第11話 君のこと大っ嫌い

その静寂を破ったのは十四郎の静かな笑い声だった。


「くくく……」

「あ、ごめん。俺……つい」


 我に返った俊介が頬を人差し指で掻くと、蒼太はわざとらしくため息をついた。


「な、何を突然言い出すかと思えば……」

「本心なんだから仕方ないだろ。第一、お前の親だって同じように言うだろうが」


 そう言った途端蒼太の瞳が一瞬陰ったような気がした。


(……?)

「食事中なんだし、もう少し黙って食べられないの?」


 吐き捨てるように言うと蒼太は引き続き貪るように食べ始めた。

 そのままわざと視界に入れないようにしているか、俊介の方を見ようともしなかった。


(なんだ? そんなに怒ることかよ)


 俊介もつられて憤慨しながらフォークを荒々しくナポリタンに突き刺す。


「おい、無視するなよ。お前が突っかかって来たんだろうが」

「別に、僕はここで料理論議も君の言葉の解釈もする気はないよ。と言うより恥ずかしくないの? いきなり語り始めるなんてさ」

「そんなこと……」


 と言いかけて俊介はふと我に帰った。


(確かにいきなり人の家に押しかけておいて言いたいことだけ捲し立てるのは失礼だったかもしれない)


 つい周りが見えなくなってしまうのを度々咎められることがあった。

 自分でも暴走してしまう癖を早く直したいとは思いつつも元からあった癖はなかなか治らないのだなと俊介は頬をポリポリとかいた。


「はは……、そうだよなあ」


 気まずさに苦笑しながらも俊介も黙々と食べる。

 先ほどの煩さはどこに行ったかのように二人の間に静寂が降りた。

 しばらく蒼太と俊介の顔を見比べていた十四郎は突然ポンと手を叩いた。


「ねえ、俊介君。君って大学がない日は何をしているの?」

「何って……、練習か、バイトですよ」

「それってレッスンとか?」

「いいえ……。さっきも言った通り俺は人前で演奏ができないので。手本が見せられませんから、そういったことはできないんです。だから普通に家から近いコンビニで働いてますよ。廃棄の弁当がもらえるんで食費も浮くし……」


 十四郎はふむふむと白い髭をさすりながら頷いている。


「となると、君は金にも困っているが普段の食事にも頭を悩ませている……と?」

「……まあ、そうなりますね」


 一体何でこんなことを聞くのだろうと俊介は首を傾げた。


「そこで相談なんだけど。まかない付きでシフトも融通が利くアルバイトがあるんだけどどうかな? あ、空き時間にはピアノも弾いて良いよ」

「おじいちゃん!」


 蒼太がぴしゃりと声を上げるも十四郎はお構いなしでテーブルから身を乗り出している。

 意味が分からずに俊介はただ視線をさまよわせるだけだ。


「え? まあそりゃあ……、ありがたいですね。やっぱりご飯は温かいのがいいですから。まかないつきだと嬉しいです……。ピアノも弾けるならそりゃあいいに越したことがないし。ん、ピアノって……」


 十四郎はぱちんと両の手を合わせて微笑んだ。


「うんうん! そっか! それじゃあ決まりだね! よかった……! また求人出すのちょっと面倒だなあって思ってたところだったんだ。すんなり決まってよかったよ」

「はい……?」


 意味が分からずに蒼太に視線を向けると、その綺麗な顔で舌打ちをされてしまった。


(な、なんなんだよ。俺、何も悪いこと言ってないだろ?)


 目を白黒させていると、再び蒼太が睨みつけてくる。


(また? 俺またなんかした?)


 何か言われるのではないかと思わず身構える。

 しかし蒼太は白い指先をカバンへと向けただけだった。


「あのさ。スマホ。鳴ってるけど」

「へ?」


 そういえばカバンの中のバイブの音がする。

 慌てて取ると教授から鬼のように着信が入っていた。

 はっとして時間を見ると、とうにレッスンの開始時間は過ぎている。


「や……! やべ! すみません! 俺、そろそろ行きますね!」

「わかったよ。じゃあ。とりあえず連絡先教えてね。それと、最短で来れる午前中の日にちも教えて」

「え? はい……? わかりましたけど? あ、服洗って返しますから!」

「ああ、いいよ。気にしないで。制服と一緒にやっちゃうからさ」


 急いで荷物を纏めながら未だ十四郎の言葉が分からずに首を傾げる。

 そのままトロイメライを後にしようとするとドアのところに来た蒼太が口を開いた。


「ねえ?」


 睨み付けるような眼差しを向けられる。 


「なんだよ? 俺、急いでる……」


 俊介の言葉が終わるのを待たずに、まるでゴミを見るような目で蒼太はぽつりと呟いた。


「僕、君のこと大っ嫌い」

「は……?」


 思わず目を丸くする俊介の目の前でドアが勢いよく閉じられる。

 後に残されたのは呆気に取られた俊介と雨の音だけだった。


「一体何だって言うんだよ……」


 そう呟いてみるも、俊介の言葉は雨の中に溶けて消えた。

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