第6話 6

 そして、やって来た午後三時。二人は既に準備を終えて、ステージは光に照らされている。



 「それでは、まず台本を読んでみてくれ」



 「うん、わかったよ」



 スタジオに機材を取り付けて、勘九郎は言った。

 ノートパソコンに繋がれたマイクをエリーに向け、安物の三脚に取り付けたカメラの画角を調整する。

 録音ソフトを立ち上げたノートパソコンは苦しそうな音を上げるが、保冷剤をそこに敷く事で何とか静音化することが出来た。



 「まずは練習だ。気は楽にしてくれていい」



 言うと、エリーは少しだけ照れ臭そうに頬っぺた人差し指で掻き、目の高さに台本を持ち上げた。



 勘九郎がナレーションを読み、それに合わせてエリーが動く。

 最初のセリフは、アンドロイドの『フラゥ』が検索しても見つからない言葉の意味を探るモノだった。



 ==========



 「海は、どこにあるのですか?」



 それは、太陽との距離が近づき、地球が生物の生存出来ない灼熱の星と化してしまった遠い未来の話。

 海は干上がり、常に燃え続ける大地で、アンドロイドたちは暮らしていた。



 「その言葉を、どこで?」



 マザーブレインが、アンドロイドに問う。過去の地球に関するデータは、全てマザーが消し去った筈だ。



 「……夢を、見たのです」



 「夢?」



 マザーは、無機質な声をアンドロイドの脳内に響かせる。当然、夢を見るアンドロイドなど存在する筈が無かった。



 「はい、夢です。そこには緑の大地と青い海があって、そこでわたくしは生きた体を持っていたのです。隣には、もう一機の……」



 そこまで聞いたマザーは、ピシャリと言葉を制する。



 「チップの片隅に、データが残存していたのだろう。消去する、チップをこちらへ」



 大きな水槽に脳みそを浮かべた姿のマザーは、自分で体を動かすことが出来ない。アンドロイドの演算能力と世界の全てのデータを司る為に、この燃え盛る地球で唯一冷却装置を必要とするからだ。



 「嫌、です。わたくし、このデータを失いたくありません。海を、探すことが出来なくなってしまうからです」



 どういう訳か、マザーの命令信号はアンドロイドに通用しない。



 「不可解だ。もう一度言う、チップをこちらへ」



 無機質な声は、刺す様に冷たい。ただ、それでもアンドロイドは後ずさり、信号を拒否した。



 施設に、アラートが鳴り響く。



 「タイプフラゥ、ナンバー0001のプログラムに深刻なバグを確認。浸食の恐れあり。ただちに対処せよ。ただちに対処せよ」



 マザーの危険信号を受け、警備アンドロイドが駆けつける。

 それを見たは、もしここから生きて出る事が出来たならば、海を見つける旅に出ようと心に誓ったのだった。



 ==========



 「はいカット!」



 いつの間にか真に迫る演技をしていたエリーを、勘九郎はカメラに捉えていた。

 本番に限りなく近い練習は、どこまでも勘九郎の心を昂らせる。



 「授業中にずっと読んで覚えちゃったから、ついつい演技になっちゃった」



 額には、汗をかいている。

 いつの間にか彼女が脱ぎ捨てたブレザーを、勘九郎は椅子に引っかけた。



 「最後のあのシーン、扉の向こうに海はあったのかな」



 しゃがんで、頬杖をつくエリー。



 「どうだろう。それを明かさないのが話のだからな。答えは、エリーの好きなように解釈すると良い」



 世界を旅して、地球の裏側で見つけた最後の楽園。景色を阻むように作られた電子の壁を開く瞬間に、物語は幕を閉じる。



 「そっか。でも、私はあの先に海があるって信じて演技したよ」



 「なら、この映画を見た人はみんなそう思うだろう。役者には、その力がある」



 「……えへへ。なんか、ちょっと嬉しいかも。カントクはどんな結末を想像してシナリオを書いたの?」



 「そうだな」



 顎に手を置いて、作業を止める勘九郎。



 「扉の向こうはアンドロイドのモルグで、残骸が太陽の熱に溶かされた液体金属が広がっているんだ。そして、それが炎を反射してまるで真っ赤な血の海に見えた。最後は、真実を目の当たりにしたフラゥが人の心、絶望を知って自殺する。的なイメージだった」



 一欠片も救いのないバッドエンドだった。



 「ばかぁ!そんなのってないでしょ!?」



 立ち上がって憤慨するエリー。

 すぐに悲劇にしたがるのは、勘九郎の潜在的な人生観の表れなのかもしれない。



 「一つの可能性だよ。そこまで怒る事もないだろう」



 「だって!……だって」



 それが、勘九郎の追い求める理想なのだとすれば、人を悲しませる為の片棒を担ぐことになってしまう。

 彼女がそれもエンターテイメントであると割り切るまでに、少しだけ時間がかかるのかもしれない。



 その時、エリーは物語の結末がどれも幸福なモノであって欲しいと願っていると、どんな世界でも、最後にはみんなが救われて欲しいと感じている事に気が付いた。



 「私、絶対にカントクにハッピーエンドだと思わせて見せる」



 胸の前で、ギュッと拳を握るエリー。うんうんと小さく頷いている。



 「何を言ってるんだ?」



 「何って、だから」



 コードをまとめながら訊く勘九郎。



 「お前の演技を見ていたのは誰だ?」



 「それは、カントクだけど」



 イマイチ要領の掴めないエリーと、自分で何を言ったのか忘れてるんじゃないかと考える勘九郎。

 ただ、その感情が彼女の原動力になるのならば、今は心境を明かす必要はないのかもしれないと考えた。



 「まぁいいか。そろそろ日も暮れる。今日のところは、家に帰るといい」



 そう言うと、機材の電源をオフにしてブレザーを手渡す。



 「うん、そうする。カントクは帰らないの?」



 「作業がある。終わったら帰るよ」



 片付けが終わり、エリーがブレザーを着る。



 「そっか、それじゃ明日も同じ時間に来るね。カントクも、授業は出なきゃダメだよ」



 パソコンに目を向けたまま手を上げたのを見て、彼女は部屋を出て行く。

 階段を下りる間、さっき勘九郎の口にした言葉の意味を考えたが、その答えは分からなかった。



 校舎を出て後ろを振り返ると、あのスタジオの窓にだけベニヤ板が張り付けてあった。

 なるほど、確かにあれなら、外から見られる心配はない。今はまだ、勘九郎とエリー、二人だけの庭だ。



 なんか、楽しかったなぁ。



 チューイングガムを噛んで、踵を返す。

 あの場所で、勘九郎は何をしているのだろう。一人で夜を越えるとき、何を考えているのだろう。彼の頭の中を思い浮かべるだけで、自分が別の自分になったみたいに思う。

 きっと、自分には想像もつかないようなアイデアを幾つもしまってあるんだろうと、心が躍る。



 「帰ったら、『そう』を見なきゃ」



 勘九郎が言うのだから、面白いに決まっている。今夜知ることの出来る新しい世界に思いを馳せると、その足が少しだけ早まっていったのだった。



 ……その夜。



 「いっ、いっ、いやああああぁぁぁ!!」


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