第3話 山手の風景
「あ……っ、ちょっと待ってくれよ」
慌てて後を追いかけて階段を上り切る。
その先には俊介の通っている山手音大の校舎が建っている。
元はアメリカの宣教師がこの山手に学校を開いたのが始まりとされている。
明治に建てられた校舎はその文化的な価値から横浜の文化財にも指定されているほどだ。
少し離れたこの場所からでも楽器の音が聞こえてくる。
それが俊介が馴染んだ山手の風景だ。
元々このあたり一体は昔の外国人居住地の面影を残している。
今でも文明開花に日本にやってきた異国感あふれる七つの洋館を残し、横浜山手西洋館と言った形でメディアに度々取り上げられたりしているお洒落で静かな街並みなのだ。
風に新緑が揺れる中、西洋文化が入り込んだ洋館の面影がここには広がっていた。
先ほどの美人はといえば、歩道脇に座り込んでいる。どうやらばらけた玉ねぎをまとめているようだった。
「あの……、これ」
「……」
俊介が拾った分を差し出すも無言で受け取るだけだった。
(なんだよ……、せっかく手伝ってやったのに)
少しムッとしながら視線を向ければばらけた玉ねぎと段ボールが二つ、持ち主を待っていたかのように置いてあった。
(あれだけの量? 一人で? いや、あの腕じゃ無理だろう。というか本当に一体何に使うんだ?)
そう疑問に思っていると段ボールの上に置いてあったスマホに着信が届いた。
『もしもし……、蒼太君?』
(蒼太……?)
盗み聞きする気はなかったがスピーカーにしてあったから嫌でも耳に入る。
多分それがこの美人の名前なんだと思った。
「ああ、観月さん。ごめんねちょっと戻るの遅れそう。……うん、先に帰ってていいから」
蒼太は二、三言葉を交わすと通話を切った。
それから相変わらず俊介の方をちらりとも見ずに段ボールを持ち上げようと手をかけた。しかしさすがに二箱分は重いらしく、危なっかしげによろめいた。
「一箱十キロだから……。いやいや! 二十キロの玉ねぎなんて一人で持つのキッツイだろ?」
思わず俊介がそう呟くと蒼太が振り向いて冷たい目で睨みつけた。
「仕方ないでしょ? くれるっていうんだからさ」
「だから無理するなってば……。ああ、いいって。俺が持つ」
無理矢理一人で抱えようとするので慌てて駆け寄った。そのまま俊介が奪うかのようにダンボールを一つ素早く持ち上げる。
「頼んでない」
「ここまで来たら乗り掛かった船だよ。手伝う。それにこの空模様じゃあいつ降ってくるかわからないだろ? 急いだほうがいい。天気予報じゃ雨だったらからな」
「……」
蒼太は深い鼠色の瞳を細めると先に歩き出した。
「あ……、ちょっと待ってくれよ」
左に旧山手68番館を見ながら足早に歩く。
歩く速度がちょっと早いが追いつけないほどではない。
一体なんでこんな大量の玉ねぎと?
疑問は膨らんでくる。しかし、蒼太は黙ったままだ。
何か話してくれるのかと期待したが静寂は変わらないまま。
無言に耐えきれずに俊介はつい口を開いた。
「なあ、なんであそこにいたんだ? 一人でこれだけの荷物を持っていくなんて無茶だろ? 誰か手伝ってはくれなかったのか?」
「仕方ないでしょ。店には僕一人しかいなかったんだから」
「店?」
首を傾げて蒼太の言葉を反芻する。
(ということは、元町公園の方かもしれないな?)
俊介達が今いる山手公園から代官坂上方面へと歩いていくと緑豊かな元町公園が見えてくる。
元はフランス人実業家が開いた土地で西洋情緒あふれるエリスマン邸やベーリックホール、西側には外国人墓地の面影は女性を中心に観光客にも人気だ。駅から離れている昔ながらの住宅街の中にあるから静かだし、自然も多い。
ただ歩いているだけでも気分が爽やかになるくらいに緑に溢れている。その落ちついた雰囲気に根強いファンは多く、人気にあやかるようにここ周辺には同じような西洋の趣のレストランも軒を連ねているのだ。
(と言っても俺みたいな独り身の男子学生には縁がないからほとんど来ないけど……)
十分くらい歩くと緑が生茂る姿が見えてきた。
「もうすぐだから」
そう言われたのはちょうどベーリックホールをすぎたあたりだった。
視線の際にはいくつかレストランが見える。
(なるほど……そういうことね)
こんなにたくさんの玉ねぎをどうしてと思っていたがこれで合点がいった。
きっと蒼太は玉ねぎを使うであろう料理人にこれを届けに来たのだろう。
ということはレストランのスタッフなのかもしれないと容易に想像がついた。
(音大生って思ったけど俺の気のせいか……)
友達が少ない自分にも新しく知り合いができるかもしれないと思ったのに。
少しがっかりしながらも後に続く。
「あれだよ」
「へえ……」
思わずため息をついた。
蒼太が指差した先には大きなカシの木。
そしてその向こうに物語に出てきそうな白い洋館がひっそりと立っていた。
整えられた植え込みの向こうには赤、ピンク、黄色の薔薇が咲いている。
晴れた日にはテラス席が設けられるのだろう。エントランスの隅にはアイアンでできたテーブルセットや大きなパラソルがまとめられている。
レンガ造りの小道の先には洋館の入り口の扉がどっしりと構えていた。
そして外観も青い屋根と白い壁がくっきりと映えていてさながらドラマに出てきそうだなと率直に思った。
(何だかめっちゃ雰囲気ある。クラシックとか似合いそうだな……)
まじまじと見つめていると急に鼻の頭にぽつりと滴が落ちてきた。
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