第4話 レストラン 〜トロイメライ〜
まじまじと見つめていると急に鼻の頭にぽつりと滴が落ちてきた。
「あ……っ! やべっ!」
「は?」
急に叫び声を上げた顔を蒼太が見上げると、急いで俊介は促した。
「言ったろ? 今日の天気は雨予報! 濡れないうちに早く中に入らないと……」
言い終わらないうちに空が震えるような音がして雨が叩きつけるかのように降ってきた。
「ほら! 言わんこっちゃない!! 早く、走って走って!」
慌てて走り抜けるようにドアを目指す。
その途中、スローモーションのように店の看板が目に入った。
きっとオーダーメイドなのだと思った。
アイアンでできた曲線のバラの枠に囲まれた文字がくっきりと視界に入る。
(山手洋食レストラン『トロイメライ』?)
頭の中で反芻する時間はわずかだったが確かにそう書いてあった。
そのまま急いでもつれるかのように店の中に入る。
カランとベルの音が鳴って勢いよくドアが閉じた。
その瞬間に空が轟く音が震え、バケツをひっくり返したような土砂降りが降ってきた。
「はあ……、危なかったな……」
急いで促したせいか少し体が濡れる程度で済んでほっと胸を撫で下ろした。
「あ! 玉ねぎ!」
はっとして急いでダンボールを開ける。幸いなことに自分が雨の犠牲になったおかげで中身は無事だった。
「よかった……」
安心で息をつきながらあたりを見渡すと定休日なのか中は暗く、がらんとしていた。
次第に暗がりに目が慣れて中が見えるようになってくる。
(雰囲気すごいな……)
ぱっと見の外観からは分からなかったが、意外と奥行きのある建物のようで広さを感じる。
エントランスは吹き抜けになっていて年代物のシャンデリアが吊り下がっているし、床は長年磨き上げらているせいか飴色のオーク材がぴかりと光る。
それに山手の西洋情緒あふれる調度品。
アンティークの雰囲気がぐっと非日常感を演出しているようで、確かに山手のレストランにはぴったりの内装だった。
それに目をとられていると、蒼太がちょうど廊下の奥に消えていくところだった。
「あ……、あの」
「待ってて」
俊介は振り向かずにそのまま闇の中へ入っていく。何か言おうとした俊介もただその背中を見送るしかできなかった。
「待ってろって言われてもさ……」
どこからかかちこちと古びた時計の秒針の音が聞こえる。
それ以外はしいんと静まり返っている。
静寂は好きだし、むしろ落ち着く方ではあるが音が無さすぎて落ち着かない。なんだか世界から切り離されて一人でいるような気分に陥る。
自分の吐息だけが嫌に耳に障る。
湿った空気と暗がりの洋館の中でなんだか息が詰まる感覚に襲われた。
「あれ?」
その時にふと目の前の扉が少しだけ開いているのが目に入った。
勝手に歩いてはいけないと分かっててもこのどこか重苦しい空気から逃れたい一心で俊介はその扉をそっと押した。
「おお……」
レストランという名前に相応しく、扉の向こう側にはテーブル席が広がっていた。
霞がかったような三色のステンドグラス。細かく透かしの入ったレースカーテン。それに白いテーブルクロスがかけられた赤い布張りのテーブルセットは客の訪れをじっと待っているようだ。
どれもこれも山手のレストランの風格を携えているものばかりだった。
しかし、俊介の目をぐっと引き寄せて離さないものがあった。
「スタンウェイじゃないか……」
部屋の隅に忘れられていたかのように置いてあったのは年代物のグランドピアノだった。
飴色の肌をしていて年季が入っているのが分かる。きっと骨董品としての価値も高い。それこそ高級車がほいっと買えてしまうくらい。
ピアノに親しんで長い俊介もこんなに近くで見たのは初めてだった。
まるで招かれるかのように恐る恐るピアノに近づいていく。
「すげえ……」
思わずそう溢してしまうくらいには希少価値が高い。
触れると磨き上げられた肌の感触が指先にすっと伝わる。
一体どんな音がするのだろう。
胸にこみ上げるわくわくした気持ちが抑えられなくてそっと鍵盤蓋を開けてみる。
きちんと手入れされているのが分かる。
そして白い鍵盤が俊介を魅惑するかのように静かに輝いたように見えた。
そっと人差し指を白鍵盤へ置く。
ポンと低い音がした途端、俊介の心の血はぐっと湧き立つ感覚に襲われた。
(最近使われている感じはしないけどちゃんと調律されてる。きっと演奏にも支障がない……)
思わずあたりを見渡して今この空間に自分しかいないことを確かめる。
(ちょっとだけ……、ちょっとだけだから……)
胸に生まれた好奇心に俊介は抗えそうもなかった。
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