第19話「さいしゅうび」

「え?」


 圭介は焦った。急に帰ってくるとは思わなかったし、自分がいるところを見られるとあらぬ誤解を受けるだろうと思ったからだ。


「やべぇ……どうしよう」

「でもはかせなら大丈夫だと思うよ?」

「大丈夫じゃない気しかしないから焦ってるんだよ!」


 保護者のいない家のなか、仲良しな姉妹のほかに見知らぬ男がひとり。なにも起こってはいないけど嫌な予感しかしないのはなぜだろう。

 花恋と月乃はクエスチョンマークを浮かべている。

 圭介は家から飛び出そうとして、玄関で鉢合わせになる可能性を考えて自分の足を止めた。どこ隠れる場所を探そうと思って慌てて走り回った……拍子になにもないところで足をもつれさせて転んだ。

 しかも、その瞬間にはかせが家のなかに入ってきたので、


「ただいまー……ってどういう状況?」

「……すみません」


 はかせは思いっきり困惑している。圭介は穴があったら入りたいと思った。


   *   *   *


「……本当にすいませんでした」

「いいよいいよ。気にしないで」


 圭介の土下座に、はかせは苦笑しながらひらひらと手を振った。


「オレ、花恋さんと月乃にやましいことをしようなんて微塵も思ってなかったです。ただ

遊びたかっただけで……」

「……なにか誤解してるよね? きみを招き入れたのは花恋と月乃の独断だし、ふたりがいいと言っているなら僕はなにも言わないさ」


 それに、君はそういうことをするような人間には見えないしね―─はかせは微笑んでそう言った。

 圭介はほっとする。優しいひとでよかった……。

 はかせというくらいだから学者のようなひとを想像していたのだが、想像に違わない見た目だ。ボサボサの黒髪に黒縁のメガネ。細身で優しそうな印象を受けるひとで、実際優しい。皐月日姉妹の保護者をしているのも納得だった。


「わたしたちもごめんなさい……」

「……ごめんなさい」

「いやだから大丈夫だし。そんな謝らないで?」


 はかせはボリボリと頭を掻く。それから圭介の方を見て、「そういえば名前をきいていなかったね」と言った。


「あ、オレは榎田圭介っていいます」

「榎田……というと、森の近くに住んでいるおばあさんの親族かな?」

「はい。そのひとはオレのばあちゃんです」

「なるほど……あ、僕も名乗ってなかったね」


 はかせは微笑み、名乗った。


「僕は阿杭あくいという。花恋と月乃の保護者だ」

「はかせの名前初めて知った……」

「……わたしも」


 花恋と月乃が驚いた様子で言う。はかせは「まあ、教えてなかったからね」と言うと、腕時計を一瞥してから口を開いた。


「そういえば、もうお昼だけどご家族に連絡はしたのかい?」

「あ、やべ」


 そうだった。

 元々、自分は帰ろうと思っていたのだ。


「そろそろお暇します。あまり遅くなると怒られるので……」

「そうか……よければ送っていこうか?」

「いやいやいや! 悪いですよ!」


 圭介は慌てて固辞する。しかしはかせは微笑み、大丈夫だよと言った。


「今日は仕事が早く終わったし、お昼は花恋と月乃に任せてるからね。それに……少し話したいこともあるし」

「それなら……お願いします」

「了解だよ。花恋、月乃、お昼ご飯を適当に作っておいてくれ」

「わかった!」


 花恋が元気な声で答え、月乃もこくりと頷く。

 それを見たはかせは、「じゃあ、行こうか」と車のキーを掴んだ。


   *   *   *


「圭介くん!」


 外に出ると、花恋が家のなかから叫んだ。


「また遊ぼうね!」


 振り返ると、花恋と月乃が手を振っている。

 圭介はふたりに手を振り返し、はかせの車の後部座席に乗った。

 はかせも車に乗り込み、圭介の家の場所をきいて車を発進させる。

 車は森のなかを進んでいく。その間、はかせは何も話さず、圭介も無言でいた。

 しばらく進んだあと、はかせは唐突に車を止める。家まではまだ少しあるのに、なぜだろう。

 圭介はいきなりのことに困惑する。すると、はかせが口を開いた。


「榎田圭介くん……と言ったね」

「はい」

「きみは、どこまで知っている?」

「……え?」


 圭介は固まる。はかせはまえを向いたまま言った。


「薬のこと、調べたんだろう? それで誰かに脅された……違うかい?」

「な、なんでそれを……」


 昨夜のことを言い当てられ、圭介は狼狽する。

 はかせはため息をつくとメガネを外し、後ろを向いた。

 その目は──冷たい光を湛えていた。

 はかせは薄い笑みを浮かべ、圭介に言った。


「なんでって……そりゃあ、あの電話を掛けたのは僕だからね」

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