第24話 父さんの部屋

「ねえ、一緒に来て。父さんの部屋に。レシピを見るから」

「え……でもお前さっき。見れないって……」

「考えをね、変えることにしたんだ。もしさ父さんのレシピを完全に理解できたらそれは父さんの味を守ってるってことだし。父さんだったら僕にもっともっと美味い料理を作って欲しいって思うはずだもの」


 蒼太がくすりと笑う。


「だからさ、僕は平気だよ。それで……どう? 君も立ち会ってくれる?」

「いいのかよ。俺で。完全に部外者だろ?」

「もう今更じゃない? それに僕にあれだけ偉そうにけしかけてたじゃないか」

「あれは……その。売り文句に買い文句というか……」

「まあいいよ。それで立ち会うのは嫌なの? いいの?」

「俺でいいならもちろん」


 蒼太は満足げな笑みを浮かべた。


「それでこそだね、こっち。母屋のほうへ来て」


 そう言うと蒼太は厨房の奥へと歩いてく。

 慌てて追いかけると渡り廊下が続いていて奥の家屋へと伸びている。


「ここが僕の家。ちょっと古いし散らかっているけど勘弁ね」


 トロイメライと同じ白い壁地のこじんまりとした洋館だった。

 蒼太は急な木の階段を上がるとさらに奥まった部屋のドアノブに手を掛けた。

 小さな金属が擦れる音を立ててゆっくりとドアが開かれる。


「おお……」


 少し埃が舞い上がった後、中の光景に俊介は言葉を失った。

 部屋を見渡す限りの本の山、山、山……。

 試しにそばにあった一冊の本を手にとった。

 重要だと思われるページには付箋。

 ポイントの所には書き込みがある。そしてアイデアや気づいたことを書き留めたメモが何ページにも渡って挟まっている。


(この量えげつない……。というか、まさかここの本全部に手が入れてあるってことなのか?)


 俊介は舌を巻いた。

 さすが蒼太があいつならやると言うだけある。

 この部屋にあるもの全てが努力の積み重ねであり、残した財産であることは疑いようがなかった。


「ここが父さんの部屋だよ」

「まさか……これ全部?」


 蒼太がゆっくりと頷いた。


「そう。父さんの勉強の記録だよ。レシピはもちろんのこと、日誌があって……」


 蒼太が近くにあった本の一冊を手に取る。


「ほら。こうしてメモを書き足したり試したりしてるんだ。父さんは努力家だったんだ。すべてのレシピを今以上に最高のものになるように日々こうして改良していったみたい」

「なる……ほど」


 圧倒されている俊介を蒼太はくすりと微笑んだ。


「で、この中から例のナポリタンの記述を探す」

「は……? この中から?」


 ぐるりと部屋中を見渡す。床から天井までに積み上げられた本の量をざっと考えただけでゆうに数百は超えそうな勢いだ。


「そうだよ。なんなのさっきの勢いはどこ行ったのかな? それとも口だけで僕に協力してくれる気はないの?」

「お……おう。いいさ、男に二言はない。しかし俺だってただとは言わないぞ。めちゃくちゃ美味いまかないを所望する」

「お安い御用だよ」


 そっと手を伸ばして一冊一冊確認する。

 簡単に言ったものの骨が折れる作業だった。

 まず記述が細かい。

 それでいて時には走り書きの時もあり注意深く読み進めないと見落としてしまいそうだ。

 部屋の中を探して数時間経ったあたりで休憩をとることにした。

 家にあった簡単な菓子と紅茶を蒼太が持ってきてくれた。


「どうだ……?」

「ありそうでないな……。もっと前のものとか後のはあるんだけど、久江さんが来た年のものだけどうにも見つからなさそうで……」

「そうか……、うーん。上手くは行かないものだな……」


 ふと俊介がそっと手を伸ばした。

 ちょうどレコードの下に革張りの本が一冊置いてあったのに視線が引き寄せられたのだった。

 そのままパラパラとページをめくって見る。


(へえ……この日も雨が酷かったのか……。出した料理は……、ナポリタン!)

「おい、蒼太!」

「あったの?」

「多分、これじゃあないかな?」 


 蒼太が食い入るように中身を読む。


「うん……、これだ。久江さんが来た時の日記」

「ええ! やったじゃん。これでなんとか作れるな……」


 明るい表情の俊介とは裏腹に蒼太の顔色は暗い。


「いや。レシピも料理法も僕が作ったものと同じだった……」

「え? 嘘だろ。だったら何が足りないっていうんだ」

「実際に見てみればいいよ……」


 浮かない顔で渡された本を開く。

 日焼けしたページをぱらぱらとめくると久江達が来た日の記述があった。


『六月二日 晴れ。

 今日は雨模様にも関わらず満席だった。

 何故かと妻に聞けば今日は大安だし、いわゆる昔ジューンブライドで結婚したカップルがいつもよりもいいものを食べに来てるのでは? とのことだった。

 なるほど。確かにコースの予約が多かったし、どこか洒落込んでいる夫婦が多いように見受けられる。

 藤枝さんも話を聞いてみたら昔トロイメライに来ていたとのこと。

 長年やっているとそういったお客さんが多いのは嬉しい。

 満席だったが急に一席拵えて楽しんで貰うことにした。

 なんでも思い出のナポリタンがあるそうで、改変前のレシピで作ることにした。

 ちょっともっちりした麺のやつだ。

 喜んでくれたようで料理人冥利に尽きる。

 上機嫌になった妻が来てくれてピアノを弾いてくれることになった。

 昔流行ったナンバーからクラシックまで。そうそう、店の名前にもなったトロイメライ。

 あれを聞くとどうやら若い頃を思い出すと言って藤枝さんは泣いていた。

 とてもいい一日だった。

 やはり料理は人を幸せにする。

 どうやら今は遠方にお住まいとのことで、またの再会を約束してその日は終わりになった』


 その後も読み進めてみるが、藤枝さんの記述があるのはどうやらそこだけのようだった。


「なんだ……? ピアノ?」

「そう……。あの日確かに父さんはナポリタンを作った。そして母さんのピアノで周りが盛り上がったから。だから多分その時の楽しい気持ちがきっと味と混ざり合ってそのまま思い出になったんだと思う」

「いや……、待て待て。だったら久江さんの思い出の味を完全に再現するためにはナポリタンだけじゃダメってことか。ピアノを聴きながら昔の思い出に浸るってことを含めて初めて完成するっていうこと?」

「多分……。そうなんだと思う。これを見る限りじゃ……」


 蒼太が頷く。


 これは困ったことになったと俊介は頭を抱えた。

 そりゃ味だけじゃなくてその場の雰囲気まで思い出の味にされちゃあ再現できるはずもない。


「いや、でもこれで解決だろ。食べる時にピアノがあればいいんだから……」


 俊介ははたと気づいた。


(一体誰がピアノを弾くんだ……?)

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