第10話「くすり」

 今日は、1ヶ月に1回の“あること”をする日だった。

 それは……


「じゃあ、お昼食べたら飲んでね」

『はーい』


 はかせがテーブルに置いたのは真っ赤な錠剤だった。姉妹にそれぞれ1錠ずつ、昼食後に服用するためのものだ。

 1ヶ月に1回、この薬を飲むことが決まりになっていた。この薬は市販には出回っていない新薬で、はかせ曰く躰のバランスを整える効能があるらしい。彼はこの薬を成長補助剤と呼んでいた。

 特に悪影響はないし、錠剤なので口内で溶けない限りは苦くない。それはいいのだが……。


(この薬飲むと寝ちゃうんだよね……)


 以前飲んだ風邪薬も飲むと眠くなるが、この薬は眠くなるなんてものではない。飲んでしばらくすると意識が薄れていき、3時間ほど目を覚まさなくなる。

 ただ、はかせが飲めというくらいだからなにか意味があるのだろう。だから花恋も月乃もなにもきかずに従っていた。


   *   *   *


「月乃ちゃん、お皿洗った?」

「……洗った。花恋ちゃんは洗濯物とりこんだ?」

「とりこんだよー。これで大丈夫だと思う」


 身の回りのことを早めに片付け、花恋と月乃は錠剤を飲んだ。すぐに水を飲んだため、口のなかで溶けることはなかった。

 ふたりはすぐに各自の部屋に移動し、ベッドに横たわる。

 しばらくぼんやりとしていると、妙な感覚を覚えた。

 脳が熱くなり、とろんと溶けていく―─そんな感覚だ。自然と鼓動が高まり、呼吸が早まる。


「……っ、はぁ……っ」


 花恋の顔は真っ赤だった。嫌な感覚というわけではないしすぐに眠気がやってくるのだが、慣れたかと言われればそうではない。

 おそらく、隣の部屋では月乃も同じような状態になっているだろう。

 やがて眠気がやってきた。それと同時に今度は脳が冷たくなっていく。


「ぁ……ふぅ……」


 息を吐き出すと、途端に気分が良くなった。なんというか、ふわふわしていてうまくものを考えることができない。

 花恋は目を閉じる。意識がなくなる直前、脳裏になにかのイメージが浮かんだ気がした。

 床に倒れるふたつの人影。その前に立っているのは……


(…………)


 そこで、意識が完全に途絶えた。


   *   *   *


 帰り支度を終えて鞄を持ったところで、声を掛けられた。

 振り返ると同僚が眠そうにこちらを見ていた。その手には煙草のケースが握られている。さきほどまで吸っていたのだろう。


「もう帰んの?」

「ああ、今日の分は終わったからね」

「あそう……ま、最近は暇になったからな」


 彼は煙草のケースをポケットに突っ込んだ。


「きみはどうするんだい?」

「オレもそろそろ帰るかな。早く帰って薬飲んどきたいし」

「……なにかあったのか?」

「プライベートでちょっとやらかしてな。ま、飲めば忘れるしいいんだけどよ」

「そうか……まあデータも取れるしね」

「開発者であると同時に被験者でもあるなんてなんだか変な話だけどな」


 同僚はそう言って笑った。


「しっかし、記憶を封じ込める薬なんて誰が使うんだかねぇ……アレ、眠くなる前に一瞬だけ記憶がフラッシュバックするから嫌なんだけど」

「まあまあ、それは仕方がないよ」

「ま、それはこれから改良していけばいいことか……っと、そういや今日って何日だったっけ?」


 今日の日付を教えると、同僚は少しだけ顔を顰めた。


「皐月日夫妻が失踪して、今日で12年か……アイツら、いい研究者だったんだけどな」

「そうだね……」

「たしか子供がいたんだろ? いまじゃ行方不明だけどよ……可哀想だな」


 彼は本当に残念そうな顔をしていた。


「……嘆いても仕方がないさ。僕らにできるのは、彼らの研究を引き継ぐことだけだ」

「……ま、そうだな」

「それじゃ、そろそろ帰るよ」

「ああ、また明日な」


 同僚と別れ、帰るために歩き出す。

 家に帰るまえにスーパーに寄らなきゃな、と思った。


(そういえば、各務亜里朱がまた新作出したんだっけ。買っていってあげれば喜ぶかな)


 家に帰るまえにやることを頭のなかで整理しながら、車に乗り込み仕事場を後にした。


   *   *   *


「……ん」


 花恋は目を覚ました。

 なにか大切なことを忘れているような気がした。だが思い出せないので、そんな気がしただけだろう。

 まだ働ききっていない頭を無理やり起動させつつ、時計を見る。薬を飲んでから3時間が経過していた。

 月乃はまだ寝ているようだ。部屋を覗くとベッドで布団のかたまりがもぞもぞと動いた。

 はかせが帰ってくるまえにご飯を作らないとだし、起こしてあげよう……そう思った花恋は部屋のなかに入ると、月乃の躰を揺さぶった。


「んん……」


 呻き声をあげて、月乃の目が開かれる。

 まだ眠そうな彼女に向けて、花恋は笑顔で言った。


「おはよう、月乃ちゃん!」

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