第13話 先輩
あんなに降っていた雨もここのところは晴れ間が見えるようになった。
何か用事があるのなら晴れの方がありがたい。
俊介は空を見て手元の折りたたみ傘をリュックへと仕舞った。
大学が終わった夕方、いつもなら家の近くのコンビニに向かうところだが今日からは全く逆方向へと歩く。
少しばかり時給を上乗せしてもらったおかげもあって、バイトはトロイメライの方に集中することにした。何せまかない付きは一人暮らしには大きい。
想像するだけでお腹がきゅうっと鳴った。
「あいつ、無愛想だけど腕はいいしな……」
トロイメライで初めて食べた味が忘れられなくて、腹が減ったら頭にナポリタンが浮かぶようになってしまった。正直責任をとって欲しい。
あの日と同じ道のりを通ってトロイメライへと急ぐ。
今日は仕事内容の説明のために先輩ウェイターが来ると聞いているのだ。
十四郎から提示されたのはトロイメライでのバイトだった。近々シフトが減るウェイターがいるのだがずっと働いていたがために良い後任がなかなか見つからず頭を悩ませていたとのことだった。
『俊介君は接客業に向いていると思うんだよねえ。上背もあるしやっぱりどこか華があるからさ。やっぱりステージに立つ人間だからかなあ。ん? いやあ大丈夫だよ。技術なら先輩がちゃんと教えてくれるからさ』
と言うのが十四郎の言い分だった。
(先輩かあ……)
一体どんな人なのだろうか。
怖かったらどうしよう。
十四郎はああも言っていたが、そもそも俺自分が接客なんて出来るのだろうか。
様々な思いを頭に巡らせながらトロイメライのドアノブを掴んだ。
「へ……? うわっ……!」
自分が押す前にグッと引き寄せられてつんのめる。
開かれた扉に吸い込まれるように引き寄せられると目の前を俊介は凝視した。
「あ……?」
目の前にはこれまた綺麗な顔立ちの美人が立っていた。
肩までの黒髪を無造作にハーフアップにしている。色白で髪とのコントラストでその肌のきめ細かさがより引き立てられているように見えた。それに吸い込まれるような黒い瞳。どこかミステリアスで見つめられたらきっと忘れることなどできやしないくらいに妖艶な雰囲気を醸し出している。
あまりの美しさに見惚れてしまった。
美人は頭から爪先まで俊介を見つめる。そして目が合うなり、にっこりと花のような笑みを浮かべた。
「は……はは」
思わず俊介も笑い返す。
まさかこんな美人が先輩なのかも? と胸が期待で膨らんでいく。
「君が俊介君? オーナーから話は聞いてるよ。俺の後任なんだってね! よろしくね」
「あ……、はい」
また男なのかと肩透かしを食いながら、俊介はすぐに背筋を伸ばした。
「あ、呼び方。俊介君で良かったかな?」
「はい。なんでも大丈夫です」
「うん、ありがと。俺は神田観月って言うんだ。だいぶ……と言ってもまだ二、三年だけどトロイメライでは結構働いているよ。それが最近ちょっと忙しくなっちゃってね。シフトを空けることになりそうでさ。代わりに君にお願いすることになるからよろしくね」
「はい! こちらこそ」
外見から察するにどうやら観月も自分と同じく大学生なのだろう。
俊介はあまり馴染みがないが就職活動をするのであればバイトはぐっと減らさなくてはならない。
「もし面接とか入るんだったら俺急にシフト変わるのも全然アリなんで……!」
「ん? 面接って?」
「あ……ほら、三年にもなると就活大変ですよね。急に連絡入るって聞いたことあるんで。でも俺、結構暇してるから変更とかも柔軟に対応できますよ」
「えっと。それって俺が就活控えた大学生って思ってる?」
「違うんですか?」
きょとんとして応えると観月が堪えきれないように吹き出した。
「いやあ、若く見られることは多いけどさすがに大学生って言われたの初めてかも」
「え……そうなんです? すみません!」
「いやいや。残念だけど俺もうアラサーなんだよね。シフトを空けるのはちょっと家の事情なんだ。ごめんね、若くなくて」
「いえ、こちらこそ見当違いなこと言ってしまって」
「ううん。なんか俺の後任がすごい真っ直ぐな子だって分かって安心したよ。もちろんオーナーが選んでくる人だから問題ないって分かってたけどさ。一緒に働くんだからやっぱりいい人のほうがいいでしょ。助かるよ、君みたいな人で」
「あ、はい! よろしくお願いします」
俊介はぺこりと頭を下げた。
失礼なことかもしれないがあまり気にしないようでよかったと胸を撫で下ろす。
観月のおかげで自分はこの好条件のアルバイトにありつけたわけだから感謝しかない。
神様、仏様、観月様だ。
「ありがとうございます。本当に……」
「うん? まあ基本的なことはレクチャーするから安心してね」
観月が細長い瞳でウインクした時だった。
「お! そいつか例の音大生ってのは」
太く低い声に俊介は少しだけ首を傾げた。
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