増田朋美

今日も寒い日だった。そんな寒い日でも、というかむしろこのくらい寒くなったら、みんなに会いたくなるという心理が働くのかもしれない。だから、こういう日であっても、この集まりは行われるのだと思う。富士市の市民文化センターの会議室では、異様な人々の会議が行われていた。そこにいる人たちは、極端に痩せていたりとか、相撲取りみたいに太っている人も少なくない。そういうひとが、向き合って机を並べて、自分の生い立ちとか、現在の事をしゃべっている。その中には、にこやかに笑っている人もいるし、一寸泣きそうになっている人もいる。ある人は、援助者かお手伝いさんのような人に付き添ってもらっている人もいる。その中にひとりの女性がいて、なぜか知らないけど、杉ちゃんがいて、ほかの参加者の話を真剣に聞いていた。

「はい、じゃあ次は、鈴木真衣さん。新人会員だけど、自己紹介だけでもしてもらえませんでしょうか。」

グループの司会を勤めていた影浦が、その女性に向けてそういった。ほかの参加者たちも、にこやかに笑って、彼女に発言をしてくれるように促した。

「はい、えーと名前は鈴木真衣です。今はちょっと仕事はしていないのですが、去年の夏ぐらいから、食事に不自由していて、困っております。そんなとき、ここにいる杉ちゃん、あ、正式には影山杉三さんが、この会を見学させてもらったらどうかと言いますので、其れで応募しました。よろしくお願いします。」

緊張して発言する彼女に、

「そんなに緊張しなくてもかまいません。みんな、困っている人ばかりですから、気にしないでありのままを話してください。」

と、影浦がにこやかに笑って言った。

「鈴木真衣さん、ご家族はいますか?あ、答えをしたくなければ、別に答えなくても結構ですよ。強制ではありませんから。」

参加者の一人が鈴木真衣さんに言った。

「ええ、家族は、主人と、あと主人の母と暮らしています。まあ、嫁いだばかりなので右も左も分かりませんが、一応、教育関係の仕事をしています。」

と、鈴木真衣さんは言うのだった。確か、杉ちゃんの話によれば、鈴木真衣の夫は学校の先生で、お母さまも同じく学校の先生だったという。そんな優秀な家庭に嫁いだということで、多分きっとその落差間で拒食に陥ったのかと、影浦は推量しているが、それはまだ、本人から口に出していうまでは聞かないことにしている。

「そうですか。昼間は、ひとりなんですか。」

と、別の参加者がそういうことを聞くと、

「ええ。其れで、どこにも行くところが無くて、困ってしまうんです。何だかそれではいけないってことはわかっているんですけど。そんななかでした、この影山杉三さんが、お前さんの仲間がいっぱいいるところに連れて行ってあげるというものですから、其れであたしは、このサークルに来させていただきました。」

と、鈴木真衣は小さな声で答えた。

「まあ、良かったじゃないですか。あたしたちは、敵ではありませんから。食事ができないというのは、皆同じですから。少なくともここのサークルではね。」

また別の参加者がそういうと、

「そうそう。摂食障害って大変な病気である事はみんな知っています。少しずつでいいですから、ご自身の過去の事、現在の事、いろいろ話してみてください。みんな否定もしないで、ちゃんと聞いてくれますよ。大丈夫です。」

と、中年の男性が、にこやかに笑って、そういうことを言った。この男性も、摂食障害に悩んでいた一人なのだ。男性というと珍しいが、男性も摂食障害にかかることが在るのである。

「わかりました。ありがとうございます。食べ物を口にするのが怖くなり、夫にも変な奴だと言われて、困ってしまっていました。私の症状は、皆さんと比べると大したことが無いと思います。でも、困ってしまっていたのも確かです。本当に、ありがとうございました。」

鈴木真衣は、軽く頭を下げた。

「さて、三時になりましたので、今日の集会はここまでにしましょう。この集会は、二週間に一度つまり、月に二回、文化センターと影浦医院で行われています。第二水曜日は、影浦医院で、第四水曜日は、文化センターで行っています。事前連絡なども特に不要ですので、来たくなったら来てくだされば、其れで大丈夫です。」

と、影浦が椅子から立ち上がって、メンバーさんたちにいった。

「ありがとうございます。次回は、来月の第二水曜日、影浦医院で行います。お時間のある方、どうぞいらしてください。」

「ありがとうございました。」

メンバーさんたちは、一礼して椅子から立ち上がり、鞄を持って、市民センターを後にした。杉ちゃんに促されて、鈴木真衣は影浦に挨拶した。

「あの、今日はどうもありがとうございました。こんな集まりに参加させてもらって、とてもうれしかったです。一人ぼっちになっちゃうと思ってたら、杉ちゃんいや、影山杉三さんが、こういうところに連れて来てくださったので、うれしかったです。そんなに摂食障害としてはひどくはないと思っていましたけれど、寂しい気持ちはあったので。ありがとうございました。」

鈴木真衣の口調はしっかりしていたが、やっぱりどこか寂しいんだなということを、感じさせたのだった。

「ええ。それでは、入会申し込み書を書いてもらいましょうか。一応、規制がありますのでね。其れに、目を通してもらわないと。」

と、影浦が入会申し込み書と書かれた書類を貼り付けた画板を彼女に渡した。

「わかりました。何か、描くものを貸していただけませんでしょうか。何も持っていないのです。」

鈴木真衣がそういうと、影浦は彼女にボールペンを渡した。彼女は、急いで入会申込書に目を通し、入会希望の署名欄にサインをした。

「ありがとうございます。入会金などは特にありません。ただ、あまりに過激な発言や、参加者同士を比べてそれに判決をつけるような発言は、謹んでほしいという意味で、署名をお願いしています。」

影浦がそういうと彼女は、わかりましたといって、影浦に入会申込書を渡した。

「じゃあ、次回も会に来られるようでしたら、ぜひ来てくださいね。症状が重い軽いと、悩んでいることの大きさは全く関係ありません。それは気にしないで結構です。」

「そうそう。悩んでいることは、大変なことであるかとか、難しいことであるかとか、そういうことは気にしないで大丈夫だからね。」

と、杉ちゃんが言った。

「ところで杉ちゃん。彼女、つまり鈴木真衣さんですが、彼女とはどこで知り合ったんですか?」

影浦が杉ちゃんに聞くと、鈴木真衣はちょっと申し訳なさそうな顔をした。

「ああ、そんなことは気にしないで結構だよ。結局はお前さんは、何もしなかったわけだからな。まあ、ダイエットのし過ぎでさ。あまりにも腹が減って、コンビニで弁当を万引きしようとしたところを僕が止めたのさ。」

と、杉ちゃんがにこやかに笑った。できるだけ、杉ちゃんはにこやかに笑って言ってくれたのであるが、鈴木真衣は、申し訳なさそうな顔をしている。

「まあ、万引きは犯罪であるとは確かだけど、お前さんは結局僕のお金で、弁当を買ったんだからそれでいいの。」

「そうだったんですか。まだ、体が食べ物を欲しがっていたんですね。それを、万引きという形で現わしてくれたんでしょうね。其れなら、其れで大丈夫ですよ。これから、食事をしっかりとれるように、頑張っていきましょう。ちなみに、拒食症が進んでしまうと、食事がとれなくなってしまっても、平気な顔をしていられるようになりますからね。まだ、食べ物が欲しくて万引きをしたという行為で治まってくれるんなら、良かったものです。」

影浦は、にこやかに笑った。

「まあ、良かったじゃないか。お前さんもこうしてさ、飯が食えない仲間をつくることができたんだ。其れできっと、お前さんも立ち直れるよ。」

杉ちゃんもにこやかに笑った。

「じゃあ、次回は、影浦医院で、一時から始めますから、用事がなければ参加してください。出来れば、ご家族にも、この会に参加していることをはなしてほしいですね。」

影浦がそういうと、

「わかりました。きっと主人も理解してくれると思います。主人も、主人の母も教師をしているので、忙しすぎるほど忙しいですけど、きっと話しをしていけばわかると思います。」

と、鈴木真衣は、まえむきになってくれたようだ。きっと、仲間をつくることができて、良いと思ってくれたのだろう。彼女はありがとうございました、と言って、鞄をとって、市民センターを後にした。

「良かったな。ああして仲間をつくることができて、其れでしっかり嬉しいと思ってくれれば、彼女も前へ進んでいける。その基盤をつくってやれることが大事だよな。」

「ええ。それに症状が軽いか重いかは関係ありませんよね。」

と、影浦も確認するようにいった。

其れから数日後、製鉄所では。

「水穂さん大丈夫ですか。ご飯をたべないと大変なことになっちゃいますよ。ほら、ご飯くらいしっかり食べてください。」

ブッチャーが、水穂さんにご飯を食べさせようとしているのだったが、水穂さんは、食べようとしなかった。幾らご飯を口元にもっていっても、反対方向を向いてしまうのだ。

「水穂さん、どうして食べないんですか、俺は食べない状態を放っておくことはできませんよ。だって俺は、水穂さんの事を見殺しにはできませんからね。そうしたら、俺が捕まっちゃうことになりますでしょ。それはいやじゃないですか。」

ブッチャーは、そういうことを言ったが、水穂さんは、反対方向を向いたままだった。

「あーあ、いくら食べさせてもこれじゃ、俺も困っちゃいますね。俺が水穂さんだったら、よくなろうと思って一生懸命食べるんだけどなあ。どうもよくわからんのですよ。なんで、食べないでいるんだろう。」

ブッチャーは、大きなため息をついた。同時に、ガラガラっと、インターフォンのない玄関を開けて、こんにちはと杉ちゃんと影浦がやってきたのが分かった。

「こんにちは。水穂さんいますか。」

杉ちゃんと影浦は、四畳半に入ってきた。

「ああ、ありがとうございます、影浦先生。御覧の通り、ご飯を何も食べない状態が続いています。」

ブッチャーは疲れた表情で影浦に言った。

「困りますね。水穂さん。なんでまた食べる気がしないんでしょうね。もしかして、痩せたいと思っているのですか?」

と、影浦が聞くと、

「いや、それはないね。もうこんなに、げっそりと痩せていて、すでに、希望はかなっているはずだからね。」

杉ちゃんは、からからと笑って、そういうことを言った。

「まあそうですね。其れよりも、食べるということをもうちょっと重要視してもらわなければならないと思いますけどね。僕は思うんですよ。食べ物ってなんだろうなという気がするんですよね。」

と、影浦も言った。

「食べ物って何だろうなですか。食べ物は、おいしいというだけじゃなくて、栄養として体をつくってくれるというのが、定義だと思うんですけどね。」

と、ブッチャーはうーんと考えこんだ。

「だから、食べ物を食べさせようとしているんですけど、水穂さん御覧の通り何も食べてくれないし、なんでこうなるのかって感じですね。」

「確かに、当たり前のようにやっていることが一番できなくなるのは、本人が一番つらいよな。」

と、杉ちゃんが言うと、

「そうかもしれませんが、俺みたいに、何も食べないのに食べさせようとしている身にもなってくれ!」

とブッチャーが言った。

「はいはいわかったよ。確かにお前さんも大変だ。それはちゃんと頭に入っているから大丈夫だよ、ブッチャー。」

と、杉ちゃんが言った。

「しかし、困りましたね。食べない状態が続いてしまうと、人間の体っていうのはおかしなもので、食べないままで平気でいるようになってしまうんです。そうなるともとにもどすのは至難の業ですよ。これは医療従事者として言っておきますが、幾ら医療がよくなっても、感情面を何とかするというのは難しいですからね。」

「だから影浦先生の言う通りじゃないか。水穂さん、何も食べないでいたら、本当にダメになってしまいますよ。だから、お茶碗一杯だけでいいから、ご飯をたべてもらえませんか。」

影浦の話にブッチャーは急いでそういったのであったが、それは水穂さんには届いたのか不明で、水穂さんは返事もしなかった。

「あーあ、俺どうしたらいいんだろう。俺はもうこの仕事を果たすのはできないかもしれないな。誰かもっと、水穂さんの事をわかってくれる奴を探すしかないのかなあ。」

「まあ、そんな奴はどこを探してもないだろうね。同和地区のやつが、それを商売にして何かしようっていうことは見たことないもん。外国では、人種差別を受けてきたやつが、それを武器にすることはよくあるが、日本では大体無理だからな。そういうやつが出るのはね。」

ブッチャーの話しに、杉ちゃんがすぐ割って入った。

「そんなこと、どうでもいいからさ、食べ物の事で、真剣に悩んだやつっていないのかな。よほどの高齢者とかじゃなくて、水穂さんに食べるってことがいかに大事か伝えられる人だ。」

「ああ、無理無理。そういうやつは、何処にもおらんよ。戦争を経験したお年寄りは、絶対こういうことは理解してくれるはずはないし、同和地区の人だっていえば誰だって逃げていくでしょ。まあ、無理だねえ。本人も、それを知っているから、食べないんじゃないの。誰も、自分の事を分かるやつはいないってさ。」

それを言われて、ブッチャーは、あーあとため息をつく。

「そうですね。杉ちゃんの方が正しいのかもしれませんよ。水穂さんの苦しみを理解できる人は、もしかしたら、本当に少ないのかもしれないです。第一、同和地区を知っている人が果たしているかどうか。関西の方だったら、まだ同和地区に対して理解があるかもしれませんが、この富士の人は、同和地区がゴルフ場になったのと同時に意識の外に消されてますよ。」

影浦にもそういわれて、ブッチャーはさらに小さくなった。

「でも、このままだと、水穂さんは、餓死してしまいますよ。食べないで放っていたら、どうなるかくらい、影浦先生だって、わかるんじゃないですか。」

ちょうどその時、またインターフォンのない玄関が、ガラッと開いて、また誰か来た音がした。

「あれ、誰だろ。」

杉ちゃんとブッチャーが顔を見合わせると、

「いやあ今日は、いろんなお客さんがいらしてるんですね。見かけない草履があるから、どなたがいらしているのかな。まあ、おはいりなさい。寒いので、部屋の中は暖かくて、過ごしやすいですよ。」

と、ジョチさんが杉ちゃんたちのいる方へやってきた。誰か連れているのかなとおもったら、あのサークルで出会った、鈴木真衣さんであった。

「あれ、鈴木さんじゃないですか。」

と、影浦が言うと、鈴木真衣は恥ずかしそうにというか、申し訳なさそうに頭を下げる。

「どうしたんですか。何かありましたか?」

「ええ、僕が弁当を買いに弁当屋に行ったところ、彼女が売り台の前で困った顔をしているのを見かけたんです。なんでも、弁当を五つも買って、お金が足りなかったようで。其れはおかしいなと思いましたので、一寸訳を聞こうかなと思ったんです。」

彼女が弁明する代わりにジョチさんが答えた。

「どう見ても変ですからね。非常時に備えておくにしても、あの弁当屋で売っているものは、消費期限が当日ですから。ご家族に食べさせるにしても、ご家族は、三人だそうで、それなのに二つ余分に買っていくのはおかしいと思ったんです。」

「はあなるほど。つまり、リバウンドとしての過食なのかな。」

と、杉ちゃんが言った。

「まさかと思うけど、大食いして、下剤を大量に服用したりして、体重が増えるのを防いだりしてないだろうな。」

「いえ、そういうことはしていません。ただ、食べたいという気持を抑えることができなくて。自分でもどうなっているか、よくわからないんですよ。ただ、ダイエットして痩せようと思っただけなのに。」

と、ジョチさんと一緒にやってきた、彼女、鈴木真衣がそういうことを言った。

「はあ、そうなんだねえ。ダイエットと言っても太りすぎるほど太っているというわけではないと思うけどね。何でダイエットしようと思ったのかな?僕、怒らないからちょっと話してみな。」

と杉ちゃんがそういうと、

「ええ、主人もお母さまも優秀で、学校の先生をしている人たちですから、その妻が太っているのは情けないと近所の人から言われたことがきっかけで。」

と、鈴木真衣は小さな声で答えた。

「それでダイエットしようと思ったのか。」

「ええ。そうしなくちゃ、あの家にいられないと思ったんです。主人もお母さまも、容姿には自信のある人たちですから。」

「はあ、なるほどね。恰好いい奴の家に嫁いだのか。でも、もとはと言えば、好きな奴として結婚したんだよな。それを忘れちゃダメなんじゃないの?だって少なくとも、ご主人は、悪い奴じゃないわけだからねえ。」

「そうですね。杉ちゃんの言う通りかもしれないけど、現実の結婚生活は、なかなか思うようにはいかないのかもしれませんよ。ご主人と本人がそれを覚悟をして生きていくと決めることも必要なんだと思いますが、それだけでは、やっていけない事情があるのかもしれませんね。」

影浦が杉ちゃんに訂正するように言った。

「まあ、確かにそうかもしれませんね。うちの弟も、既婚者ですけど、若いころは喧嘩ばかりして、客観的に見たら、もう大丈夫なのかなと思ったことだって何回もありますよ。でもなぜか、許してしまえるのが、夫婦なんじゃないかな。それをあなたは変な風に考えてしまっただけなんじゃないですか。」

ジョチさんは、鈴木真衣さんの話を聞いて、ちょっと苦笑いしてそういうことを言った。

「まあ昔だったら、放置したままでも、平気だったんですけどね。今はそうもいかなくなっているんでしょうね。食べ物のことだって、そうやって解決できない問題になるんだから。僕らが若かったころは、まだ、食べ物を見て、大喜びをする人が居ましたが、今は、そういうことはないですしねえ。」

「でも、幸せになりたいという気持ちは同じなんじゃないですか。いつの時代だって、不幸になりたくて、結婚する人はいないはずですから。」

不意に誰かの声がした。其れはだれだと思ったら、水穂さんの声だった。

「まあ、そうなんですけどね。その基準が変わってきているということは確かですよ。」

影浦がそういうとジョチさんも、そうですねと彼に合わせた。

「まあとにかくな、真衣さんは、幸せって何だろうかと考え直すことだな。」

杉ちゃんがそういうと、ブッチャーも又勇気を出して、

「こういうひとがいるんです。だから、水穂さんも食べてください。」

今度はにっこりしながら言ったのであった。




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増田朋美 @masubuchi4996

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