第2話 2

 そろそろ休み時間に差し掛かる頃、勘九郎はテープ(と言ってもマイクロカードだが)を持って部室棟へ向かう。



 「よう、ウォズ。いるか?」



 二階に登って、一番端にあるアニメ研究部の扉を開けると、そこには大変に恰幅のいい生徒が座っていた。まだ春先だと言うのに半袖のシャツを着て、頭には白の手ぬぐいを巻いている。

 手には薄い漫画本を持っていて、目をギラギラと輝かせ、鼻息荒くそれを読んでいた。



 「おい、ウォズ。居るなら返事をだな」



 言いながら部屋の奥へ入っていくと、ようやくその姿に気が付いたのか。



 「うわぁ!?……な、なんだカントクか。二次元から誰か出て来たのかと思った」



 わざとらしくも見える驚き方も、見慣れたモノだ。



 「相変わらずだな。それは?」



 言うと、勘九郎がウォズと呼ぶ男子生徒が見開きのページを見せつける。そこには、おおよそ少年向けではない、というかエロいアニメのキャラクターの絵が描かれている。



 「スクラヴの新刊。この絵師さん、遂に同人出したんだ」



 スクラヴ。大人気アニメ、スクランブル・ラヴァーズの略称だ。

 とある異世界で巻き起こるドタバタラブコメディで、ウォズ曰く今一番勢いのあるアニメだとか。



 「そうか、よかったな。ところで本題なんだが」



 「断る!」



 ダン!と机を叩いて宣言するウォズ。しかし、そんな事は気にせず話を進める勘九郎。



 「さっきクランクアップしたところなんだ。この映像を、前回の様に編集してくれ」



 「断るって言ってるやんけ!それに、今はVチューバーからも編集を頼まれてて忙しいんだよ」



 「報酬は、二冊だ」



 「全然聞いてなくて草」



 彼、ウォズこと魚住太一うおずみたいちは、この学園の二年生。勘九郎の様にいつも部室に籠っているアニメオタクであり、自他共に認める凄腕のクリエイターだ。

 普段はインターネット掲示板の言語を中途半端に操る痛い男だが、その界隈では『画狂若人卍』を名乗っており、フリーランスとしてクリエイターの動画編集を請け負っている。

 と言っても、その大半は彼が好む個人Vチューバーの動画で、男の手伝いは絶対に行わない。はずだった。



 今年の二月、秋葉原にて偶然二人は出会った。

 勘九郎がショーウィンドウに並ぶ撮影機材を羨望の眼差しで眺めていた時、目の前でウォズの持っていた紙袋の底が抜けた事がきっかけだった。

 その姿をカメラに捉えていた勘九郎は、後に彼が同じ学園の生徒である事に気づく。そして、互いが同じ穴のむじなである事を知るのに時間はかからず、うっかり見せてしまったウォズの実力にほれ込んだ勘九郎が熱烈なアプローチを仕掛けた事で、その秘匿が破られたのだ。



 「前回だって、めちゃくちゃ苦労したんだぞ!あぁでもないこうでもないって文句ばっかり言うし、おまけに報酬だって貰った頃にはとっくにトレンドから外れていたじゃないか!」



 「頼む、お前の力が必要なんだ」



 ゴリ押す勘九郎。



 「うるさいですね……。大体、あの編集量と同人誌二冊じゃ全然釣り合いが取れてないんだ。僕、一応編集でお金稼いでるんだぞ」



 「じゃあ、3冊だ」



 「7冊だ、しかも新刊。それよりはまけられない」



 「うぐ……」



 財布事情の苦しい勘九郎にとって、その条件はあまりにもキツイ。独り暮らしで、機材や資料集めに金を費やしているから既に食費も切り詰めている状況なのだ。



 「大体、カントクの映画ってカントクしか見ないじゃん。自分が納得出来ればそれでいいんじゃないの?」



 「だからウォズに依頼している」



 その言葉を聞いて、一瞬だけ躊躇してしまうウォズ。自分の実力を掛け値なしに褒める人間を、彼は勘九郎以外に知らない。



 「ダ、ダメだって。そんな条件、ラフィちゃんにでも頼まれなきゃ無理」



 ラフィとは、スクラヴに登場するキャラクターの『ラフィリエ』の事だ。

 金髪で胸が大きく、妹キャラな上に一途で、ついでにエルフと言う作中屈指の人気キャラクターである。



 「……くそ、ならば仕方ない。6冊仕入れたら、また来る」



 「7冊だっての。新刊ね」



 突き返されて、トボトボ帰っていく勘九郎。そんな姿をモノともせず、ウォズは再び読書に更けこむのであった。



 しばらく経った昼下がり、勘九郎は食堂で昼食を食べていた。唐揚げ定食、ご飯大盛。コスパと味のバランスが良い、生徒間でも人気の高いメニュー。



 「全く、値上がりは事前に言って欲しいものだ」



 値上がりと言うか、そもそもそんな法外な値段で依頼していたのは勘九郎だけだ。一本15分程度のショートムービーだが、編集する時間は上映時間の何十倍も掛かってしまう。ウォズの言う事も最もだろう。



 行き場のない思いを白米にぶつけ、ただひたすらに掻っ込む。そうしながら妙案を探していると、目の前に一人の女子生徒が座った。



 「あ、また会ったね」



 サンドイッチといちご牛乳を持った、金髪と碧眼を持つ少女。今朝に出会った、あの生徒だった。



 「あぁ、あんたか」



 「あんたじゃないよ。姉崎絵凛あねさきえりんって名前があるもん」



 胸に着けているリボンは赤。つまり、二年生と言う事になる。



 「エリーか。俺は篤田勘九郎だ」



 勝手にあだ名をつける勘九郎。しかし、案外それ気に入ったのか、彼女は否定しなかった。



 「カントクでしょ?知ってるよ」



 流石、その悪名が学園中に轟いているだけある。



 「カントクって、変態なんだってね。皆言ってたけど本当?私、今日転校して来たから分からないんだけどさ」



 さっき、不用意に勘九郎に近づいてきたのはそう言う理由であったらしい。察した彼は、特に突っ込むこともなく淡々と質問に答えた。



 「カントクと呼ばれる代償だ。甘んじて受け入れている」



 「ふぅん、変態なんだ」



 公衆の面前で、しかも食事の場で変態と言う言葉を使ったせいで、ただでさえ注目を集めやすい二人に周囲の目線が集まっていた。

 しかし、エリーはそれを気にせず、また勘九郎も黙って唐揚げを頬張っている。この周囲を気にしない彼女の精神力を、彼は中々に魅力的だと感じていた。



 訊けば、つい二週間前まではスペインに居たという。生まれはアメリカだが、父親が転勤族の為に世界各地を転々と生きてきたとか。

 しかし、先日忙しかった父親の仕事がようやく落ち着きを見せた為、母親の故郷である日本への定住を決めたと言う。



 「日本って結構いいトコだね。私、気に入っちゃった」



 胸をテーブルに乗せ、リラックスした様子で言うエリー。その仕草に、勘九郎の目線は自然と引き寄せられてしまった。

 しかし、この距離では流石にカメラを向けられない為、せめて目に焼き付けようとする勘九郎。



 ……金髪で、胸が大きい?



 「おい、エリー!」



 「は、はい!」



 驚いて、思わず敬語になってしまう。



 「お前、スクラヴと言うアニメを知っているか?」



 「いや、知らないけど」



 「なら教えるから来てくれ!頼みがある!」



 そう言うと、勘九郎はサンドイッチを咥えたエリーを連れて、食堂を出て行く。何が何やら理解の追いつかない様子の彼女は、繋がれた手も離せずに黙って後を着いて行った。

 そして、辿り着いたのは旧校舎の一室。勘九郎が集めた資材を置いているロッカールームだった。

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