第129話

 闇のように暗い髪をなびかせ、ドレスのスカートを乱雑に握り締め、持ち上げながら、マリア様はこちらに走ってきた。こちらに、というよりは、先ほどの魔法陣があったところ目掛けて走っているようだ。案の定、魔法陣が壊された後のそこで止まると、マリア様は地面をペタペタを触った。まるで、もうそこには何もないことを確認するように。

「やっぱり……壊されてる」

 下を向いているマリア様の表情はよく読み取れないが、その声はまるで落胆するというよりも……。

「……ふふっ。新しい獲物ね」

 私は咄嗟に、後ろにいる冬菜を掴んだ。その存在を確かめたかったのだ。ちゃんと、そこにいるわよね。捕まっていないわよね。きちんと確かめたいのに、マリア様から目を離すことができない。怖い。今までの恐怖なんて、比にならない。狙われている。紛れもない、私たちが。

 息を殺せ。音を立てるな。何があっても、気づかれるな。頭が狂ってしまいそうな恐怖に、身動きひとつ取れない。

「ま、いいわ。そんなことより、あの子をどうにかしないと……」

 マリア様は楽しそうに笑っていた。まるで、新しいおもちゃでも手に入れたように……。


 マリア様の姿が見えなくなって、私たちはようやく深呼吸をすることができた。動かなかった体も、次第に思い通りに動かせるようになっていく。

 ……あれは、間違いなく敵だ。マリア様なんて、敬称をつけて呼ぶのも違和感があるくらい、それは明らかな事実だ。タチが悪いのは、敵と認識さえされていないこと。私達はきっと、彼女にとって、自分の縄張りに自ら足を踏み入れてくれた獲物でしかないのだ。

 顔を見合わせ、お互いの無事を確認する。私達は互いの手を握りながら、呆然としていた。

彼女に近づくのは、もう少し調査してからにしましょうか。

 冬菜も流石に身の危険を感じたらしく、声にならない声を伝えてくれる。私はただ頷いた。得られた情報はそれなりに大きなものだったのに、心の中に残ったのは恐怖だけで、納得感も、達成感も何もない。

 私達は敵地に足を踏み入れてしまったことを、改めて実感した。おかしな話だが、きちんと覚悟ができていなかったのかもしれない。冬菜と一緒だから大丈夫。そんな考えが、きっと私の心の中のどこかにあったのだろう。

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