 出てきなさいよ、この大馬鹿!」

 

 早朝だと言うのに、近所迷惑この上ない大きさの怒声を向けてくる。


 悲しいことに、ジェノ達はその声の主が誰かが分かってしまった。


「えっ? この声は、ルーシアさんですよね?」

 新聞をまだ読んでいないメルエーナは状況が理解できていないようだが、今は彼女に説明するよりも、ルーシアに落ち着いてもらうことが先決だ。


「メルエーナ。俺が出る。お前は、客席に置いた今日の新聞を読んでみるといい」

「えっ? えっ? 新聞ですか?」

 激昂しているらしきルーシアと、新聞の関係性が分からないのだろう。メルエーナはどうしたものかとオロオロしている。


「ジェノ! そこにいるのなら、早く開けなさい! そして、私にあの馬鹿を殴らせなさい!」

 物騒この上ない言葉に、ドアを開けるべきかジェノは一瞬悩んだ。けれど、このままではドアを破壊してでも入ってきそうだし、良からぬ噂が流れるのは望ましくない。


 ジェノは嘆息し、解錠してドアを開ける。


「バルネアぁぁぁぁっ! 出てきなさいよ! その料理の事以外はほとんど詰まってない頭を、思いっきり折檻してあげるわ!」

 目を三角にしたルーシアは、ドアを開けるなり猛牛さながらの勢いで家の中に突進してきた。

 そして、目的の人物を探して、視線をあちこちに走らせる。


「ジェノ! あの馬鹿はどこ? 隠すとためにならないわよ?」

 バルネアの姿が見つけられないルーシアは、ジェノに居場所を尋ねてくる。そんな彼女の左手には、今日の新聞らしきものが握りしめられていた。

 

「ルーシアさん。バルネアさんはまだ眠っています。自分も新聞を読んだので、事態は理解しています。ですがどうか、少し落ち着いてく……」

 ジェノは極力落ち着いた声でルーシアを宥めようとしたのだが、タイミングが悪いことに、奥の部屋のドアが開かれてしまった。


「あらっ、ルーシア。どうしたの? こんな朝早くから?」

 のほほんとした笑顔で、寝間着姿のバルネアが部屋から出てきた。


「この大馬鹿! なんてことしてくれるのよ! というか、まずは一発殴らせなさい!」

 怒りのあまり支離滅裂な言葉を口にし、ルーシアはバルネアに向かって飛びかからんばかりだったので、ジェノは彼女を背中から羽交い締めにする。


「放しなさいよ、ジェノ! こいつには、きつい一撃をお見舞いして、自分が何をしたのかを分からせる必要があるのよ!」

「気持ちは分かりますが、落ち着いて下さい。それに、料理人が手を痛める可能性があることをしてはいけません」

 ジェノは冷静に、ルーシアを落ち着かせるべく説得を続ける。


「あっ、分かったわ。ルーシア、宿の食事に飽きたんでしょう? それで、私に朝ごはんを作って欲しいって頼みに来たのね」

 この状況で、どういう思考の果てにその帰結に至ったのか分からないが、満面の笑みを浮かべて、明後日の方向の結論を口にするバルネア。


 ジェノは頭が痛くなってきたが、いっそう力を増して自分を振りほどこうとするルーシアを懸命に押さえる。


「ばっ、バルネアさん! こっ、この記事を、新聞を読んでみて下さい!」

 自分達に遅れて新聞を確認したらしいメルエーナが、大慌てで駆け寄って、新聞をバルネアに手渡す。


「どうしたの、メルちゃん? そんなに慌てなくても大丈夫よ。この新聞を読めばいいのね」

 全然、全く状況を理解していないバルネアは、メルエーナから受け取った新聞の一面に目を通す。


「あらあら。どうして新聞に載っているのかしら? 不思議なこともあるのね」

 新聞を読んでも、バルネアはやはり、のほほんとした笑みを浮かべるのだった。




 ◇




「……はぁ、はぁ。ばっ、バルネア。とっ、とりあえず、どういうことか説明しなさい……」

 怒りの言葉を十分以上吐き続けたルーシアは、疲れて息も絶え絶えになってしまった。

 ジェノは流石にルーシアに同情し、拘束していた彼女の体を放す。

 

「ううっ。ルーシアったら、酷い……」

 自分に向けての悪口雑言を聞かされ続けたバルネアが、恨みがましい視線をルーシアに向けるが、ジェノも流石に今回はバルネアを擁護できない。


「いいから説明しなさい! なんで私達の料理勝負が新聞に載っているのよ! 舞台はあんたに任せるとは言ったけれど、ここまで大げさにするとはないでしょうが! 加減というものを知りなさい、加減というものを!

 しかも、私の店の名前まで出して! これじゃあ、負けた方が全てを失うことになってしまうわよ!」

 メルエーナが持ってきてくれた水の入ったコップから口を離し、ルーシアは問い詰める。


「もう、そんなの私にも分からないわよ。ただ、私は、この街の議員さんに貴女との料理勝負の話をしただけだもの」

 少し拗ねたような口調で、バルネアは言う。


「はっ? 議員に? 何でそんなことを?」

 ルーシアは混乱しているようだが、それを聞いているジェノも何がなんだか話が分からない。


「あっ、あの。バルネアさんは、最近、その議員さん達から、このナイム街の食に関わるイベントを企画してほしいと頼まれていたんです。

 ただ、良いアイデアが浮かばなかったようで、バルネアさんはそのことをずっと悩んでいました。そこに、ルーシアさんから、料理勝負のお話があったので、おそらく昨日、議員さん達のところに行って、バルネアさんが説明したのではないかと……」

 メルエーナが説明をしてくれたおかげで、ようやくジェノ達も状況が理解できた。

 だが、理解できることと、納得できることはイコールではない。


「それなら、私の名前は出さなくてもいいでしょうが! 更に言うなら、少なくとも、私の店の名前を教える必要はないでしょう! この馬鹿、阿呆、天然!」

 子供の悪口レベルの罵倒をし、ルーシアは気持ちを落ち着かせて、残っていた水を飲み干す。


「ううっ。だって、議員さんの一人が、『ですが、バルネアさんと対決する料理人の腕は確かなのですか? 圧倒的な差があっては、勝負の盛り上がりにかけてしまいます』なんて失礼なことを言うんだもん……」

 バルネアのその言葉に、ルーシアの眉がピクリと動いた。


「だからね、私は言ったの。『ルーシアは、若い頃に私と一緒に修行をした料理人で、物凄い腕を持っています』って。でも、その言葉だけでは信憑性が、とか言うのよ!」

「……なるほど。その議員達は、私の腕を疑っていたわけね」

 ルーシアの声が一際低くなったのを、ジェノとメルエーナは聞き逃さなかった。


「だから、ルーシアは<銀の旋律>の料理長で、私の大親友だって言ってやったのよ! 私が全力で料理をしても、勝てるかどうか分からないって! 何回も何回も言ったの!」

 その時の事を思い出したのだろう。バルネアは頬を膨らませて主張する。


「なるほど……」

 ジェノは頭に手をやり嘆息する。


 バルネアの話でルーシアの腕の素晴らしさは伝わったようだが、その結果、この街の議員達は、これは大掛かりな企画にするべきだと判断したのだろう。


 心配になり、ジェノはルーシアに視線を向けたが、彼女は口の端を僅かに上げていた。


「……大親友というところは全力で否定するけれど、まぁ、いいわ」

 不機嫌だったのが嘘のように、ルーシアは口を開く。


「お馬鹿なあんたに舞台を任せた私にも責任がないわけではないし、半分冗談のつもりだったけれど、私はあの時、<銀の旋律>の名にかけてと口にした。それならば、覚悟を決めないわけには行かないわよね」

「ううっ、お馬鹿って、さっきから悪口を言い過ぎよ……」

 バルネアの抗議の声を聞き流し、ルーシアは、ジェノとメルエーナに近づくと、ニッコリと笑った。


「安心しなさい。責任は取るわ。今回の勝負の影響で、この店が潰れるようなことになったら、うちの支店で貴方達二人は雇ってあげるから」

 ルーシアはそう言うと、バルネアに向かって「ふふふっ」と勝ち誇った笑みをに向ける。


「ああっ! 駄目よ! ジェノちゃんもメルちゃんも、私の大切な家族なんだから! 私の目が黒いうちは、絶対に引き抜かせないわよ!」

「あらっ? 私の言っている言葉がわからないの? 引き抜くんじゃあないわよ。今回の勝負の結果で、この店は最悪潰れるのよ? この子達を貴女が養っていけるわけがないじゃあない。

 だから、代わりに私が、この二人を路頭に迷わないようにしてあげるって言っているのよ」

 ルーシアの挑発に、バルネアは眉を吊り上げる。


「そんなことは絶対にならないし、させないわ! 勝負も私が勝つんだから!」

 バルネアは頬を膨らませて、ルーシアを睨む。


「いいわ。あんたも異存なしと言うわけみたいだから、この勝負は成立ね。まぁ、今更、撤回はできないだろうけどね」

 ルーシアは苦笑して、バルネアに背中を向ける。


「私は先に戻っているわ、ジェノ。後で相談があるから、店が終わったらまっすぐに帰ってきなさい」

「はい」

 ジェノの返事を受けて、ルーシアはそのまま家を出て行った。


「……もう。ジェノちゃんは今だけ貸してあげているんだから! 絶対に渡さないわ! もちろん、メルちゃんも!」

 バルネアはそう言ってプンプンと怒り、ジェノの腕に抱きつく。


「まったく、この人は……」

 ジェノはそう心のうちで呆れながらも、少し喜んでいる自分に気づく。


 近いうちにこの家を出ていかねばと思っていたにも関わらず、バルネアに、自分とメルエーナのことを大切な家族と言ってもらえたことが、何故かとても嬉しかった。

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