第21話「ゆめ」

 夢を見た。

 幼いころの自分が、誰かに抱かれている夢。

 誰に抱かれているのかは分からない。だけど自分はそのひとをよく知っていた。


「  」


 そのひとは微笑んで、なにを言う。しかしその声はきこえない。

 だけど、嬉しかった。意味がわからなくてもいい。ただ、そのひとといれるだけで幸せだった。

 頭を撫でる優しい手。

 柔らかな感覚。

 鼻をくすぐる甘い香り。

 すべてが懐かしくて、愛おしくて、切ない。

 ……切ない?

 どうして、そう思ったんだろう……。


 ……ああ、そうだ。

 そのひとは、もういないんだ。

 だって、そのひとは……。


 いつか見た光景が蘇る。

 目の前にふたつの人影が倒れている。

 自分はそれを見ていることしかできなかった。

 倒れている人影のまえにはもうひとつの人影が立っていた。

 その手には、刃物が握られている。

 震えながら見ていると、その人影が振り返った。

 その顔は、自分がよく知るひとのものだった。

 恐怖が限界に達して悲鳴を上げる。

 人影はこちらに歩み寄り、そして―─


   *   *   *


 夢を見ていた。

 逞しい腕に抱かれている夢。

 誰に抱かれているのかは分からない。だけど自分はそのひとのことを知っていた。


「   」


 そのひとはニコリと笑い、なにかを言う。その声はきこえなかったが、自分は嬉しくて笑った。

 ふだん笑顔を見せることなんて、あまりない。だが、このときは自然と笑うことができた。

 嬉しくて、楽しくて、少し切ない夢だった。


 ……ふと、思う。

 自分はなぜ切ないと感じたのだろう?

 その答えはすぐに分かった。

 そのひとは、もういないのだ。

 だって、そのひとは―─


 いつか見た光景が蘇る。

 倒れるふたつの人影。

 そこに刃物を突き立てる、もうひとつの人影。

 赤い血が飛び散り、躰が跳ねる。

 自分はその光景を呆然と見ることしかできなかった。

 刃物を突き立てた人影は振り向き、こちらを見る。

 よく知っている顔だ。だが、そのときの顔はいままで見たことがないようなものだった。

 人影はこちらへと歩を進める。

 逃げようとしても、逃げられない。

 自分は悲鳴を上げた。

 人影は自分のまえまで来ると、手に持っていた刃物を振り上げる。

 そして―─


   *   *   *


 同じタイミングで、同じ悲鳴が家中に響く。

 がばりと身を起こし、先程まで見ていた光景が夢であることを知って安堵する。

 汗が気持ち悪い。呼吸は荒く、嫌な感覚が全身を支配していた。

 

(あの夢は……)


(なんだったんだろう……)


 互いに似た夢を見ていたとは知らずに、そんなことを考える。

 躰が酷く重い。ふたりは同時にベッドに入り、また眠った。


 皐月日花恋と皐月日月乃。

 ふたりが同じ夢を見ていたと知るのは、その翌日だった。

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